一通りの治療を終え、天華の顔色が良くなって来た。といっても幽鬼はもともと青白い顔をしているので顔色だけの判断では難しい。浜は戸惑いながらも天華を助けたのだ。
 浜は天華の運ばれた部屋を見て、前いた天華の部屋と同じだということに気付く。

「皮肉なものだわ」
「何?」
「わたくしはこの部屋に入れなかったというのに今はこうして楽に入る事が出来る。それって、ただわたくしが邪魔者だったということでしょう? わたくしがいればこの娘を唆してしまうから」

 そして今は必要とされたからここにいる。自分が薬師だったという事実を利用されている。そうだと分かれば自分は天華を助けたくはなかった。もともと天華のことは嫌いなのだから、絶対治療はしたくないと思っていた。
 思っていたはずなのに。

「でもやはり、わたくしはお人よしだった。親に似てしまって」
「いっておくけれど、浜。僕も天華の部屋に入れなかったんだよ。この部屋の隣は僕の部屋だけど、天華がこの部屋を使った数日の間は一度としてこの部屋に入ることを許されなかったんだ」
「まさか」
「嘘じゃないよ、僕は滅多に嘘をつかないからね。浜と同じ」

 浜は目を細める。

「僕もお人よしだったんだよ。矢彦と閑は僕から見れば冷酷な人間だ。容易に人を切り捨てる事が出来て、しっかりと物事を考えて動く人間。そう聞けば悪い人間にも聞こえるけど、これこそ里長に向いているんだよなぁ」
「……そうね、九卿は向いていないわ。正室から生まれた子供なのに、何故、とは思いはしたけれど、性格の問題ね」
「あはは、浜もやっぱり僕を見てくれてる」

 眉が動いたのを、九卿は笑って見ていた。
 人のいい笑顔。誰にでもその笑顔を振り回して、人々を安心させてきたその笑顔。無論、それは今の里長にも同じように振り回しては何度も安心させてきている。
 だが、自分だけはどうにもそれが納得できない。
 九卿は笑う方が似合っている。それは浜にも分かる。どんな大きい失敗をしてもそうやって笑っていれば気を許してしまいそうなほど、無邪気な笑いだと思った。そうやって馬鹿みたいに笑っていれば皆が集まってくる。そんな九卿を見て、自分はその笑顔が本物ではないように見えたのだ。
 偽りの笑顔。影で何を考えているのか、分からない。
 この里に来てから皆は閑や矢彦が怖いと言うけれど、本当に怖いのは九卿だと思った。

「九卿」
「何故僕と浜が天華に入れなかったのかというとね、僕らがお人よしだったからだよ」
「……どういう意味?」

 そして、自分よりも年下のくせに頭の回転は早い。

「お人よしだと天華の希望を聞き入れてしまいそうじゃない? 天華がこの里を出ようと考えていたら、僕等はきっと天華をこの里から出そうと考える。浜も、天華が敵だというけれど敵が望むなら迷わず手助けしてしまいそうだ」
「悪かったわね」

 不機嫌に意を表すと、九卿はまたもや無邪気そうに笑う。まさにその通りだ。憎いと思っていてもなかなかそれを行動に表せない。口だけの我侭だと自分でもわかっている。

「そして僕もきっとそう行動するだろうと思って矢彦は立ち入り禁止令を下したんだろうなぁ」

 そんなことないのにね、と九卿は浜に聞いてきた。
 その通りだ。九卿はそんなことしない。お人よしという性格は表の世界のためだけに作られた、偽の性格なんだから。本当は、きっと兄思いの策謀家に過ぎない。

「それで、もうこの部屋に入ってもいい、というわけなのね?」
「天華は多分この部屋から出ないだろうからね。迦楼羅も死んだことだし」

 清々した、と九卿は漏らす。浜にとってはいいことでもないのだが、九卿の本性が少しだけ現れてきたことに安心する。

「あとは天華が目を覚めるだけ」

 そう、あとは。
 天華がどう行動するか、だけ。








 私は目を覚ましたという自覚もなく、しばらくはぼんやりと前を見ていた。
 突然周りの景色が変わった事にも大して大事だとも思わず、夢の続きを繰り返していた。
 夢の中で現代の時代に、友達と何かを喋っていた、と思う。夢はいつものように朝起きると記憶の隅に追いやられてしまう。そして日にちがたてば、その記憶は自然と消えてしまうのだ。
 でも、いつもは気にならない夢の内容も、今日はどうにかして思い出そうとしていた。

――――友達は何と言っていたっけ……?

『だぁれ、それ?』

 私は、友達と会ってまず最初に抱きついたと思う。それで、私は何かを言っていた。
 その友達の返答が、それだ。
 それで私は固まって、……どうしたっけ?
 思い出せない。

『天華、大丈夫?』

 友達の七海(ななみ)は心配そうに私の顔を伺っていたように思う。

「大丈夫じゃないよ、七海」

 私は夢の中で違うことを口に出したはずなのだけど、今はそう思った。
 全然、大丈夫じゃないよ。私、自分が何なのかわからなくなってしまった。
 夢の中の七海はこのまま動こうとしない私にこういってきた。

『ねぇ、本当に天華?』

 夢の中の七海は、笑っていた――……。




 私は、そこで完全に目を覚ました。
 悪い夢を見たわけでもないのに息が上がり、汗がだらだらと出てくる。否、悪い夢だったのかもしれない。そうだ、きっとそう。あんな友達想いの七海が私に笑って……!
 頭を必死に振ってその考えを否定して、ふと自分の髪が白いことに気付いた。

「し、白髪?」

 もしやもう自分は老人になってしまったのかと自分の手を慌てて見るが、しわくちゃにはなっていない。よかった、まだ若いままだ。
 だからといって若いまま白髪になったのでは笑い話にもならない。
 その白髪になった自分の髪をよく見ると、ただの白髪になったのではないと気付いた。黒と交わればただの灰色になりそうな老人の髪とは違って、日光に直接浴びれば銀色にきらきらと輝く。私は愕然となった。
 まず思い浮かんだのは初めて見た幽鬼の、綺羅。
 次に思い浮かんだのは変身していないそのままの姿でいた幽鬼の彼方。
 その彼方の次に頭に思い浮かんだのは、ある言葉。

 私は――……。

 私が幽鬼になってしまったのはこの髪を見てすぐ悟った。でも、私が幽鬼になってしまったということは?




――――それは、彼方の死を意味する。

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