Bond




[.海の神殿


 世界の名は、ヤマト。

 ヤマトには一つの大きな大陸と、それを囲む複数の小さな島がある。大陸には、世界――ヤマトが生まれてからずっとあるという巨大な樹を中心に、今は三つの都が置かれている。
 そのうちの一つである、水の都アクアミューズ。
 都を別つ巨大な樹から南に位置し、昔ながらの魔法が息づいているこの地では、今は数少ない水眷族が住んでいた。
 それぞれの眷族は、それぞれの属する魔法を使う。例えば、炎眷族は炎を使う、というように。だが、炎は炎でもその中には異質な炎が存在する。異質な炎は華灯と呼ばれ、何かを犠牲に人の命を救うことができる。水もまた然り、異質な水――法水はヤマトと異界を繋ぐ道となる。
 そして、水眷族、とは水を操る者。ただの水だけでなく、法水さえも巧みに使うことができる。過去の水眷族はこの法水を使って様々な文化をこのヤマトに取り入れた。そのなかに地球の文化もあり、宗教にかかわらないヤマトの住民たちはそれらを受け入れた。法水は華灯と違って消えることがなく、また消費しても海や川からまた取り出すことができる、水眷族にとっては必需品である。
 だが、法水は一歩間違えると人の命を脅かす。かつてヤマトには、今ある三つの都には劣らない大きな都があったが、水眷族が法水を使って引き起こした大地震によって滅亡してしまった。
 今も伝えられる悲惨な地震。『世界の覇者』として人々を脅かしてきた水眷族はもう少なく、今はもう微かに生きているだけだった。

 その水眷族の例にもれないミーア・ナンシーは、世界の滅亡を望んでいた。








 アクアミューズの一画。水の都と呼ばれるには程遠い土地が広がる中で、唯一砂漠でなく水が膨大に集まるところがある。そこは広大な森である雷の都から流れる澄んだ奇麗な川と、ダンディアムの世界一を誇る湖から流れた川が交じる所でもあった。
 底は深くて暗く、海のような神秘性も感じられる。それからいつの間に名付けられたのか、そこは海の神殿として呼ばれるようになっていた。
 膨大な水には、もちろん法水も含まれていて、様々な用途に使われる。法水は異質な水として、異界からただ取り込むだけの水ではない。水眷族の意思通りに動き、時には水を停止させて浮かせることもできる。普通の水ではありえないし、できるものではない。
 海の神殿の法水も、かつての水眷族に念じられて形成された一種の建物である。世界一高いものは巨大な樹――バベルだが、世界一大きな建物は何かと問われれば海の神殿と答えるだろう。それほどにも水が多く、また謎の建物でもあった。

「エゼル・ココ」

 神殿に複数ある祭殿のうちの一つに、祈りを捧げる少女がいた。肩までの真っ黒な髪に、神秘の雰囲気を漂わせる白と赤と黒の長い服。ミーアがどういう仕組みになっているのだろうかと疑問に思うほど、三色で編みこまれた服は複雑なものだった。
 ミーアが声をかけると、少女――エゼルが振り返る。

「祈りの時間はとっくに過ぎているわ。神はもう海に帰られたでしょう?」

 アクアミューズの民が崇拝する神は水の神、ウォーズマントだ。実体を持たない風や精霊を崇拝する雷族や、遙か彼方の太陽を崇拝する炎族とは違って、水の神はもっと近しいものだ。ヤマトは大陸よりも海の割合の方が大きい。その海を統べる覇者、それがウォーズマントだ。
 十日ほど前に海の覇者は年老いた鯨となった。あれを見る限り、寿命はそう長くないだろう。海の覇者となるべく、これまでに大きな傷をいくつも負っていた。長ければ一か月、短ければ三日も持たないはずだ。今のウォーズマントが亡くなれば、また海で海の覇者を巡る戦いが起きる。

 海の覇者は、強者なのだ。

「エゼル」
「……ミーアさまはあの少女をこちらに連れてくるのに、数多の法水を使われた。今はそのためのお祈りをしているのです」

 ミーアは重いため息をついた。
 エゼル・ココはこういう少女だったと頭を痛ませる。どこかの文化でいう、巫女のようなものだ。神を崇拝することが自分の人生だと思っているらしい。
 エゼルの無機質な紫色の瞳が、ミーアに向けられた。

「神はお疲れになっている。ミーアさまはご存じのはずです、法水を使えば使うほど神の心労になると。今日の、例の少女の召喚は……少々やりすぎたのではございませんか」
「そうかしら」
「そうです」

 口調だけなら怒っているようにも聞こえるが、エゼルは無表情を崩さないので覇気がない。鋭い眼だけが、彼女の感情だった。
 ミーアは顔にかかった銀色の髪を後ろに払う。

「少女の召喚に、無駄なことはしていないはずだわ」
「いいえ。あのとき、少女に話しかけたではありませんか。召喚するだけでも相当な魔力を必要とするのに、声を発するのは命知らずの者がやることです」
「私はその命知らずよ。エゼルも知っていたはずだけれど?」
「……ええ」

 ミーアは水眷族で随一の魔力を持つ者だ。だからこそ少女を召喚でき、またミーア自身も死ぬことはない。
 法水はごくたまに異界から持ち込むことがあったが、それはモノだけだ。生きているもの、ましてや人間なんて持ち込めるはずもなかった。それができたのは法水ではなく大地を司るルネだけだった。ルネによって召喚された少女たちを地眷族と呼ぶのは、それからきている。
 それなのにミーアは違った。エゼル自身、ミーアが何年生きているのかは分からないが相当の法水使いだと認めている。そんな彼女が突然、ある少女を召喚すると言ったのだ。
 神の負担になることが分かってエゼルは反論しようとしたが、もはや都の中心人物ともいえるミーアに敵うはずがなかった。

――神が亡くなれば、また海は赤に染まってしまうのに。

 エゼルは、神が鯨であろうとも、メダカであろうとも、それは関係のないことだった。ただ海で起こる、海の覇者を巡る戦いが嫌いだった。一旦覇者が決まればその覇者は一生死ぬまで神と崇められることになる。その間、海に束の間の平和が訪れる。だが、覇者が寿命で死ねばまた戦いがおこり、その繰り返しだ。
 全く、人間の世界と似ている、とエゼルはいつも思う。だが海の生き物は人間よりも寿命が短いだけに、戦いが頻繁に起こる。そのたびに、いつもは神秘的な海が穢れてゆくのだ。

――神は、平和な世界を望んでいらっしゃらないのだわ。

 神を巡る戦いが血に塗れているのだからこそ、平和にならないのだと。
 エゼルは決して表には出さない舌打ちを、心の中で盛大に鳴らした。

「神は、もう長くありません。またどこかで諍いが始まっています。フルーネに、このことを」
「私が言えと?」

 エゼルが言いかかった言葉に、ミーアが遮る。急に厳しくなった声にエゼルは心の中で震えた。

「……私は、あそこには入れませんから」
「ああ、そうだったわね。エゼルはプルトリと違うんだということ、すっかり忘れていたわ。そしてフルーネをあそこに閉じ込めていたことも」

 フルーネはミーアには劣るが、それなりの魔力を持つ少年だ。手先が器用で、魔力を巧みに使って海全体を支配できる、まれな少年だった。だが、エゼルの知らないところで何が起こったのか、今は水の牢屋へ閉じ込められている。水の牢屋にはそれなりの魔力体質がなければ耐えられない。魔力の高いフルーネ、プルトリはともかく、水眷族に生まれながらも比較的魔力の低いエゼルが入れるようなところではない。

「フルーネならば海を沈めることができるでしょう。なぜ閉じ込めなさったのです」
「私を侮ったからよ。いつまでたっても私の言うことを聞こうとしないから、いい加減目を覚ましてもらおうと」

 以前同じようなことがあり、その時に問うた答えと全く同じだ。
 自己中心なミーアと、それを逆らうフルーネ。二人の立場は昔から変わろうとはしなかった。

「もうあれから二カ月がたっています。前の海の戦いで数多の魚が死んでしまいました。今回フルーネが支配しなければ、同じようなことが起こってしまいます」

 そうすればまた多くの魚が死んでしまうでしょう。
 そう続けると、ミーアは苦い顔をした。

「わかっているわよ。フルーネが何を言おうとも、ちゃんと牢屋から出すわよ」

 フルーネの話題を出したことによって、どうやらミーアの機嫌は急下降したらしい。その怒りが自分に向けられないと分かって、エゼルは内心ほっとする。
 ミーアが祭壇から出て行き、勢いよく鳴らすヒールの音が聞こえなくなるまでエゼルは動かなかった。
 そして祭壇に一人残ったエゼルは呟いた。

「…………わがままな王女ね」








 ミーアは腹が立っていた。
 あの少女を召喚するにあたって予想通りにいかなかったことも重なって、ミーアのもとから小さい堪忍袋があわや切れかかるところまで来ていた。
 ガツ、ガツと普段鳴らすことのないヒールの音を最大限に引き出し、怒りを態度であらわした。
 こういうときにプルトリがいてくれたら、ミーアの機嫌は少しだけでも下がるであろう。プルトリはミーアの心許せる昔からの友人なのだ。
 だが、プルトリは今ダンディアムに行って、あの少女の行方を探らせている。本当は、ここ、海の神殿に召喚する予定だった。それなのに大地の神、ルネの邪魔によって見当はずれなところへ飛ばしてしまったのだ。それならまだしも、少女が持つ魔力はダンディアムから察せられることに気がついたミーアはなおさら腹が立ってしまったのだった。

――ルネは、わざと私の邪魔をしたのだわ。そして信頼あるダンディアムに飛ばした……ああ、憎たらしい! 私はルネの願いを叶えてやったのに!

 ミーアが少女を召喚しようと思い立ったのは、ルネがそうして欲しいと言ってきたからだ。当然、その対価ももう既にもらい受けている。それなのに、ルネは裏切った。裏切って、あろうことかダンディアムに頼ったのだ。

――そうだわ、ダンディアムにはヨールがいる。ヨールはルネにとって大切な人のうちの一人に当たるはず。

「……チッ…………面倒なことになってきた」

 少女の力は重宝する。だから召喚したら手を借りようとしたのに、敵に回ってしまったのではこちらが不利になる。
 幸いにも、少女の力は今目覚めたばかり。突然の地眷族の来訪によってダンディアムは驚嘆と困惑でいっぱいだろう。アクアミューズの警戒どころじゃなくなるはず。

――やるなら、今だ。

「フルーネ!」

 水の牢屋と呼ばれる場所についたミーアは、できる限りの大きな声で少年の名を呼ぶ。それに反応して微かに身じろぎしたところを見ると、少年――フルーネが横たわっていた。
 ざまあみろとミーアはほくそ笑む。

「ふ……二カ月は辛かったかしら? でも今日からまた海の制圧に励んでもらうわ」
「……くそったれ」

 ぼそぼそと伏せられた顔から聞こえた言葉に、ミーアの怒りのボルテージがさらに上がる。フルーネは歪ませた顔を持ち上げて、目の前で見下ろす銀髪の美女を睨んだ。

「……また覇者が変わるというのか? お前、法水を使いすぎたんだろ」
「召喚魔法を使うのに、法水もくそったれもないわ」
「召喚……?!」

 歪んだ顔に、初めて表情ができた。

「そうよ、地眷族を召喚したわ。それでフルーネ、お前にもう一つのことをしてもらうわ」

 まだ驚愕しているフルーネをよそに、ミーアはフルーネを戒めている水の鎖をはずした。
 二カ月間水の牢屋で過ごしてきた者に、今から動けと命令するのは酷だろうとミーアは思っていた。だが、相手はフルーネだ。か弱いなりをしているエゼルとは違うのだ。酷であろうとなんであろうと、自分の望むものは手に入れないと気が済まない。

「手始めに、召喚した少女をここに連れてくるのよ」


――リカ・サイエンに似た少女を召喚して欲しいと望んできたルネを、見返してやろうじゃないの。



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