Bond




\.ハニイハロウ


 一つの大陸を別つ、巨大な樹の西に位置する炎の都、ダンディアム。火山が恵む大きな湖を中心にダンディアムは四つの都市に分けた。
 一年の大半が雪に覆われる北都。
 巨大な樹の下に位置し、雷の都の国境に接する東都。
 最高峰の山脈が連なり、大陸の最西端である西都。
 ――そして本部場が置かれる南都。
 本部場は南都のさらに南に位置しており、海に面していた。里架は本部場のとある窓から海が眺望できることに感嘆した。本部場はちょうど崖の上にあり、五つの石の塔を取り囲むようにして立っていた。五つの塔は天から神々が降りられる神聖な場所として知られているらしい。そのうちの一つだけが抜きんでており、その高さは東京タワーにも及ばないかもしれない、と思ったほどであった。
 里架が来たこの世界は、そういう所だった。
 里架が最初に目を覚ました牢屋は、本部場の地下にあるらしい。地下といっても、位置的に地下に属するだけであって、出入り口は本部場と面してはいない。今はほとんど使われない牢屋だが、昔の名残として残されているのだと謎の老人は言っていた。では何故、自分は牢屋で寝ていたのか。この世界来たのがまず牢屋だったのなら納得しようがあるが、それならばあの匂いの籠る牢屋で介抱しなくてもよかったのだ。そもそも滅多に人が入らないはずの場所に、あの美女と青年はいたのだ。里架があの悪夢から牢屋に飛ばされたとは考えにくい。
 意に介せない里架だったが、事情も知らない謎の老人に聞くのも憚れ、ただ案内について行った。
 本部場は上から見て真ん中の開いた半円型をしているらしい。ようするにドーナツを半分にしたあの形だ。それをさらに半分にわけ、左を左翼、右を右翼と呼ぶのだそうだ。左翼の一番端の部屋は陽が昇るため《暁の間》、逆に右翼は《宵の間》と呼ばれた。
 本部場の真ん中を通る通路を渡り、謎の老人と里架は《宵の間》である一階の食堂に着いた。いわずもがな、里架の腹の虫が堪えられなかったのだ。
 食堂はかなり広かった。たとえてみるなら、学校によって違うだろうが体育館の十倍ぐらいだ。本部場に勤める人は、いわゆる公務員みたいなもので、寮を利用することができる。南都住まいは日帰りできるが、その他の都市に住む人のための配慮だろう。寮に住む人は大勢いるらしく、食堂は普段からにぎわっている。
 とはいっても、今は夕方というには少し早い時間帯なので食堂には仕事に勤しむコックさんと、食べるのに夢中になっている人が数人しかいなかった。

「さて、何が食べたい?」

 正面に向かい合って着席した里架たちは、メニューを広げた。
 異世界だから読めるはずもないんだろうけれど、と思ってはみたが、なんとメニューは全てアルファベットが並んでいた。里架は仰天した。まさかこんな欧米とはかけ離れた世界で、英語を拝めるとは到底思い浮かばなかったのである。

「カレーライス、スパゲッティ、ステーキ、オレンジジュース、コーヒー……あ、これはチーズケーキかな」
「……嬢ちゃんは大食らいなのだな」
「ち、違うっ! 読んでただけ!」

 老人の白けた視線に必死に首を横に振った。
 それにしても、得体のしれない英語の羅列はいくつかあるが、ほんの少し知っている文字を見ることができたのは意外だった。
 それと同時に一つの疑問がわいてきた。
 何故ここに地球の文化があるのだろう、と。
 メニューを持ったまま固まった里架だったが、痺れを切らした老人が言った。

「早く決めんと、あの不躾な男が来るぞ」
「!! え、えっと」

 あのジムという男の喧騒を思い出して、里架は慌てた。
 メニューの中で読める単語を拾い、ようやくその一つを選び、老人に頼んだ。老人は立ち上がり、コックさんに何かを告げた後戻ってきた。

「いちいちコックさんに言わなきゃいけないの? そうしたらピークの時には混雑しない?」
「ここに住めば朝昼晩決められた食べ物を食べなければならぬ。でないと偏ってしまうからの」
「……給食ってことか」
「そうとも言う」

 そりゃあそうか、と里架は思った。レストランのように限られた人数ならリクエストに答えられるが、こんなに大きい食堂に入るぐらいの人数なら、一々聞いていられない。

「ところで、ここの公用語は英語なの? メニューが読めるなんて思ってもいなかった」
「そうか、嬢ちゃんはこれが読めるのだな?」
「うん」

 そうかそうか、と謎の老人は笑いながら頷くが、里架は老人の目が笑っていないことに気がついた。
 自分が英語を読めることに、何か関係があるのだろうか? 里架はついそう考えを巡らせた。

「さきほど『異界の門』について説明したじゃろ」
「『異なる水』がどうたらこうたらってやつ?」
「『異なる水』とは、俗に法水と呼ばれていてな、何もない空間にあらゆるものを呼び出す性質を持つ。人であれば人を、魔法であれば魔法を。ただそれをこなせる者は限られており、また膨大な体力と精神を使うことになる」
「……魔法、かあ」
「法水を使える者は少ないんでな、法水自らが異界から異質なものを呼び寄せる場合もある。その例の一部が、文化じゃ。おそらく、嬢ちゃんの言う英語とやらは、法水が長い年月をかけて引っ張り出したものじゃろう。それが人間に伝わり、今に至るのではないか?」
「へー」

 メニューをもう一度見る。
 確かに、これは英語。カレーライスとかの食べ物も国はそれぞれ違うが、地球の文化なのには変わりがない。それにしても、文化が異界に来るなんて信じられない。
 そこで、里架は首をかしげた。

「文化がここにくるなら、人間も異界から来たりするんじゃないの? 私のようにさ」
「その例もあるが、嬢ちゃんはれっきとした人の手で呼ばれておるよ」
「なんで断言しちゃうの」
「ふぉっふぉっふぉっ、わしは謎の老人じゃよ? 秘密を暴くようなことはせぬわ」
「えー……」

 里架は白けた目で老人を見る。
 胡散臭い。正直にそう思ったのだ。

「しかし、嬢ちゃんがこの言語を読めるとはのう。サトミやリカとはちがうんじゃのう」

 そう呟いた老人の言葉に、里架ははっとした。

『お前は……リカか?!』
『この子はリカじゃないわ』
『リカだけど、リカじゃないのよ』

 ジムと呼ばれた赤い青年と、その隣にいた美女とのやり取りを思い出す。
 自分に似たリカという少女。どうやら彼女は、以前ここに来たことがあるらしい。
 そして、『異界の門』をくぐって帰ったという彼女。

「おじいちゃんはそのリカという子を知っているの?」
「知ってるも何も、十四年前、ここに訪れた異界の少女じゃ。新参のものは知らぬじゃろうが、おぬしを追いかけてきた男ぐらいの代じゃと、殆どの者は知っとるじゃろうな。とは言っても辞めた者も多いからここで働く者の大半は知らんじゃろうが」

 十四年前。
 彼女はここへ現われて、帰って行った。
 里架としてはどうやって帰ったのか、どうしたら『異界の門』をくぐることができるのかを教えてほしかったが、老人は違うことに触れた。

「リカは、全てを捨てて帰ってしまったのじゃ。サトミやそれ以前の地眷族が、地眷族として成し遂げなければならなかった役目も、ここで過ごした日常も、全てを」

 老人は嘲笑した。
 それは彼女に対しての嘲笑か、わからなかったけれど。

「リカについては賛否両論じゃからわし一人だけが口出しできる問題ではない。じゃが、リカは地眷族の使命を果たさずに元の世界に戻った。それだけは確かじゃ」
「おじいちゃん。地眷族って何?」

 話についていけず、つい口をはさむ。
 だが、老人は話を遮ったことを怒ろうとはしなかった。

「ちょうど料理も来たようじゃ。まずはこの世界の成り立ちから説明しようかの」

 老人は届いた皿を片手に、ゆっくりと話し始めた。
 この世界のこと。
 自分に似た少女がかつていたこの世界。

「最初に言っておこう。この世界は絆の世界。だが、かつて神々が築いた絆は滅びようとしている。誰もが気付かずに暮らしておるが、長い間この世界を暮らしてきたわしにはわかる。この世界は……壊れようとしているのじゃよ」



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