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『お帰り。僕の迦楼羅、来抄』
「らい、しょう――?」
急に、心の底がズクン、と沈むような感触がした。否、沈むとは、ちょっと表現が違う。
ピッタリ当てはまるような感じだ。その呼び名に、ふらふらと夢遊病みたいに彷徨っていた私の知らない何かが、心の奥にすとんと調和する、まさにそんな感じだった。
何が当てはまったのか、分からない。いつも私の傍にあり、それでも私とは違う別物がそこにどんなときでもあった。それが合体したような感触という他に、どんな表現が出来るだろうか。
彼方にその名前で再び呼ばれると、無意識に体が動いた。自分の意思とは別に。
「来抄」
「私は、来抄じゃないっ」
「わかっている。だから、そのまま首を絞めてもいいんだよ」
何故か、私の手は彼方の首に触れていた。
――――殺しちゃうの? だめだよ、私は、彼方を殺したくない!
「やはり僕は来抄に恨まれていた……。それもそうだね。僕は来抄の迦楼羅を殺して、そして兄上の許婚という座を取り外した。……あの頃、幸せだったのは僕だけだったのだね」
「それは違うわ」
彼方のひんやりとして首に手を置いたまま、私は勝手に喋る。体は勝手に動くけれど、でもそれは彼方を殺そうとしているわけでもなく、恨んでいるわけでもないと分かった。彼方の首に触れさえしているものの、手はまるで力が入らないといっているかのように絞めようとはしなかったからだ。
どうしてそれだけで彼方を憎もうとしていないと分かったのかは、分からない。私が来抄の生まれ変わりだからといって来抄の気持ちが分かるわけでもない。だって、前世の気持ちなんか普通分かると思う?
でも、それは屋上から飛び降りる前の感覚に似ていた。私じゃない誰かの意志なんだ。きっとそれは、来抄。
「私、彼方を殺さない。殺せない」
――――殺してしまえば、それらの使命は果たさなくても良くなるかもしれない、だけど。
「彼方がいなくなっちゃったら、私は本当の一人ぼっち……何処に行っても、全神の私しか求めないんだもの。山賊の地だって、そうだった。私が全神だったから、留めてくれただけだわ。でなければ、こんな我侭な私を世話しようなんて思わないでしょう」
「それをいうなら、僕だって……君を全神としてみている。君のことを好きになりたいと思いながらも、君を全神としか求められない」
「……それでも、いいの。恋とは呼べないけれど、私は彼方の事が好きだから」
心の奥底で、さっきから少年の姿がちらついて仕方がなかった。髪が長くて、いいにおいのする少年の姿。でも私はその少年を振り払った。
せめて、今だけ。今だけは……。
私の我侭にさせて。
「結局は」
ふぅ、とため息をつく。
「一言にまとめてしまえばお終いなのにね。私たちは全神と迦楼羅で、そこにお互いを求めるような愛はない、ってね。どうしてこうも、諦めがつかないのかしら」
まだ首に触れている私の手は、そこから離れようとはしなかった。
「惹かれる、なんてややこしいことするから私たちがこんな混乱しなくちゃいけないような気がするのだけど。しかも関係のない人まで巻き込んでさ……」
――――あ、なんか無性に腹立ってきた。
幽鬼の姿に戻っている彼方を見ると尚更それが頭にきて視線を逸らした。それを察したのか、彼方は深く追及してこない。一方、私じゃない私は体を動かすのを止めたのか、私の体が自由になる。それが分かって咄嗟に彼方の首から手を離すと、彼方に手を握られた。
「皆が全神に惹かれ、そして全神が迦楼羅に惹かれていくのは必然なんだよ。……最初の全神がそうであったように、僕たちはその道を歩む羽目になるんだ」
「じゃあ、綺羅さんが言っていた迦楼羅の末路は、やっぱり全神に殺されてしまうことなの? 皆、そうして死んでしまったの?」
「そう、皆」
「……いやよ、それ」
「だから来抄は願った。そしてその願いを、天華。君に委ねたんだよ。もう1人の自分である天華に」
――――……綺羅さんの輪廻の輪を崩す。そんなこと、できるものなの?
覚悟を決めたとしても、それは無理のような気がしてきた。どうして輪廻が永遠と続いていくのか。それについての疑問もあったのだけど、何より私にそんな資格がないように思えてならなかったのだ。
『頼まれてよ、天華。私はあなたに託すしかなかったのよ』
突然、私の体が金縛り状態みたいに体がピクリとも動けなくなった。そこに、頭の中に響いたのは右目が初めて赤くなったとき、私に忠告した声と同じだった。自分の意思だと思っていたその声は、早くしないといけないよ、とそれだけを言っていた。
『あたしと彼方はそれだけを願うの、今では』
手先までびりびりとしびれる。痛覚を通してはいないはずなのに、何故かそれが痛いんだと思わせてきた。
――――あなたは、来抄さん?
『早く、早くして天華。でないと』
「天華」
痺れと来抄らしき人の声がなくなったかと思うと、今度は彼方だ。彼方はさっきと変わらない姿勢でそこにいる。
「早くしないと、また殺されてしまうよ」
「彼方が? だれに?」
「僕じゃなくて、天華だよ。僕が死ぬことなんて分かりきっている。でも天華は僕たちの望みだ。少なくとも、僕と来抄の」
そこで言葉をひとつきり、彼方は目を伏せた。
「また、綺羅に殺されるよ」
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