「全神とはあらゆる願いを叶える者。憎むべき存在には恨む憎悪を、愛しい存在には愛でる恋を与える唯一の者。この存在を、聡い君なら判るはずだよ。この世の構造と革命は迦楼羅を元に繰り広げられる。だが、迦楼羅は仏、神だ。誰も見ることが適わない。だから誰も迦楼羅が存在しているとは思っていないのだろうね。だが、その迦楼羅を海の中や森の中、大気の中から目敏く見つけることができる者を全神と、此処ではそう言い伝えられてきた。迦楼羅の姿を唯一見ることが出来るからこそ、全神と言われるようになった。ずいぶんと勝手な話だけどね」
「ようするに全神は神と同等の地位だということ。だって、全神の声は迦楼羅の声なの。今はもうそのことは黙秘にされているけれど、どこかで今も全神がいるはずなの。天華、わかった?」

 私はひとまず首をかしげることにした。話の内容はわかった。とりあえず迦楼羅は神様で、その家来のようなものが全神ということだろう。そして全神は迦楼羅の言うことにしたがって願いを叶えることができるのだろう。だけど、どうしてそれを私に説明するのかよくわからない。

「どうしてそれを私に言うの? そりゃあさ、私は死んだばかりで、ここの地方のことをよく知らない人間だからここの知識は無いよ。だから無知と言われても否定はしない。しないけど、なんかおかしくない? ……まず、あなたたちはまるで私が迦楼羅、神さまのようだと言っているんでしょう? どうしてそう思うの? それより、迦楼羅は見えないんじゃないの? どうしてあなたたちは見えているのよ」

 彼方は小さく笑った。何故か、愁いの表情にも見える。

「やはり聡い子だね。君は早すぎる話だったのかもしれない。この話は一旦お終いにしよう」

 彼方は自分が入ってきた戸口に歩を進めて、その隅に腰を掛けた。私と樋都は呆然と彼方の行動を眺めていた。彼方の行動自体はどうってことないけど、先ほどからの言動がいまいちよくわからない。樋都も同じ気持ちなのだろう。
 見られていることに気付いたのか、彼方は手を叩いて樋都に聞いた。

「それよりも、樋都。彼女に合う着物は見出せたのかい?」

 樋都はハッとして、次第に眉をひそめていった。

「ちょっとまちなさい」

 彼方に言ったのか、それとも私に言ったのかわからなかったので私は適当に返事をした。
 樋都は着物の山(おそらく山賊の仕事、というか盗みでかっぱらってきたものだと思う)からひとつだけを取り出して私のほうへ投げた。落とさないように慌てて受け取り、着物を広げてみる。着物は茜色で、隅のほうにトンボの絵があった。最初に着ていた浅葱色の着物よりも質はかなり落ちていて、農民が着るような素朴な感じがして所々が破けていた。だけど、動きやすそうなのでどちらかというとこっちの方が私の好みだと思う。
 樋都はどうやら私の反応を見ていたらしく、私が顔を明るくしたのを見て満足げに私の手から着物を再びとった。
 素早く着物の袖を通され、帯を締めたあと、樋都は満足そうに頷いた。私にしては満足と言うより、悔しげな表情をしたのも見えたのだけど。

「これでいいんでしょ? 伝言どおり、少年に見立てたわよ」
「その茜色、天華に似合うよ。さすが樋都だね。僕がいなかったら晴れ着を着せそうだね」
「そのつもりだったのよ。雷の伝言で仕方なくこれにしただけだわ。でなければこんな風な着物を着せなかったし、彼方と話そうとも思わなかったわ」

 きつい言葉をした樋都に対して、彼方は肩をすくめた。

「だからお頭は可哀想な僕に樋都と会わせる機会を与えてくださったんだよ。それなのに樋都は僕に罵倒ばかり。いくら忍耐強い僕であってもめげる時はめげるんだよ?」
「まさか、そんな冗談ばっかり言うから信じられないんじゃない」
「ひどいなぁ、冗談じゃないのに」
「冗談に決まっているでしょ」
「ふ、二人とも! いい加減にしてください!」

 仲が悪くなるばかりで、せめて歯止めしてあげようとして言ったのに二人は目を丸くするだけで、何も反応を示してくれなかった。む、虚しい。
 しばらくして彼方が吹き出した。樋都はまだ驚いていて、私を見たままだ。

――――な、なんで私は笑われているんだろう……?

「ふふふ……愚考だね、天華。愚かで馬鹿げている。……でも気の強い娘だね」

 声に出して笑うのを止め、顔だけの表情を出した。

――――えっと、それは貶しているの? それとも誉めているの?

 それよりも、彼方の言う大半は理解できていない。言葉はそれほど難しくはないけど、矛盾しているから難しく感じるのだと思う。
 彼方はまだ肩を揺らしていて、しばらくその状態が続いていた。やがて、それが収まったかと思うと、急にしんみりとした態度で悲しそうな表情になった。

「君はまだ僕がこのような素振りをする理由を知らないのだね。今はまだ、知らなくてもいい。でもいつかは知らなければいけない。それが誰のためになるのかと聞かれればそれは答えられないけれど、君は君としての意味と幽鬼という意味を理解しなければならない。迦楼羅はいつでも君を見守っていること、忘れないようにね。そしていつの日か、君が迦楼羅になる日を迦楼羅は望むのだよ」

 そういって彼方は私に近づいて耳元でささやいた。その言葉は、あまりにも小さくて虚空に消えてしまいそうなほど脆かった。

 back // top // next
inserted by FC2 system