|
「それ、台の上に置いといて。着替えはどうする? 洗濯しておく? 乾燥機あるから使っても良いけど。明日までには乾くよ」
差し出された七海のTシャツとパンツにたじろいでいると、七海は眉をひそめた。どうやらこれを貸してやるからお風呂に入れということだろう。七海の着替えをもって洗面所に行くと、七海は洗濯機を作動し始めた。
七海のいるマンションは親が持っているマンションのひとつで、かなり豪華だ。お風呂は私のいるアパートとは違ってユニットバスだし、まず洗濯機が部屋にあるという時点で洗面所が広いことを示していた。その上、乾燥機まで設置されているのだから、贅沢すぎる。
「ありがと」
私は有難くお風呂に入ることにした。
体を一通り洗って湯船に浸かると、今までの事がフラッシュバックしたように思い出された。
水面に浮かぶ自分の顔を見て、あれほど赤く染まっていた自分の右目が元通りになっているのが何となく可笑しく思えてきて、苦笑した。
どこかに潜んでいるはずの来抄も見えない。現代に戻ってからは本当に何事もなかったように動いている。その運命に恨んだ。
ふと、正面に鏡があるのに気が付き、自分の体を見た。
「――……っ!!」
彼方に刺されたわき腹の傷痕がなかった。一生に残るような傷ではなかったとはいえ、治るのが早すぎるだろう。それに向こうにいた時に起きたときには毎日確認したのだから、間違いない。そうなると、意図的に消されたとしか考えられない。
――――誰が?
言われるまでもなく綺羅だろう。全てなくなると言っていたのだから。
「――全部、なかったことになるの? 願いも全て消えてしまったから……?」
私もいつかは忘れてしまうのだろうか。
向こうの時代にいたときの皆も私を忘れてしまうのだろうか。
――――いや、……嫌だ!
「私、ここにいるよ。…………忘れたりなんかしないでっ!」
願ってる、ずっと。
もう迦楼羅ではないけれど、少なくとも私は忘れたくないと、そう思う。
泣き腫らした顔を見せるのには躊躇ったけれど、七海はそれを責めようとはせずコーヒーを作ってくれた。相変わらず友達思いだな、と失笑してしまう。それに気付いた七海にはデコピンを食らう羽目になった。やっぱりちっとも変わっていないんだなぁ。私はこんなにも変わったのに。こっちでは時間が進んでいないんだからそれは当たり前だけれど。
「でさ、話の続きなんだけどっ」
そして恋バナが好きなのにも相変わらずだった。私の恋についての解析をしたいらしく、先ほどからはやく、はやくとせがまれている。
「聞いた限りじゃ、あんた、一目惚れなんじゃないの? 矢彦の方もそうなんだろうけど」
「……どうかな。でも、矢彦の方はそうでもないと思うの。迦楼羅に惹かれただけよ、きっと」
「いーや、違うね! 矢彦は天華のことを大事にしたいと思ってたはずよ!」
「どうして分かるの」
「勘」
まさか、と思った。
七海の勘を疑っていたわけではないけれど、私にはいまいちそれが信じられなかった。その気配が七海に伝わったのだろう。だんだん顔をしかめた表情になり、恐ろしい形相をしだした。
「恋愛はシックスセンスが重要なの、特に女にはね。直感を捨てちゃったら何にもならないわ。天華だって、矢彦に対しての直感が働いたはずだけど」
「忘れた、いつの話にさかのぼるのよ」
「このっ、……忘れん坊将軍!」
「……それをいうなら暴れん坊将軍」
七海はとにかくっ、と息を弾ませた。
「初恋に惹かれるとかそんなことを考えてしまったら駄目に決まってるでしょ! もっと気楽に、考えたらいいじゃない。自分の好きな人が自分を好んでくれる。そう思うだけでも幸せな気分なったりしない? 身分違いな恋でもそういうラブストーリーはあるのよ?」
「本の内容をされても困るし、私は今実際に幸せじゃないし」
「天華が両想いだって思ってないからでしょ! 最初は惹かれあって始まったかも知れないけれど、断言するわ。矢彦は天華に恋している。だから自信持ってよ」
まさか七海にレクチャーされる日が来るなんて思わなかった。いつもは七海の傍についていろんな人の恋の話を聞いて、そうしている間に恋に憧れて。でも大人になってくるたびに恋をしない自分に不安がっていた。
そして、やっと始まった初恋の相手は過去の人。
「七海、もう遅いよ。私はあの時代には行けないの。戻れないんだもの」
「…………」
「戻りたいけれどね」
そう、もう戻れない。
どんなに願っても、もう叶うことは出来ない願いなんだから。
back
// top
// next
|
|