Bond




W 迷宮の牢屋


 里架は、気付けば見知らぬ所を走っていた。
 走ってドアを開け、真っ白で飾り物のない廊下へと向ったのを覚えている。そして廊下の壁は真っ白で紋様も汚れも無いように見えるが、床は真っ黒だった。 見た途端、気味が悪くて吐き気がしてくる。

――本当に、ここは地球じゃないの? ……私のいた日本じゃないの?

 少なくとも、里架には真っ白な壁で真っ黒な床は聞いたことが無い。そもそも黒色を建物に飾るほうがおかしいのだ。
 壁にかけてある、先ほどまでいたあの部屋と同じく周りを照らす炎が目に付く。それは闇のように暗い廊下に延々と飾られていた。遠くの炎の飾りは点としか見えない。 それがトンネルのような風景で、廊下を照らす炎は地獄へと行く道を照らしているような気がしてならなかった。

 見ている何もかもが、気味悪く感じる。

「リカ! 待って、あなたは病み上がりなんだから動いちゃだめ!」

 ドアを閉めた背後から女性の声が聞こえて、里架は勝手に体を動かしていた。女性の言うとおりに、じっとしていることは出来なかった。したくなかった。

 ――病み上がりだからなんだって言うのよ。私の心配なんて、しなくてもいいのに。

 自分が異界の人間だと分かっているのなら、尚更。優しく手を差し伸べなくてもいいのに、どうして介抱してくれるのか分からない。何故見知らぬものにそこまで心にかけてくれるのか、分からなかった。

――私が、リカという人に似ているから?

 それなら、逃げてやるわ。誰かの代わりだなんて、嫌だから。
 里架はまっすぐに伸びる道を選んだ。








 そこはまるで迷路だった。

 里架の目が間違いでなければ、牢屋でもあるようだった。さっき里架がいた部屋以外のすべての部屋に銀の格子があり、廊下を囲んでいる。まっすぐと思っていた道もそうではなく、分かれ道が多数あった。
 その中に人はいなかったが、血の跡がたくさんこびりついている。近づけば血の臭いもしてくるのだ。きっとそう昔でもない時に誰かが閉じ込められたのだろう。
 ――なんて世界に来てしまったのだろう。日本のように平和な世界じゃないということは察しが付く。今は牢屋に人がいないのだとしても、この部屋を取り除かないのだとすればそれはきっとまだ利用するときがあるから。異世界に召喚される主人公の運命なんてそんなものばかりだ。戦争のある世界に放り投げられて一緒に戦ってくださいと願われる。里架はそんなことは真っ平だった。 ――誰がそんなことをしなくちゃいけないわけ?どうして異世界から戦いに経験のない人を呼ぶわけ?あの女の人も、男の人も、もしそれを願っているのなら自分は逃げよう。どうせここにいたって何も出来ることはない。戦いに身を投じたって、邪魔者扱いにされるばかりだ。
 壁の色が変わったかと思うと、さっきのような真っ白ではなかった。いつの間にか石を重ねて立てているような壁になっている。色は分からないが、石が重なっているのだから普通に考えて灰色だろう。床の色との相性は、さっきよりはマシになっていると思う。
 だが不思議に思うのは床。真っ黒なのには変わりないが、足を踏み出すときの音が全く聞こえない。どんなに音を立てようとしても、グチョグチョと、よくわからない音が響く。
 二人にばれにくいというのは嬉しいことだが、逆に不気味だ。

 迷路のように入り組んでいるその牢屋があるのは、脱獄するのを防ぐためのものだろう。
 しかし、里架は迷わなかった。
 迷路なら存在するはずの行き止まりというものが無いように感じたのだ。もしかしたら、これは迷路なのではなく、ただの建物なのかもしれない。そう考えれば気持ちが少し楽になった。

――光が見えてきた…! 出口に出られる……!

 視界の端に映る、飾りの光ではない光に里架は心が弾んだ。あれは太陽の光だ。やっと出られるのだ。
 ふと、黒い道を難なく走り抜ける自分の足を疑問に思った。尋常じゃない、何故かいつもより長く走れている気がする。
 それだけではない。この道を感覚で踏んでいる。昔に踏んだ道を覚えていたのだ。大雑把に言うと、懐かしみながらこの道を踏んでいるという感じだった。

――……でも私はここに来た事がないわ。…気のせいよ。

 そう思いながら走り続け、そして出口に出た。

 突然の光にまぶしく感じ、目を細める。目が慣れると、景色がだんだんと見え始めてきた。そこにはいくつかの建物とたくさんの山が連なっており、少女が出た牢屋は山の一部となっている。
 不気味なことに、空は日が高く上っているにもかかわらず赤く、森は葉っぱが変色しているように黒かった。少女は、目を瞠らせる。


 それは、本当に少女のいた世界ではないと証明するのに十分すぎるものだった。








 美女は不意を付かれた。
 まさか逃げられるとは思わなかったからだ。逃げて何の得にもならないというのに、少女は何を思ったのか部屋を出て真っ先に走り出してしまった。とても先ほどまで病人だとは思えない速さである。信じられない。
 追いかけようとはそのとき、思わなかった。どうせ自分が追いかけても追いつかないのは分かっている。あんなスピードで追いかけるというほうが無謀だ。だが、男には美女が少女を追わないことを疑問に思ったらしい。

「追いかけないのか。ここは牢屋だぞ? 迷ったりしたらどうする、血の臭いのあるところで。」
「ジム、私の足を何だと思っているのよ」
「……棒には見えないが?」

 当たり前だ。棒になっては困る。

「そういう意味じゃないわよ。あの早さじゃ、追いついてやろうという気も失せてしまうものなのよ」
「…要するにお前の足は遅いってことだな」
「ジム、あのねぇ」

 ドアを見たままの青年はため息をつく美女に気が付かない。
 またか、と美女は頭を掻きたくなる。長い間この青年と一緒にいるが、この性格だけは把握出来そうで掴みきれない。きっとそれはこの都のリーダーであるヨールも同じだろう。 ついで出てきた性格が女嫌いで、無愛想のくせに誰よりも心配性なところ。全く変な性格だ。面倒も見切れないくせに心配ばかりする。 頑固者で喚き散らす人よりもある意味厄介なのだ。
 天然交じりのこの男だけは妙に好かない。美女はそう思った。

「何年私と一緒に過ごしているのよ! もう20年近くは顔を見合わせたりしているのよ?私の性格を熟知していれば、不得手な所も分かっていると思ったんだけど」
「それはいい。それよりもあの少女だ」

 もうやだ。この男は話がかみ合わない。
 美女は仕方なしに青年に話を合わせることにした。

「はぁあ〜、そうね、迷うかもしれないわ。ここから出れやしないもの。歩けば歩くほど行き止まりが多くて道もたった一つ間違えただけでここに戻る。要はここに戻るのだから、ここに来るってことよ。心配なんかしなくたっていいじゃない」

 だから心配などすることは無い……。そう、出られるはずがないのだ。
 だが、もしかしたら出られるかもしれない。幸運が重なって出口に着く場合もある。その可能性はとても低いが――…。

「俺が言いたいのはそういうことじゃない」
「……わかっているわよ、心配性のジムのことだから牢屋にずっとおいておくのはやめておけ、でしょ? 心配要らないわよ。牢屋にほうっておいて血の臭いで倒れるぐらいだったらこの都に置いて得することなんかないわ。いずれあの子にも一緒に戦ってもらうんですからね。そのつもりでヨール様もあの少女を受け入れているのだし。それに血の臭いぐらいで女の子がへばるわけないでしょう? そこのところは男より丈夫に創られているんだからね」
「まるで神様が人間を創ったかのように言うのはやめろ」

 冗談よ、と美女は付け足した。
 青年は軽くあしらう美女に眉をひそめる。嫌がっているということが目に取れた。無愛想のくせに本当に分かりやすい性格だ。せめて顔の表情は隠していた方が格好良かったのかもしれないのに、と美女は笑う。
 青年は気付いているのかそうでないのか、気に留めずに美女を睨むように見る。

「俺は捜す。もし、迷っていなくともヨール様に頼まれているんだ。探さなければ後が怖いのはわかっているからな」

 えぇ、そりゃそうでしょうよ。ヨールは一度約束を破ると凄く根に持つタイプなのだ。最初は見逃してくれる猶予を与えてくれるが、二度目からは地獄を見るだろう。数度経験したこの男が言うのだから間違いはないはずである。
 青年のある言葉に気付いた美女は、毒づいた。

「逃げたわね」
「何が?」
「あなたが」
「意味がわからない」
「それもそうね」

 くっくっ、と喉の奥で笑い、美女は微笑む。

「ヨール様の言葉が無くてもあなたは捜しにいっているでしょう」
「確かに、捜しにいっているのかもしれないな。あの少女は病み上がりだ」
「放っておくと倒れてしまいそう、って? また逃げた」
「何でそうなるんだ」
「だから鈍感男は嫌いなのよ。あんた、それ照れ隠しよ。あぁ、嫌だ」

 鈍感だし、無愛想で人に懐かない。こういう風なペットだったら可愛いと思わないこともないが、目の前にいるのは大きな男だ。無駄に体裁だけは大きい。
 意味がわからないというように青年はベッドから腰を上げ、美女を見下す。これで優位になったつもりなのだろうが、美女は怯まない。20年以上も傍にいると体裁のことなど気にしなくなる。 何より、口論で負けた事がないということが大きな自信となった。

「何に逃げているか、わからないのだが」
「相変わらず鈍いわぁ、憎たらしい」
「教えないのか?」

 教えないと話が進まない。プライドというものがないのか、この男は。
 美女は仕方なく口を開くが、それは答えではなかった。

「あなた、自分の気持ちに正直だと思うの?」
「思わない」

 即答である。正直者で良いこと。
 だが、これだから自分の言っていることがわかっていないのだ。

「あなたは自分の気持ちさえ知らない、まるで子供のようよ。私が言いたいことは、あなたは自分の気持ちから逃げているということ。他人の言うことを理由にして、自分の気持ちを誤魔化そうとしている」

 そこまでいうと、青年は少し俯く。図星か、または意味が通じていないのか。後者だったならいっている意味が通じず、恥じてて俯いているというところだろう。
 しかし、青年はそういうような人物ではない。
 だから、美女はあえて青年の心情を暴いた。

「あの子が心配でたまらないのでしょう? リカに似たあの子が」

 青年は何も答えなかった。答えなくても美女には分かっている。
 しかし、美女はこのときに青年の性格を恨んだ。
 妙なプライドを捨てて欲しいものだ。このプライドの所為で青年は素直になれない。でもそれを認めてしまうと自分はリカを恨んでしまう。
 今はいないリカにごめんねと心の中で呟く。かつての仲間だった友人に。

「捜しに行きたいなら行きなさい。だけど、真っ先に出口を捜して。私はここにいるから、あなたはこの牢屋から出て、外に出ると良いわ。連絡は通信機器で。サラに直してもらったのでしょう?」
「ああ」

 青年は助かったとでもいうような緋色の瞳を美女に向けた。

「アル・フェイ、お前の知能を信じよう」

 聞きなれた決まり文句だ。しかし、嫌な感じはしない。
 セリフがさっぱりしてていいこともあるのだろうが、目の前にいる相手が相手だからだ。昔の自分が好きだった人。

 青年はそれだけ告げるとドアを開け放って先ほど少女が駆けていった黒い道を走りたどっていった。




「ジム。なんでなんだろう、もうそろそろであなたがいなくなるような感じがするの……」


 かつて青年のことが好きだった日々を思い出し、誰もいなくなった部屋で美女は呟く。
――…リカに似たあの子が来たから、なの………?



back  Bond  next
copyright(c) 2006 kinmomo All Rights Reserved.
Since 2006.06.14

inserted by FC2 system