「あの人、彼方の兄さんなんだ?」
「七宝でしょ? そうだよ。本人は嫌がっているけどね」

 最初、私が彼方に声をかけるのを憚れた。けど本人は七宝の言葉にそれほど動じていないようだったので聞いてみると、どうやら彼方は七宝の事が嫌いでもないらしい。

「どうして彼方を嫌っているの、って聞いてもいい?」

 どうして人殺しと言われたのか、すごく気になった。彼方が人を殺すようなことをしていたとは思えないわけでもないけれど、今の時代じゃ当たり前になるのか、とても不思議だったのだ。

「兄上は……僕が兄上の許婚を死なせてしまったから、嫌っているんだ」
「人殺しじゃないよね、それ」
「僕が今までに人を殺した事がない、と思っているの?」
「愚問ね、彼方。殺した事があるに決まっているんでしょう。だけど身近の人を殺してしまったのか気になっただけよ。…彼方のこと人殺しって言うなんて酷いわ、と思っただけ。自分だってきっと何人かは殺したことあるのにさ……」

 私が言いたかったのはそのことだ。
 死なせてしまったことを人殺しと呼ぶのはどうかと思ったのだ。その人が昔の七宝の婚約者だとしてもそれは酷くないだろうか。

「僕が、父上と母上を殺したから、それもひっくるめて人殺しなんだろう」

 両親を殺した、という彼方に私は驚く。俯く彼方の顔をうかがうことは出来なくて、それが私に非を言われるのを避けているんだろうな、と感じた。
 だって、彼方が呟く声が苦しそうだったから。

「でも、彼方がその人たちを殺したのは、理由があるんでしょう? 彼方は意味もわからず親を殺す人じゃないわ。それに昔のこと、思い出させて悪かったわ、ごめんね」

 だから、私は力込めて言う。こんな彼方を見たくなかった。いつもの、へらへらとした意味のわからない彼方の方が私としても落ち着く。

「全神じゃなかった頃だ」

 でも、彼方は気にしていないようだった。自分を嘲るような笑い方をして、私を悲しくさせる。どうして、そんな顔をするの。

「僕がまだ全神にもなっていなかった頃、父上は迦楼羅で七宝の許婚のあの人は全神だった。あるとき、僕が綺羅に素質があるといわれて―――知らない間に父上を殺していた……」
「……」
「それを、あの人と兄上と母上は見ていたんだ。咄嗟に母上が父上に駆け寄って……寂しいだろうと思って、母上にも手をかけてしまった……。それをあの人は咎めはしなかったけど兄上は僕のことを冷たい目に見てきたんだ」

 自分の親を殺すというのは、どういう感じがするのだろう。少なくとも、彼方にとって無意識だったとしてもそれは嬉しくなかったはずだ。

「そしてあの人を、兄上の想い人をこの手で迦楼羅にしたんだ……」

 彼方は自分の手を握りしめ、頭に俯けたまま当てる。その姿はどう見ても後悔している人にしか見えなかった。

「僕が、まだ8歳の頃だった」
「その人は幸せじゃなかったの? 彼方を咎めようとはしなかったのでしょう? それは彼方を責めようとした訳じゃなくて、守ってあげたかったんじゃないかしら……それが幸せに繋がることはわからないけど、さ」

 あの人、と呼ぶ彼方を見て二人ともお互いが好きじゃないのかな、と私は思う。確かなことはいえないのは当たり前だけど、頭のどこかでそれを断言していた。その人のことを彼方が忘れられないでいるのだ、と。そしてその人も、彼方のことを。

「さぁ、幸せだったのかもしれないし、そうでなかったのかもしれない。今となっては分からないよ、……僕がまだ小さい頃だったし、もう何年も昔の話だ。それでも僕は幸せだったよ」
「その人の事が好きだったのね」

 疑問ではなく、もう分かりきったこと。彼方はその人が好き。
 不安そうに呟いた彼方は、泣きそうな表情になりながらも頷く。

「好きだったよ。迦楼羅としてではなく、1人の女性として僕はあの人を愛していた。……でも死んでしまった。全神に殺されたんだ」
「彼方じゃないよね、……誰?」
「まだ全神だった頃の綺羅に」
「……っ」

 私は綺羅にとてつもない憎悪を感じた。何故彼方の迦楼羅を殺したのか。
 綺羅は優しいと私は思っていたけれど、思い返せばそうでもない。本当のことを幾つか教えてもらったけれど、それと優しいことと結び付けてはいけない。そういえば、柳に対する態度を見れば傲慢だった気がする。
 一体、何者なんだろう。

「どうして彼方は綺羅さんを憎まないのよ……むしろ頼っているような気がするんだけど」
「綺羅は人の幸せが憎いんだ。恋愛沙汰になるとそれを破壊してしまうらしいよ。……特に、あの人に対しては酷かったね」
「幸せを憎むの? 自分が幸せになればいいのに。せっかくの迦楼羅なんだから願ってしまえばいいのに、憎む、なんて」

 言っていて、自分が何を言っているのかわからなくなってきた。

――――迦楼羅に願えばいい? ……なんでそう思ったの。

 自分が幸せじゃなかったとき、じゃあ自分は幸せになりたいと思っただろうか。
 私は少し過去を思い出す。……ちがう。自分を不幸にした人が不幸になればいいのに。そう思っていた。まず自分が幸せになるよりも、他の人の不幸を願う。
 そうでなければ、自分がどんなに幸せになっても、また不幸になってしまうから。

「可哀想な人だろう? 綺羅が幸せだったときなんて、一生のうちのほんの少しだけだった。幸せだったときを奪われてから、綺羅は全神と迦楼羅を憎むためだけに果てのない輪廻を続けてきたんだ。それは終わりの見えない、永遠のもの。綺羅がそれを続けている間、全神と迦楼羅は生まれ変わるよ……でもそれは終わらせるべきだ。憎しみと哀しみだけの神なんてもう必要ない」
「……うん、そうね。憎んで憎まれるだけの神だったら、いっそ存在しない方がいいわ」

 言い方はきついけれど今はそう思う。
 綺羅がそれを止めればいいのだが、本人が無意識だとしたら解決するには難しい。

「だからあの人は考えたんだ。『それなら私が終わらせましょう』、と」
「……でもそれは無理だったのね」
「いや、まだだよ。あの人の意思は終わっていない」
「え?」

 首を振って否定する彼方に私は目を丸くする。

――――まだ終わってない?

「……?その人は死んじゃったんでしょう?」
「あの人は死ぬ前、僕に願ったんだ。『遥か未来の時代に彼方だけの全神と生まれ変わって、いつかこの時代に還りましょう』、とね」

――――どういう意味?

 頭のどこかでその彼方の言葉に納得した気がしてならない。まだ私は何も分からないのに、そのどこかで聴いたことのある台詞に私は敏感になっていた。

「言うのが遅れたね、天華。申し訳ない」

 やっと俯けていた顔を上げ、彼方は正面から私を見る形となった。
 両目の赤い瞳の視線が、痛い。




「お帰り、僕の迦楼羅。―――来抄(らいしょう)」

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