心臓がドクドクと鳴る。それはきっと怪我のせいでもあるのだと考えるのにはそう時間はかからなかった。
 私はだんだんと痛みが甦ってくることに恐れて、それでも矢彦の考えを正そうとそればかり願っていた。全神が願っていたって無駄なのは分かっている。それでも、願わずにはいられない。

「だめ、駄目だよ、矢彦。彼方は、彼方は私の迦楼羅なのっ!」
「それが疎ましい。天華は俺だけを見ていればいい」
「彼方っ、逃げてぇ!」

 振り返って彼方を見る。私たちがしゃべっている間もずっとそこにいたのは分かっている。表情も変えずに、ずっと悲しそうな顔をしていたことも。

「天華、無駄なんだよ。願いは叶わない。僕が死ぬことを願っているからね」
「貴様、勝手にのたれ死ねばいいものを、何故天華を刺した」

 そこで、ようやく私は彼方の矛盾の行動に気が付いた。
 彼方は何故私を刺したのか。

――――彼方は矢彦を煽動している……?

 そうだ、そうに違いない。私を刺せば、きっと矢彦は彼方を許さない。私が彼方を許したとしても、重傷を負った私に矢彦が冷静でいられるはずがない。自意識過剰かと思ったが、現に矢彦は冷静さを欠けているように見える。
 彼方は謎が解けた私に気が付いたのか、にっこりと笑った。

「いっ」

 再び激痛がして、今度は倒れるように崩れ落ちる。やばいかもしれない、眩暈さえしてくるのだから。出血多量で死ぬのかなぁ・・・。

「天華っ」
「もっと深く刺せば良かったかなぁ? そうすれば苦しむこともなくあっさり逝けただろうしね」
「貴様っ!」

――――やっぱり、彼方は煽動している。

 どうして彼方は自分が死ぬことを望んでいるのか。分かるはずもない自分の問いに答えられなかった。でも、もしかしたら、来抄の後を追おうとしているのかもしれない。




 ――だとしても、私は納得できなかった。
 矢彦は懐から刀を取り出し、彼方に向ける。鋭利な刃はきらりと光って不意に白神の男を思い出させるが、今はそれどころじゃない。

「だめっ!」
「……っ、なっ!」

 私は刀に飛びついて掴んだ。一気に手が赤く塗れたのが分かる。痛いけれど、わき腹の方が何倍も痛いし、それにもう痛みに少し慣れたような気がした。

「何をしている、放せっ」
「いやだ! 彼方を殺さないで、矢彦は私の全神なんでしょう?! 言うこと聞きなさい! それに、彼方!」

 びく、っと彼方の体が大きく揺れた。

「どうしてそんな簡単に死のうと思うの? もっと生きようよ、来抄さんの後を追ったって何も得しないわ。幽鬼でもそれなりに楽しめることがあると思うから…っだから、だからっ……!」

 彼方は優しく笑んでくれた。あぁ、いつでもこの人はこんな表情をする。誰かを安心させる笑み。私も例外ではなく、その笑みに力が緩む。

「有難う、天華。でもね、僕は自分のために死のうとしたわけじゃない。いうならば僕は天華のために、皆のためにこれから死ぬ。っと、これは綺羅に内緒にね」
「彼方……?」
「ごめんよ」
「意味がわからないわ、どうしてそれで私のためになるの? わけ、わかんないよっ」
「ごめん」

 彼方はそう呟いて、私に近づく。矢彦も私も警戒する事はなかった。幽鬼のさびしげな表情をした顔を見ると、体が動けないようになったのだ。

――――彼方、また願った……?

 動けない理由を悟ると、私の目の前に彼方の手が見えた。




 私を包んでくれた世界が暗転した――。








「浜、出番だよ」
「九卿? 何用よ、一体」
「怪我人。それも重傷のね」

 浜は疑問に思って九卿の汗ばんだ顔を見る。走ってきて少し頬が赤い。

「わたくしに頼るなんて、もしかして只事じゃないの? また成宮様が怪我をなされたとか」

 名医であった親を頼る人間は少なかった。今は死んでしまってここにはいないが、それでも生前薬師としての仕事はあまりしていなかったように思う。腕は確かなのだが、その理由を娘の浜も良くは知らない。薬師の仕事を引き継いだ浜も腕は確かだが、親よりも自分を頼るものは少なくなった。唯一関わってきたのは忍者の本家だけだ。本業にしようと思ったわけではないので別に思いとどまることでもないのだが、本家のほかに自分に頼ってきたものがいると知ると、好奇心を隠さずにいられない。
 だが、九卿はよりによって嬉しくない人の名を出した。

「そうではない、天華だ」
「……いやだわ。行かない」
「浜っ」
「嫌よ、なんでその人の面倒を見なければならないの?! わたくしは敵に塩を送るほど優しくはありませんっ」
「浜」

 はぁ、と九卿がため息をついた。わかっている、これは呆れの表情。そして心の中では自分のことをなんて我侭なんだろう、と思っているに違いない。

「重傷なら願ったりだわ。勝手に血を流して死ねばいいのよ。あの女はそれ相応のことをした。祟られたのよ」
「違う人に頼むしかないなぁ。出来れば天華の素性を隠せる人がいいと思ったんだけど」
「……どういう意味よ」

 九卿は気まずそうに言葉を濁した。
 それから発せられた言葉は信じられないことだった。




「天華、幽鬼になっているんだ」

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