「成宮さま、ひどいですわ。わたくしという婚約者がおりながら想い人がいるだなんて、あんまりです! せめて想い人が……何でもありませんわ。とにかく、その者はいったいどこのものなんです?! いますぐわたくしの目の前に出していただきたいわ!」
「いや、殿にその願いはないでしょ。命令に聞こえるんだけどなぁ」
「……九卿はいったい何を説明したんだ」
「なんでしょーね?」
「一旦黙ってくれないか? お前が入ったらややこしくなりそうで困る」
「わかったよ」

 九卿は肩をすくませて口を噤んだ。矢彦は浜に睨まれながらもため息をつく。

「今すぐにでも会いたいのならば浜にも協力してもらおう。今少女はここにいない。それにどこの者かもわからない。あって確認したいのなら探すのを手伝ってくれ」

 浜は唇の端を少し上げ、本人の感情が沸きあがっているのを感じた。だからといって相手に合わせることはない。

「……わたくしを利用するとその思いは成熟しなくなるのかもしれません。わたくしにとってそれは好都合ですけど、それでよろしいのかしら?」
「そうじゃないと、平等ではないだろう。別にそなたが手伝ってこちらが損することはない」
「……もうすでに平等ではないじゃないの」

 肩を落とした浜はまた矢彦を睨みつけた。どう考えてもこれが主人に対する態度ではないと思うのは気のせいだろうか。しかし矢彦も矢彦。自分は今から不倫をしようとしているのだからこうされても文句は言えない。
 九卿はにんまりとした表情で浜に向いた。矢彦に口止めされていたのだが、もう我慢ができなくなったらしい。まだ数分もたっていないのだが。

「で、浜は矢彦にどうしたいの? 行くの、行かないの?」
「行きますわ」

 むすっとして浜は答えた。それを見た九卿は吹き出した。

「なんだかんだ言っていく気はあるんじゃない。ま、矢彦が想い人の所に行ってしまうというところで心配はするのだろうけどね。普通は政略結婚にそんな感情は持たないから、浜は特別なんだろうね」

 浜と矢彦は里との結団を高めるために結婚をした。普通はその結婚に恋愛感情は持たないのだが、浜は矢彦を慕っていた。九卿のいう特別とはこのことだ。

「そうですわね、この感情をどうとっても構いません。ただ国も関係ないのに成宮様が想いを馳せるのは好ましくないと思ったのです。たとえその者が側室になろうとも、わたくしがいる正室になろうとも、成宮様には合わないということを証明していきますわ」

 ふうん、と九卿は適当に相槌を打った。

「とりあえずその人の特徴を教えてもらわないと探しようがないんだよね。せめて平民かどうかくらい知りたいんだけど」
「お前も行くのか」
「行くよ」

 矢彦と紀伊は目を合わせた。

「平民であのようななりはできないだろう。貴族か、どこか良い里の子か、都人か。だが、貴族かと思えば性格や髪の長さからしてそうでもないような気がする」

 紀伊はそういって腕を組んだ。それを聞いた浜はひそかに眉をひそめ、紀伊を睨む。
 矢彦は腹に手を当て、考えた。あの着物は、平民ではまず着れない類のものだ。ましてやここでもめったに見かけないものだった。だから少女は身分の高いものなのだと思うのが普通なのだが、どうしても腑に落ちない。身分が高ければ高いほど気高い性質となる。そして今は下剋上の時代。女性はその身を表へと出さないのが一般だ。それなのに少女はそんな枠からはみ出ていた。むしろそれが当たり前だというように死に掛けた矢彦を助け出した。笑う姿も、上品な笑いではなくこちらが安心できるようなごく自然な笑みだった。

「じゃあ、名前。名前さえわかればわざわざ探しに行かなくても人を使えば何とかなるんじゃないのかな」

 そういえば、名前も知らない。

「……いや、」
「つまり成宮様は聞くのを忘れたとおっしゃいますの? 普通は気に掛ける女性がいたら名ぐらい聞くものでしょう?」
「浜、矢彦は口が利けなかったんだよ。聞きたくても聞けなかったんだろう」

 わずかに目を大きくさせて、紀伊の方に視線を送る。

「……のどに傷はなかったはずよ。それに毒は声帯を麻痺させることはあっても喋ることはできるわ。どうして口が利けなくなったりするのよ」

 それを聞いて矢彦は目を丸くした。自分は毒にやられていたのだと思い込んでいたからだ。そういえば、少女は毒を吸い込んでくれたのだ。完全ではなかったが、そのおかげでずいぶんと体が軽くなったのを思い出した。

――――口が利けなくなったのは毒のせいではなかっただと?

 紀伊は小さく笑って浜の頭を撫でた。浜は嫌な顔せず、じっと真剣に紀伊を見つめた。

「さすが、薬師の子。その通りだよ。原因は毒でも傷でもない。ちょっとした術だ」

 しかし、矢彦は否定した。戦では術を使うものや忍者がいなかった。それに術をかけられたときの抵抗もなかったのだ。それはありえない筈だ。

「矢彦は本当に思い出せないのか?」
「……気づいたときにはもう喋れなかった。少なくとも、少女がいたときには」
「やはりな」

 紀伊は納得した様子で懐に手をもぐりこませた。

「なにがわかったというのよ。その子が術を使ったというの? 危険な存在じゃない」

 浜は息を荒げて紀伊を睨みつけた。その視線も無視して、紀伊は何かを取り出した。その手の中にあるものを見て、九卿と矢彦は固まった。

「本当は術でもなんでもない。これなら矢彦が彼女に惹かれる理由がわかる」

 紀伊の手の中には、少女が投げたはずの『導』の玉があった。



「彼女は『全神』だ」

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