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矢彦だと分かって、私は咄嗟に志穂の影に隠れる。
矢彦のためだと思ってあの言い方をして別れたつもりだった。綺羅に、矢彦はただ自分に惹かれただけだと言われ、そのまま私に依存すればいい事なんかひとつもない。だから別れようと思ったのだ。
それなのに、矢彦はここにいる。
何処まで私を追いかけていくのだろう……。
「天華? どうかしたっすか?」
「……その人、どうしてここにいるの」
「閑でしょう? 閑はいろいろあってこの神社に住んでいるんですよ。って天華、閑のことを知っているんですか?」
「閑?」
聞いたこともない名前だ。
「だれよ、閑って」
「いや、だからその男を指しているんですよ。今目の前にいる男は閑です」
志穂は分かりやすく指をさす。だけど、指をさしたその先は矢彦だ。
指された男は居心地悪そうに肩をすくめる。なんだか、矢彦らしくもないように見える。といっても性格を細かく語れるほど矢彦のことは知らないのだけど。
「何を言っているの、あれは矢彦でしょう?」
「だれっすか、それ」
「って、目の前にいる男の人よ!」
話がかみ合わず、私は混乱した。私は目の前にいる男を矢彦と言って、志穂は閑だと言い張る。どちらが正しいのかも分からないので、志穂は矢彦(おそらく)に声を荒げながらも名前を聞いた。
「お前はだれだ」
「……俺は矢彦じゃない、閑だ」
「うそ!」
私は目を凝らして閑と名乗る男を見る。
何処から見ても矢彦だ。間違いない。違う人には見えない。
戸惑う私に、閑は不機嫌そうに言う。
「矢彦とは、俺の双子の弟のことだ。多分今頃は忍者の里の長でもやっているんじゃないか?」
「閑が家出したからでしょ。弟君がいるなら私に言えばよかったのに。今はじめて聞いたよ?」
「はじめて言ったからな」
「……閑なんて嫌いだ」
冷たい態度をされた志穂は、今度は私の影に隠れる。
――――……矢彦にお兄さんなんていたんだ。
ちょっとした感動を覚え、私は閑をじろじろと見る。髪が長いのは二人の特徴らしい。しかし、よく見れば閑のほうが長いかもしれない。背丈も並んでみれば閑のほうが大きく感じる。やっぱり矢彦のお兄さんなんだなぁとしみじみと思う。私に兄弟がいないから、尚更だ。
私の視線は気にならないのか、閑は志穂の方をずっと見ていた。対して、見られている志穂は固まっている。
「そういえば、閑さんはどうして家出しているの? そう簡単に家のことを放り出してしまって構わないの?」
いつものように私は理由を尋ねる。なんだかこの時代に来てからこういう質問が多くなってしまった。それに気付いて口を噤む私だけど、閑はやはり気にしないらしい。意外と大雑把な性格をしているのだろうか。
「駆け落ちだ」
「ぶっ!」
駆け落ちといったときに志穂を抱きしめ、そして志穂は吹き出す。
「誰が駆け落ちしたんすか! 違いますでしょう! 閑はただ親の死因を調べているだけで、そして私はそれに手伝っているだけなのであって決して駆け落ちなんかじゃない!」
「理由の半分は駆け落ちのようなものだ」
「な、なな!」
閑の肩を掴んで志穂は必死に否定する。閑に抱きしめられているのはどうでもいいらしい。この二人はくっついているな、と確信した。
そんな二人を白い目で見る私も、閑はどうやら気に入らなかったらしく、再び顔をしかめて私のほうを注視した。
「何故お前は矢彦のことを知っている? どうやら弟から逃げているようだが」
さっきの行動で悟られたらしい。でも、逃げているというのとは少し違うような気がした。
私を見る閑の視線が痛い。私は怖じ気づいてじりじりと後退する。
「矢彦のことは、関係ない」
「では、なぜここに来た?」
「全神と迦楼羅のことが聞きたかったから……」
「おまえ自身が全神なのに、知らないこともあるのだな」
馬鹿にされた。卑下するような視線を受けて、でも私は動けない。閑の前ではなんだか体が思うように動かないのだ。
「全神は万能だと聞く。それに、お前は『赤の全神』だ」
「『赤の全神』? それって、片目だけが赤いから? 万能ってどういう意味よ?」
「以前、一度だけ『赤の全神』が訪れた事があります」
代わって志穂が言う。
「来抄と名乗ったその人は、迦楼羅になったのにも関わらず幽鬼になれなかった、『赤の全神』の生まれ変わりでした。そして、『赤の全神』だったときの記憶を持っていたのです」
「お前は、持っていないのか?」
――――神を殺したときの記憶?
そんなものは、ない。自分が神を殺した全神の生まれ変わりだということも知らなかったのに。
首を振ると、閑は驚いたように目を瞠った。
「早く記憶を取り戻した方がいい。でないと手遅れになる」
「手遅れ?」
「天華、今の榊はあなたを憎んでいる。正確には、あなたの幸せを憎んでいるっす」
「憎む? 私の命が危ないってこと?」
「違います、あなたの不幸を願ってる。だから、」
志穂は私を急かすような言い方をした。
「天華の周りの誰かが死んでしまうかもしれない」
『憎い』
そう呟いたのは誰だったか。
私が恋はわからないと言っていたときだったと思う。
そのときに呟いた言葉の意味は分からなかったけれど、もしその矛先が私にあったら?
――――まさか……!
私はまっすぐ屋敷に帰って、彼方を探した。闇雲に捜しても見つからないことは分かっている。だから木の上を中心に屋敷全体を走った。
ようやく見つけた彼方は木の下にいた。
「彼方、まだ生きてた?!」
「おいで」
息が上がっていることや、言った言葉の内容に彼方は触れない。
もう何もかも知っているような口ぶりだった。
「彼方?」
「外に出よう」
「……やだ、彼方、なんで」
「いいから」
片手で促されて私はその手をはたく。それでも彼方の穏やかな表情は変わらなかった。いつも私を安心させた表情だ。
だけど、今は、その表情がおかしい。
「彼方っ!」
ふわっと抱きしめられたかと思うと、ドスッという良く分からない音が聞こえた。
その次に来たのは激痛。
私はわき腹を刺されたのだ。
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