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声を上げながら泣いている間、彼方はほんの少しだけ私に語りかけた。
「あいつには会ったの?」
あいつ?
「天華が好きになるかもしれない男。きっと向こう側にいたはずだよ」
矢彦のことを言うなら、もう決別した。……もう会うことはない。
「そう……会ったんだね。それなら綺羅もその矢彦に会ったのだね」
……?
「天華、気をつけるんだよ。君を恨んでいる人がいるんだ」
彼方……。
「僕が死んだら、あいつのところに戻るんだ。それ以上の方法はない」
嫌……あそこに戻りたくはない。惨めな気持ちになるばかりだわ。
「天華。僕の願いだといったら叶えてくれるかい? 直接叶えさせようとは僕もしないよ。別に君が無理に叶えなくてもいい。むしろ僕が死んだ後、あいつの所に行くのは無茶というのかもしれない。でも、そうしなければいけないんだ」
いやだよ! 彼方が死ぬなんて、いやだ!
「僕はそろそろ死ぬよ。それはどんなに足掻いたとしても、それだけは変わらない」
なら、私に願ってよ、死にたくはない、って。私、彼方を精一杯守るから……。
「願えばそれは出来るかもしれない。でもね、天華。僕には未来が少しだけ見えるんだよ。そしてその未来に僕は必要ない。要るのは天華だけだ」
わからないっ! 彼方がいなくなっちゃったら、私きっと何処にもいけないわ!
「あいつの所が嫌なら、山賊の地へ戻ればいい。それは望むべき所ではないが、天華にとって救いにもなるだろうね」
……彼方は、ずっと私の傍にいてくれないの? 皆みんな、私の前からいなくなっちゃうの?
「僕は故意に君の前から消えていく。……こんな男、捨ててしまえばよかったのに、君は僕の所に戻って来てくれた」
だって、彼方しかいなかった。もう、私には彼方しか残っていなかった。
「違う、今のことじゃないよ。確かに今の天華には、僕しか残っていない。導いたのは綺羅だけど、戻るのは必然だったろうね。……そうではなく、それよりも以前のことだ」
彼方?
「どうして、時代をこえてまで、僕の前に現れた? 僕が願ったとしても、それを叶おうとしなければいいのに、全神はそれを許されるのに、どうして」
……彼方が、私を呼んだの。この時代に、彼方が私を呼んだの?
「そうだよ、僕が呼んだ。それが僕の迦楼羅の願いだったから、僕は必然的に天華を呼んだ。天華が、…………だから…」
え…? 私が、何、だから?
「僕は、自分の感情が分からない。昔からそうだ……。単純に天華の事が好きであったらいいのに、よくわからない」
彼方。
「複雑なんだ。昔はこうじゃなかったのに、と思う」
彼方、私もわからない。彼方の事が好きなのか、それとも違う感情を持っているのか……。私でない私が、彼方の事が好きだといっているけれど、それが私には違うような気がして、それでも私は彼方が好きで……。本当に、よくわからない。
「こうやって抱きしめて、抱きしめられているのに、天華が遠い存在に思えてくる。……やっぱり君は、未来にいるべき人なんだね。どんなに僕が願おうとしても決して僕のものにはならない」
彼方がそう思うのならっ、私は傍にいるよ! ねぇ、彼方……。
「そばにいても、君の心はそこにはない」
……そうかも、しれない。
「こうやって、気兼ねもなく抱きしめていられるのは、きっとこれで最後だよ」
彼方……。
「そして、これが最初で最後の……」
ふわっとやわらかい感触がした。思っていたよりは冷たくなくて、それでも人間にしては冷たすぎる感触だったのかもしれない。
「最後の、接吻だから」
恥ずかしい、なんて感情はなかった。そして、嬉しいという感情もなかった。ただ悲しくて、涙をこぼすことしか出来なかった。
「僕たちはお互いに求めておきながら、心はそれぞれ違う所にあった。だから、僕たちが結ばれることはない。だから、これが最後の接吻だよ」
うん、と私が頷いた。
そう、彼方と私は永遠に結ばれない。そういう間柄で生まれてしまった。
迦楼羅と全神という、愛憎の関係に。
「見てごらん、あれが僕の故郷だよ」
泣いて腫れた目を開けるのは憂鬱だったが、彼方の故郷と聞けば顔を上げるしかなかった。
「あれは……」
「そう、神代」
見たことのある屋敷だった。屋敷の周りにたくさんの大きな木があって、その中でひとつだけ格別に大きい木があったのを覚えている。
「僕があそこの家系として生まれて、全神として崇められた所。そして僕がまだ小さい頃に、迦楼羅がいた。その迦楼羅が死んでしまってからは僕が迦楼羅になってしまって、あの地から離れたんだよ」
「……そうだったの」
「そしてあそこには、古くから全神と迦楼羅の伝説の発祥の地と言われている神社がある。そこで、いろいろな話が聞けるはずだよ。……僕たちの始まりの伝説を」
――――私たちの始まりの、伝説?
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