「おや、ジム。いい年して美女をお姫様抱っことはのう。年の盛は越えなんだか?」
綺麗に整えられた部屋の中で、70歳間近の老人がロッキングチェアから身を起こした。見たところ老人は気立てが優しそうなのだが、びしょ濡れになっている青年が部屋に入っていくのを見てむっとした表情になる。ジムと言われた青年は老人の言うことを聞いているのか、顔色も変えず抱えていた少女を老人の近くへと運ぼうとしていた。
その少女は水に濡れていて、顔色が悪い。ワンピースしか着ておらず、青年の濡れた上着を羽織っていた。果たしてそれで寒さをしのげるのか、と老人は疑問に思う。
「ヨール様、報告が遅れて申し訳ありません。この少女を助け出す際に通信機を壊してしまいました」
「ほっほっほ、壊してしまったか。後でサラに直してもらいなさい……それで、助け出したということはその少女を、と言う意味かの?」
「…はい。川に溺れたのを見かけ、すぐ私とロンが助けだしたのですが…これはただの水の事故とは思えません」
ほう、とため息を漏らす。青年の言うことに、老人の顔が少し変わった。
「事故ではないと言うのか……何故そう思う?」
「力の気配がしました。2つの大きな力がぶつかり合うような」
老人はまた顔をしかめ、小さく呼吸をしている少女に近づく。少女の顔色も悪いのだが、肌も冷たくかなり高い熱がある。
全くこの青年はこの子を最初に医務室に連れて行かないのだろうか、と老人は思う。しかし、老人はそれはないだろうと否定しなおす。青年の性格を知らないというほど付き合いは短くない。人の体の心配よりも仕事を優先にすることだってわかっていたつもりだ。
「すぐ近くの湖といえば、セイン湖じゃな。あそこは雷族が住むところ。雷族の仕業じゃったら大変なことになるのぉ」
嫌われてしまったか、と老人は冗談を言った。だが、青年はそんなことを冗談とは思わずに否定するだろう。そう老人は予測し、そして青年は引っかかった。
「ヨール様、湖ではなく川です。この少女はティング川で溺れていました」
「そりゃそうだろうな。雷族がそんなことをするわけがないのだが…」
話に気をとられていた老人は慌てて青年の行為を止めようとする。青年が説明しながら少女をロッキングチェアにのせようとしたのだ。老人はそんなに女が嫌いか、とそれだけ言いお気に入りのいすが濡れることに残念がっていたが、今はそれどころではない。2つの大きな力の正体がわからないままなのだから。
「はて、ティング川か? あそこは確か最近雨で降らんで困っておった地域ではないか。何故あそこに人が溺れる? …もしやアクアミューズの仕業か? あそこじゃと、距離的にもありえる場所じゃし。ということは、2つの大きな力のうち1つはそう考えてよかろう」
老人は杖を軽く叩くように振る。すると何もなかった空間から一枚の紙が出てきた。
老人がそういえば結果などもうわかったようなものだ。青年はそう確信して、無表情のまま呟いた。
「どうやらそのようです。最初は私か雷族との会議の中止を狙っているのかと思いましたが、ロンがいたのでそのようなことはありえないはずです。やはり、この少女を狙ったものを考えられます。…それにこの少女は……」
「判っておる。お前と同じ気配を漂わせておるからの」
老人は冷えきった少女の体を暖めるように毛布を包ませ、ロッキングチェアのすぐ隣にある暖炉をつけた。暖炉から蝋燭に火を移し、よく見ておれよ、と青年にそれだけ言って少女に近づけた。すると火は瞬くもなく燃え上がった。
「やはりな。この少女は火の神に好かれとるわい。火の神に好かれているものは何もしなくても火を育ててしまう性質があるからのぉ。…いや、火の神だけでなく、ルネの神にも好かれとるな」
「ルネの神…?! 何故そのようなことがわかるのですか? ルネの神が好むのは水だけではなかったのですか?」
冷え切った自分の手を温める青年の近くの火も、またそうして大きく燃え上がった。
その性質を持つものは少ない。老人の目の前にいる青年もその性質を持って生まれた者だが、青年ほど大きく力を出せることはないだろう。だが、少女の性質で大きくなった火と比べると、若干少女の方が大きい。青年と同じ性質を持つ人間は、皆青年よりも火が小さかった。それから考えると導き出せる考えは限られてくる。
「ルネの神とは大地の神じゃよ。大地は水がないと枯れてしまう。水は大地を潤すのじゃから水を好むのは当たり前じゃ。しかしな、火は元は大地から生まれたんじゃ。つまり、ルネの神は火の親神といっても過言じゃなかろう。強いて言うならばこの娘はルネの神に好かれておるから火の神に好かれておるんじゃろう」
老人は少女に手を伸ばして、頭を撫でた。少女は先ほどよりも青い顔をして目覚める気配はない。早く医務室に連れて行かなければならないところだ。
「どうやらこの娘はそなたに救われたようじゃ」
そこで老人はいいことを思いつき、にっこりと青年の方に笑みを浮かばせた。老人にとって気に入らない青年の性格がこれで直るかもしれない、と思ったのだ。
「折角じゃ、ジム。そなたにこの娘の看護と世話をしてくれまいか。助け出したそなたに信頼を寄せるじゃろうし、一番安心できると思うぞ。ジム、頼まれてくれるか?」
「私が、ですか?」
「そうじゃ」
逆に青年の顔が、初めてしかめていた。嫌いな女を、しかも看護と世話という青年に関係のない言葉がそうさせているのだ。自分じゃなくて世話好きのあいつにすれば楽だろう、と青年は言いかけて老人に何を言っても聞かない性格を思い出し、了承した。
「……わかりました。ヨール様がそう仰るのならば」
そういって先ほどしたように少女を抱え、ドア付近まで来たときに老人がポツリと呟いた。
「お前はいつからそんな性格になった? もっと正直になれ、自分にな」
そんなのでは女にもてんぞ、と声を出して笑う。そしてまじめな顔をして青年に言い放つ。
「ジム・セイニア。そなたは今、50年前のわしと同じ立場におる。そなたのほうが質悪いがな、…分かっておるか?最初が肝心なときじゃ。いっそその少女に好かれるほど愛しなさい。その娘はお前の知る過去の少女ではないと思え。……ジムにできるか、これも賭けなのじゃよ。そなたもまた、火の神に好かれているのじゃから」
「判りました……いえ、判っているつもりです」
何かを思い出して苦痛な表情をした青年はまた無表情に戻り、自分の部屋へと戻っていった。
青年が出て行ったあと、老人は一人で呟き始める。
「動き出したか、ルネよ。しかし、またあのような少女を選ぶとは随分捻くれとるのう。それか、固執しているのか。どちらにせよ、これから悩まなければなるまい…」
老人をいたわる気がないのじゃな、とため息をつく。しかしヨールは青年に医務室に行けという命令をしていないことに気がついて青ざめたのだった。
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