「全神は私の全てだから。あの悲しい物語を忘れるはずがないわ」

 志穂は閑を見つめた。

「そう、相模の子供だったの……」
「俺の父を知っているのか?」
「言ったでしょう、似た力を知っている、と。相模ほどではないけれど、閑のその力は間違いなく神さまの力。相模は神さまそのものの力を持っていたから」
「待て」

 閑の静止の言葉に、志穂の頭についていた神楽鈴のような鈴がちりんと音をたてる。

「お前何歳だ」
「女の子に年を聞くなんて!」
「女子であるはずがないだろう。俺よりも年上なのだから、二十歳はゆうに超えているはずだ」
「童顔とよく言われるの」
「童顔にもほどがあるだろう……」

 閑は右手を顔に当てて呻いた。
 目の前にいる少女は、否、女性はどう見ても十才そこそこの子供にしか見えない。顔もそうだが、身長も低すぎるのだ。

「仕方ないでしょう。神さまの力を受け継ぐ際に、その代償として私が過ごすべきだった時間を差し上げたのだから」
「時間?」
「閑には特別に教えてあげる。いえ、教えなければならないのよね。これからの物語のために」
「志穂、お前は一体」

 誰なんだ、と閑が言いかけたところで、志穂が閑の唇に手をあてた。
 まるで母親が子供に言い聞かせるように。

「神さまは全神の呪縛を解き放とうとしている。そのために私は手を貸したの。私の祖先は初代の全神だったから、神さまの気持ちはわかっていたし、またかつての全神の気持ちも痛いほどわかっていた。だから神さまの願いを取引で叶えて差し上げたの。私が予知の力を受け継ぐ代わりに、私の少ない寿命を神さまへ。神さまはその寿命を使って人間へと生まれ変わった。全神の地の果ての、この忍者の里で相模として」
「志穂!」
「閑、あなたにはまだやらなければならないことがある。私は今日、それを伝えにきたの」

 腰までの髪をすらりと伸ばした志穂は、まさに巫女そのものだった。神懸ったようなその雰囲気は、閑を圧倒させた。
 さすが巫の者だ、と心のどこかで納得した。
 ならば、志穂の予言は聞き入れるべきだろう。

「閑、お前も分かっているはずよ。ここにいてはいけないと。今すぐとは言わない、けれど時期が来たらこの地から去れ」
「それが俺のなすべきことか」
「……私はね、かつての全神に伝えたいの。はるか未来には全神なんてないのだと。おかしいよね、今まで長く語り継がれてきた全神の物語は伝説として、だけど実際の物語としてあったのに、未来にはそのかけらもなかったの」
「見たのか?」
「見たわ。悲しかった。怖かった。私の全ては全神、そして神さまにあったのだから。だけど、どこかで安心している私がいたの。こんな未来もあったのだと」

 そして志穂は微笑んだ。

「だから閑にはしっかり土台を固めてもらわなきゃ。未来のために」

 志穂はそれ以上のことを語らなかった。
 だが彼女がその未来を見たというのならば、きっとそれは本当のことなのだろうと閑は思った。
 そのために、閑は今しなければならないことを頭にめぐらせる。それは矢彦のことだ。
 志穂は未来に自分はここにはいないのだと暗に知らせてくれた。ならば、代わりに長の地位に就くのは矢彦。それしか思い浮かばなかった。矢彦は閑よりも強く、優しく、無関心であるにせよ、己よりもましだ。だが、ふとある人物を思い出す。
 九卿は、桜は一体どうなるのだろう。

「志穂、俺のほかに、もう一人助言してほしいやつがいるんだが」
「なんですか、年上に向かって人使いの荒い。一応これでも相模よりも年上なんですからね」

 志穂がどれだけ年を食っているのか、結局分からずじまいとなってしまった閑だった。

2010.01.30

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