ばたばたと慌ただしく、樋都がわめきながら私の目の前をいったり来たりしている。私の隣にいる、樋都をこの状態にさせた原因の女性はずっとそれを微笑ましく眺めていた。
 とっても美人なその女性は、樋都が布の山に躓けば遠慮なく吹き出し、それに気付いた樋都に睨まれると私を盾にして隠れた。その樋都の睥睨に私はつい怯んでしまう。それでも女性はまるで花のように微笑むため、私は盾にするのをやめて欲しいという願いを萎えさせるのだ。恐ろしいわ、全く。
 先ほどまで向けられていた笑顔を私のほうへ向けられると、思わずこちらもつられて笑ってしまう。というか、笑顔をこちらに向けないで欲しい。美人な女性に顔を向けられるだけでもどきどきしてしまうという初心の私にこれはないだろう。
 たじたじになって必死で笑顔を送り返していると、突然視界が変わった。

「彼方、私の邪魔をしないでくれる? 雷からの伝言はもう聞いたんだからもう用はないでしょう、どうしてここにいるわけ?」

 そういって私を抱きしめる力を強くした。苦しいのだけど、それよりも私は彼方という名前に反応した。

――――彼方って名前どこかで聞いたような気がするんだけど……どこで聞いたっけ?

 彼方と呼ばれた女性は、視線を私から外して、また微笑んだ。

「樋都がちゃんと服を選ぶかなぁと思って」
「嘘でしょ」
「嘘じゃないさ。可愛らしいその子を少年に仕立てようというのだから、嫌だ嫌だと樋都が少女の服にしないだろうかと思ったんだよ」
「真っ赤な嘘ね。私には通じないわよ」
「あぁ、やはり無理かぁ。冗談通じない女は気難しいねぇ」

 ねぇ? と彼方は私に聞いてきた。聞かないで欲しい、頷いていいかわからなくなるじゃない。
 ギロッと樋都は彼方を睨んだ。下手したらこれが私のほうへ向けられていたのかも知れない。

「本当のことを言いなさい。何がお望みなわけ? そうしたらあなたの体を粉々に切り刻んで裏庭の薔薇の肥料にしてそれから咲いた花ごと火葬して海の底に埋めてあげることを免れるわよ」
「うわぁ、手が凝ってる」
「それともあなたの目をくりぬいてそれを蛇と一緒につけた酒をあなたに飲ませて飢えた男共に放り投げてあげるから犯されてみてはどう?」
「なかなか楽しそうだね。でも僕としては酒よりも酢のほうが好ましいね。それをキュウリや大根につけるととても美味しいのだよ。今度試してみてごらん。あと、酒は媚薬だというけれど、僕にとって媚薬は効かないから、たとえ飢えている男に放り投げられたって発情なんかはしないよ。特に男の中なんかではね。樋都なら女を用意してくれるとは思っていないけどさ」
「あ、あなたが犯してどうするのよ?! ちょっと天華、聞いた? 彼方はああいいう男なんだから近づいちゃ駄目よ!」

 さらに力を込めた樋都は死にかけた私のほうを見て、慌てて腕を放してくれた。私は必死で呼吸をしてひとまずそれに安心してから、頭の思考を切り替えた。
 首を絞められていたけれど、ちゃーんと話は聞いていた。

「彼方さんって、男だったんだね……」

 そして普通の男よりも怖いのだということが実によくわかる会話だったといえよう。
 彼方は笑って私に近づいた。……ちょっと尻込みするけれど、気にしない気にしない。

「初めまして、天華。この村は山賊の輩がいるというのに疑いもせず近づいた間抜けな少女。それでもこちらの風には流されず、自分の道を切り開いた勇気ある少女。あなたはまるで迦楼羅神のようだね。清らかな川に小鳥が囀ることと同じように、勇気ある将はその将に忠誠を誓って命を賭す家来を持つ。その将は迦楼羅のような魂を持ち、それに惹かれた家来は恋するのだ。あなたは樋都という家来を得た。……家来といっては雷と樋都に悪いかな、まぁいいか。あなたは穢れを知らぬその心でいつかは多くのものを家来にするのであろう? ……実際もう恋されているのかもしれないよ、昔会った人か先日会った人に。愛を説かれたことは?」
「彼方、天華は一度死んだと、雷から聞かなかったのかしら? 死んだばかりの生者なのよ。それもここの者ではない」
「……そうだったね。だが、海道に会うまでは、確かに誰かと会ったはずだよ」
「えっと、矢彦という人? でも愛なんかは説かれていないわ」

 それよりも熱出していたし、しゃべるなといっていたのは私だ。愛なんか説かれる暇も無かった。その前に、まずありえない話だと思う。どうして愛を説かれなければいけないのさ。

「じゃあ、他の人には?」
「しつこい、彼方。会ったとしても私たちに何の利益があるというのよ。私たちに、何の関係があるというの? 天華は天華。彼方如きに縛られる人間ではないのよ」
「……樋都の言う通り、かな。彼女は確かに、縛られる人間ではない。むしろ、その逆の存在なんだ」

 彼方はそう言って、私と向かい合った。

「全神とは何か、知っているかい?」

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