Bond




Z.謎の老人


 大きな建物に入り、目の当たりにした里架は絶句した。広すぎて眩暈がしそうである。

――ひ、広すぎでしょ、これ!

 二階まで吹き抜けになっている真上の天井は色々な模様や色が象られているが、目のいい里架でさえ何を表しているのかさっぱりだった。ただすごい模様だな、と感じ取れただけだ。 そして廊下の所々にも模様が彫られている。人の形にも見えるが、動物にも見える。そのような彫刻がずらずらと並んでいた。
 中に居る人は疎らだった。
 奥の方で喧嘩をしているような怒声も聞こえるが、大抵の人は忙しくしているようで里架にはちっとも気が付かない。これ幸いにと歩を進め、とりあえず闇雲に当てもなく逃げるより隠れたほうがいいだろうと察し、目についた扉を開けて身を潜めることにした。
 どうかあの赤目の男には見つかりませんように、と里架は祈った。


 部屋の中は真っ暗だった。
 扉を開けて光が入ったときにはちょっと広い部屋だと認識できたのだが、誰かがいるのかはわからない。物音がすれば逃げれば良いのだし、ここに留まるのは少しの間だけだから構わないだろうと里架は判断する。

「もし誰かがいたら、返事してくださーい……」

 帰ってきたのは反響する自分の声。物音ひとつもしなかったので誰もいないのだろう。だけど念のために里架はひとつ加えた。

「私は無実です。何もやましいことはないのでちょっとだけここに隠れているだけです。ですので見逃してください」

 本当は赤目の男と三つ編み美女に見逃して欲しいんだけどね、と里架は心の中で呟いた。
 いやはや、しばらくはここの部屋に入って時が過ぎるのを待つことしかできないのだから。








―――――ガチャ。

 十分ぐらい経っただろうか。突然扉が開き、里架はまじまじとそこに立つ人を見た。だが逆光のせいか、ここから扉にいるはずの人物の顔はよく見えない。
 部屋の中は真っ暗だが、なるべく見つからないようにと用心して光のあたらないところに移動する。
 しかし、上から声が漏れ、里架は飛びのいた。

「嬢ちゃん」
「き、きゃあっ!」

 肩に置かれた手を振り払って逃げようとして顔だけ振り返ると、そこには里架と同じくらいの身長の老人がいた。
 顔はきれいに整っており、目は綺麗な青色をしていて鼻筋はすらっと一筋に伸びている。昔はさぞかし美形だったのだろう。だが、今は顔のところどころに皺が寄っていて老人としか見えないのが残念である。
 体は精練されていたのだろう、がっしりとした、それでも細く背の低い体をしていた。どこか先ほどの青年に似通っているように思えた。
 里架は最初に見た二人組ではないことに安心して、老人の顔と体に見とれていた。
 ぽけー、という効果音のあった顔で呆けながら。
 ふん、と老人が笑い、里架と隣並んで座る。笑われたことに気付いた里架ははっとして意識を呼び戻した。

「あ、あのー、おじいちゃん、ここの人?」
「そうじゃよ」

 唐突な問いにも快く答え、老人のふとした笑った顔が悪戯っ子小僧みたいに思わせる。
 老人が子供のよう、とは初めて感じた感覚だった。

「おじいちゃんはここで何かするの?」

 ここに勝手に入った事をどやされないだろうかとびくびくしながらも、老人からはそんな気配は少しもないことに安心する。

「そんなところで何をしておるのじゃ?」

 アルと連絡していた老人はこの答えを知っているが、あえてこの少女から聞きだすことにしてみた。
 当の少女、里架は瞬時目を見張らせ、うーんと唸りだす。

――そういえば隠れたのは良いけど、この次どうするとか考えてなかったなぁ……。

「お前さん、何かに追われていないかの?」

 里架はぎょっとして老人を見た。老人は目を細め、笑い続けている。腹黒なのだろうか、と疑念を持つ。

「何でわかるの?」
「さてのぉ」

 老人の言い分に里架はむっとして顔を逸らした。

「そこまで見ているのなら助けてくれたって良いじゃない。なんで追われているのかも知らないのよ? ただ、私は帰りたいだけなの」
「追われているのは、お前さんが悪いことをしたか、話す前に逃げたか、又は必要としているか、じゃ。それにじゃな、ここは普通の人は入れないんじゃよ。お前さんがどこから来たのか解らんのに帰る方法をわしが知っとると思うか?」
「……思えないけどさ」

 説得力のある答えに思わず里架は怯む。しかし、そのまま躊躇ってもどうにもならないのは目に見えている。
 かといって異世界の話をすると、老人は自分のことを見捨てそうで怖いのだ。見知らぬ人を世話をしようとする人はそういないだろう。だが、それを恐れてこのまま話が進むと永遠に帰れないような気がして、里架は思い切って老人に異世界のことを切り出そうとした。
 しかし、老人の方が口を開くのが早かった。

「案内はしてやろう。嬢ちゃんを追いかけてくる追っ手に見つからぬようにな」
「う、うそ?!」
「嘘はついとらぬつもりじゃが?」
「ありがとう、おじいちゃん!」

 嬉しさのあまり老人に抱きついた。
 老人はやはり逞しいその腕で飛びついた里架を受け止め、勢いがあったのにもかかわらず難なくその動作を成し遂げたのだ。
 ――その抱擁にデジャヴを感じた。

――あれ、これは……。前にも、同じような事があった……?

 『お前は知らない』

 『ここがどんなに穢れているのかを』

 『澄み切った、お前のような瞳には何が映るのだろうか』


 『私は穢れている、なのにここはとても綺麗な世界ね。壊されたくない』



 頭を巡るフレーズには哀愁が漂っていた。まるで自分が本当にそう思っていたかのように。そしてぼんやりと浮かんだのは悲しそうな赤色の瞳をしていた青年。
 まさか、と思った。まさかそんな事があるはずがない。里架は夕日のような瞳を持つ知り合いを知らない。さっき会ったあの男以外には。

 抱きついたまま動かなくなった里架を怪しく思ったのか、老人は慌てて腕を外し顔を覗きこむ。

「……私、おじいちゃんと会ったことがある?」

 そんなはずはなかろう、と頭全体が否定する。当たり前だ、ここは異世界であって地球ではない。老人が異世界の間を楽に行き来できるスーパー人だったら別だろうけれども。
 老人ははて、と首をかしげ眉を顰めた。
 やっぱりないんだと納得し、なんでもないと手を振った。

「そうじゃ、良いことを教えようかの」
「なに?」
「『異界の門』とは何か知っておるか?」
「……聞いたことは、あるわ」

 三つ編みの美女が言っていたはずだ。不思議な言い方をしていたので印象強かったのだ。
 『異界の門』を開くのは川であり、閉じるのも川。そして時代を経てまた開かれた、と。

「水に関係してくるものならきっかけはどこにでもあるといえようか。たまたまそのきっかけが重なったものが『異界の門』として現れるだけじゃ。そして、それは我等の領域であるティング川にあるのじゃ」
「ティング川?」
「『異界の門』は海にもあるが、細かくは知らんのぉ。海はわしらの領域じゃないからの」

 ふぅ、と老人はため息をついて里架を見た。
 老人の言いたいことがわからず、里架は疑問符を浮かべた。

「水がここにあるとするじゃろう? きっかけとは何でも良いのじゃ。たとえ水が自然に震えるものじゃったり、減ったり増えたりしてもかまわない。むしろそれらがきっかけとなるのじゃ。それらの性質がすべて異なって出来たのが『異なるものを生み出すもの』となる。それらはここではありえないものを生み出す、またはどこからか持ち込むのじゃ。それはいつしか『異界の門』と呼ばれるようになったのじゃ」
「とりあえず、その水はとにかく普通とは違うのね?」
「そうじゃな。人間や動物、植物に潤いをもたらす水。恵みの水が異質をおこすことは世界を滅ぼす元になる。ゆえに、『異なる水』なのじゃ」

 老人の説明を聞いて、里架はふと思い出した。
 この世界に来る前は確かに家に居たはずだった。外は集中豪雨で、ニュースではどこかで浸水があると放送されたのを見て不安になった自分は雨戸を閉めに、戸を開けたときだった。突然どこともなく襲いかかってきた津波に溺れたのだ。
 ――だけど、本当に溺れたのだろうか? そもそも海から離れている所に住んでいるのに津波が来るはずがない。
 水の中では女の人が聞こえてきたと思う。どちらかと言えばこっち側に住んでいる風な美人だった。そこから意識は切れて、いつの間にかこっちの世界にきていた。

「……そう言えば地面がなかった」
「地面がなかった?」

 老人は不思議そうに里架の言うことを復唱した。

「私、津波、かわからないけれど水が襲ってきて、溺れていたの。多分あの人が助けてくれたんだと思うけど……」

 そういってジムといわれていた緋色の瞳をした青年を思い出す。あと一人居たような気がするが、思い出せない。
 ほう、と老人は感心したように少女を見る。

「床に足をつけていたのに、いつの間にか床がなくて、浮くと思ったら逆に沈んでいって……これっておかしいよね、どう考えても」
「それはルネの仕業じゃ」
「ルネ?」
「ルネとは大地の神。われ等が炎の住民は、大地を敬う。きっと、地面がなかったのは大地の神、ルネが起こした力のせいじゃろう」

 大変なことになったな、とヨールは心の中で呟く。ジムのいう二つの大きな力はアクアミューズと、もうひとつはルネの力だったのだ。

「なんのために……? 私を殺したかったの?」

 だんだん里架の顔がひきつっていく。

「殺したかったのならその場で殺しておるところじゃ。わしはルネじゃないが、それはわかる。それより案内しよう。詳しい話はそこでするとしようか、リカ」
「……え? 何で私の名前を?」

 もしかして老人もリカと名乗るもう一人の人物と重ねているのだろうか。
 しかし老人は、そんな里架を気にする風もなく言った。

「わしは『謎の老人』と思っておいてくれ。大丈夫じゃ、ジムとは会わせん」

 にやっと自称謎の老人は笑った。たいして里架は、はぁと曖昧に頷いたのだった。



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