冬の冷え込む時期の最中に地面が雪で覆われていた。陸奥の地においてはそれが珍しいとも思わない。ただ例年よりも少しだけ降るのが遅かったということだけだろう。

「千鳥、寂しくなったわね」

 雪が降っているから、尚更そう思えてくる。冬の間はあまり活動せず、山賊たちは家の中に引きこもって久しぶりに遊びに興じているところだろう。十分蓄えもあるため、雪除けをする以外に、わざわざ外に出るものがいなかった。

「天華と彼方がいなくなったからね」
「うん」

 樋都は、天華がいなくなってからよく千鳥と喋るようになった。女嫌いはそう簡単に直るだけでもないし、千鳥と喋るだけでも大きな進歩だと、雷が言っていたのを思い出す。もとはといえば雷が原因なのだが、そういわれると少しだけ嬉しくもなる。
 そして今日もする事がなく二人で他愛ない話をしていたが、千鳥が突然天華の話を振った。

「天華は一体どこにいったのかしら」
「彼方が心当たりがある、といって出て行ったままだけれど」

 言葉の途中で、樋都はため息をつく。

「多分、もう戻ってこないと思う」

 天華に有難う、と告げたかったのに、彼方を捜す姿を最後に、もう会うことはなかった。天華が彼方を捜す途中、幾人ばかりがそれを見たといっていたが、それきりだ。最後の目撃者はどう考えても彼方だろう、と思う。その彼方が何もいわず出て行ってしまったのだから樋都は捜すに捜せなかった。

「樋都もそう思うのね。もう天華はここに戻らないだろう、って。おそらく彼方も」
「……えぇ」
「巫女の樋都がそう言うなら、私はもう会えないのね。それは寂しいに決まってるわ」

 全神であった天華。そして彼方は、自分が天華の迦楼羅である、と千鳥と雷に告げたらしい。どうして自分に告げなかったのか、それが唯一心に引っかかるものだが、今どうこう昔のことを言ったってもうどうしようもないことだ。

「ねぇ、樋都。天華は本当に全神なのかしら?」

 目を丸くし、千鳥を見る。当たり前でしょう、とは言えなかった。

「『皆は全神に惹かれる』。この昔話が本当なら、天華は皆に好かれていた? 何処に行っても惹かれる対象だったかしら? ……もしそうなら、何故雷は天華を抱かなかったの? 惹かれるほど強烈な思いだったのなら、雷は今頃天華に心を奪われてもおかしくないはずよ。山賊たちも、天華を女だと勘違いしていても惹かれることはなかったわ。何より、白神の男が全神であるはずの天華を殺そうとした。惹かれるはずの全神が殺される、なんておかしいでしょう? ……もしかしたら、天華は全神じゃなかったのかも」

 千鳥の言うことは一理ある。自分だって、天華に惹かれたのか、と言われるとそうでないような気がしてくる。天華を気に入ったのは、天華が全神だからなのではなく、天華の人格そのものに気に入ったからだ。

――――じゃあ、天華は本当は全神じゃなかった……?

「だけどね、千鳥。惹かれるといっても、一部の人だけなのかもしれないわ。私たちは惹かれなかったけれど、もっと違う人には惹かれていったのかもしれないわ。それに、天華は全神の証である玉をちゃんと持っていた。それで十分じゃない」
「樋都、何故天華は片目だけ赤くなったりするのかしら」
「それは……」

 呟いただけで、樋都はその先が言えなかった。
 以前、彼方から聞いた事があった。白く長い髪と赤い瞳を持つ、人間の形をしている霊魂を幽鬼と呼ぶのだと。そして、幽鬼は一人の全神を支配する、迦楼羅だ、とも。

「天華、本当は迦楼羅じゃないかしら」




『でも、迦楼羅はもっと可哀想な人。独りで死んでしまうのよ』

『私がずっと傍に居たかったのに』




 樋都は、いつかの天華らしくない発言をしたときを思い出した。

――――あれは、誰だったのだろう。








「でも、綺羅さん。どうやってここから逃げるの? ここの土地、さっぱりなのよ」
「問題ない」

 おどおどする私にかまわず綺羅は外へと促す。ふわっと冷たい感触が足の裏に当たり、身震いをした。雪が積もっているのだと、そのとき気づく。

――――数日前は涼しかったのに、ちょっと時が経つだけで寒くなるんだ……。

 樋都から聞いたこの陸奥という場所は東京よりも寒い所なんだな、と思った。はるか遠くの北東、と聞いた覚えがあるから、おそらく東北なのだろう。
 突然、綺羅が顔を上げた。普段柳が出入りしている襖の方角だ。そこに視線を向けると、矢彦がいた。

――――いつの間に……!

 さすが忍者というべきか、綺羅でもさっきまでは気づく事が出来なかったのだろう。綺羅の顔が引きつっているように見えた。

「曲者、その者を連れて何処へ行くつもりだ」

 その言葉は、人間には見えないはずの綺羅に向けられていた。きっと彼も、柳と同じように何らかの事情で全神や迦楼羅に関わったのだろう。そうでなければ、幽鬼の姿を見ることは出来ないはずだ。その事情のうちのひとつの原因が私かも知れない。そう思うと悲しくなってくる。

「……」

 綺羅は何も言わず、じっと矢彦のほうを見ていた。睨むわけでもなく、ただ見るだけである。だけど、そんな二人を見ていると、私はやりきれない気持ちでいっぱいになった。二人は向かい合ったまま、動こうとはしない。私が動かなきゃ、駄目なんだ。
 ゆっくりと綺羅につかまれている腕をはずし、再び部屋の中に入る。そのことに気づいているだろうけれど、綺羅は私を止めようとはしなかった。そして私は、矢彦のほうへと歩み寄った。

「綺羅さんは関係ないの。ただ、私がここから去るのに協力してもらっているだけ」
「どうして、ここから去る必要がある?」

 悲しそうな目で見られ、私は狼狽する。そして急に涙が出そうになってそれを堪えた。
 まだ泣いては駄目。全てを言わなくちゃいけない。

「いつか気づくから、間違いだったって。そしてこれがきっと最善策だろうって。私はあなたの想い人じゃない。想い人にもなれなかった、全神だから。……思い違いだったのよ」
「違う」
「私は全神。あなたは人間。――それ以外に何があるの?」
「俺はあなたの傍にいては駄目なのか」
「あなたはただ私に惹かれているだけなのよ……それは本当の愛とは呼ばない」

 そこまで言うと、矢彦は黙りこくった。諦めがついたのだろう、と天華は予想がつく。

「さようなら……。忘れてしまうといいわ、私のこと」
「……」
「全神とはいえ、あなたの心を奪ってしまった不埒な女だから。それに、あなたの傍にいられないのは私のほう、だから」

――全神は、迦楼羅のもとにいなければならない。

「さようなら」

 もう一度呟いて、綺羅のところへ戻る。

「帰ろう、私の迦楼羅のもとへ」

 綺羅は返事の代わりに小さな手を差し伸べ、私の手と触れた。
 それと同時に、ふもとに入れていた『呪』の玉がまぶしく光った――。








 瞬く間に、風景が変わった。屋敷があったところには別の形をした屋敷が、そして雪に覆われていた地面は少しだけ地肌を見せている。
 おそらく迦楼羅である綺羅が『願った』のだろう。そして私が意識をするわけでもなく、その願いを叶え、この場所に瞬間移動したに違いない。

――――良かった。

 一刻も早くあそこから去っていきたかった。悲しそうな目を、あれ以上見る事が出来なかったから。

「お帰り、天華」

 聞きなれた、気持ちの良い声が上から降ってきた。顔を上げると、そこに彼方がいる。変わり果てた彼方と一目見て、彼方とすぐに判断は出来なかった。幽鬼の特徴である白く長い髪をたらし、私を見る赤い目を輝かせていたからだ。でも相変わらずの美貌はそのままだし、木の上に登って私を見下ろすような姿は、前とは変わらない彼方だった。

「彼方っ……!」

 絶え切れず手を伸ばすと、彼方は木から飛び降り、私を抱きしめてくれた。それが嬉しくて、でも心はまだ悲しくて、矛盾した心の奥そこから涙があふれた。

――――もう、我慢することはない……。

「私、どうしてこの時代に来ちゃったんだろう……! どうして、私が全神なんだろう…っ」




――――全てがこうじゃなければ、皆に会わないで済んだのに……。

――――わけのわからない感情に囚われることもなかったはずなのに……。

 それから泣き疲れるまでの数時間、彼方は何も言わず、優しく背中をさすってくれていた。

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