目が覚めると、そこは神代の神社だった。最初に訪れた色彩そのままに、心の中で印象付けられた風景がそのままに浮かび上がっていた。
 賽銭を投げて願う場所。それを囲うようにしてびっしり生えている樹木に雪の飾りがつけられて、一年が始まるところ。
 けれど、冬には咲かない桜が咲き誇っている。そして神社も幾分か新しく見えた。
 また遥かな時代へと飛んでしまったのだろうか。現代どころか、もっと遠くの時代に。
 私は賽銭箱の前の真新しい階段に腰をかけ、ぼんやりとした。視界の端に鳥居が見え、志穂を思い出す。志穂はしきりに昔のことを思い出せと言っていた。その隣にいた閑もそうだ。彼方は前世だった頃の来抄はそれを思い出して、私にその宿命を授けたと言っていた。そうして甦ってきた記憶は榊の顔ばかりだけが鮮明だった。
 そして気が付いた。
 榊が神さまを恋していたように、赤の全神も榊に恋していたのだと。
 それを知らされるために思い出せと言ったのだろう。だけど、今の私にはどうでも良いことだった。それを思い出したとしても、一体何の意味があるのだろうか。
 願いは私が居なくても叶えられた。
 願いは玉が役目を担っていて、私がいてもいなくても、いつかは消えてしまう。
 私がその時代に行ったこと、本当は何の意味のないことだったのだ。
 赤の全神の記憶は、それを私に思い知らせたものなのに。








 何かの気配を感じて、私は顔を上げた。

「綺羅」

 鳥居の向こうには何もない。だけど、彼女の気配がしてそこから目が離せなかった。

「いるんでしょう、綺羅さん」

 けれどその気配は動かない。出方を窺っているかのように、私の方を頻りに見つめている。動かないのならこちら側から出迎えるのが筋。私は鳥居の方に歩いて行った。
 鳥居をくぐると、見知らぬ風景がそこにあった。田んぼで敷き占められているはずの土地は本当に何もなく、向こう側に点々と民家が見えるくらいだ。
 あぁ、これは榊のいた時代なのだと私は納得した。

「天華、そなたは戻らなくてはならない」

 ぼんやりとノイズがかかって現れた綺羅は、子供のような姿ではなく若い女だった。

「私は消える。迦楼羅も全神も願いも……全て消える」

 榊の姿でいる綺羅は美しく見えた。榊は彼方に劣らず美人だったのだろうな、と思った。

「彼の赤の全神は願った。長い年月を経てそなたの恨みを果たそう、と。それらの願いは全て玉に託されたのだ。そしてこれは最後の玉。私が矢彦と出会い、そしてそなたと出会ったことでこの玉も役目を終えたのだ」

 そう言って差し出された玉には『導』という文字が入っていた。
 私は咄嗟に玉に手を伸ばそうとして、綺羅に払われる。

「返してっ! それは矢彦のものなの!」
「もとはといえば神さまのもの。矢彦や彼方、そなたには一時期の所有を認められただけ。本当は触れて毒となるもの。そしてその毒で私の恨みを中和していっただけのこと。もうそなたに所有権はない」
「……いやよ。それがないと、私はここにいられない。私はここにいたいの」
「そなたはもうここにはいらぬ」

 綺羅の言葉がぐさりと心を突いた。
 自分が用なしの存在だということは嫌でもわかっていた。でもなんとか認めてもらいたくて足掻いていたのに、その努力も報われずに突き離されてしまう。

「今はまだ、願いは叶えられておらぬ。最後の玉が存在することで赤の全神の思念も、神さまの願いも、私の存在までもが漂うことになる。そしてそなたもあそこにずっと居座ってしまう。そなたは元の時代に戻らねばならない。そのためにこの玉を、壊す」

 駄目、と言う前に綺羅は手のひらにあった玉を砕いた。

 最後に綺羅は微笑んでいた。



 とても、幸せそうに。








 ピキィィインと、耳鳴り。

「……綺羅?」

 目の前には昔ながらのあの風景はなくて、真っ青な空が見えた。雲ひとつなく快晴で、吹きぬける風は寒くなくて春を感じさせる。

「綺羅?! ちょっと、返事してよ、ねぇっ!」
「だぁれ、それ?」

 七海は眉をひそめて聞いた。

――――えっ……?

 どうしてここに七海がいるのだろう、と私は固まった。
 周りを見渡せば、そこは現代の景色。卒業した高校の屋上にいて、そこから見慣れた校舎や校庭がずらりと並んでいる。聞こえてくるのは校庭からのサッカー部や野球部の掛け声、そしてちょうど流れてきた寂れたようなチャイムに、七海の気のぬけた声。
 生まれてからずっとそこにいた見慣れた風景は今では異質に見えて、逆に緑にあふれた里が恋しく思った。

「天華、大丈夫?」
「ど、どうして?! わ、私はっ……戦国時代に、あぁ違う、あのあと榊の時代に行ってしまったのにっ!」
「ねぇ、本当に天華?」

 何かの冗談でしょ、と七海は笑う。

「大丈夫? ビックリしたじゃん、天華がいきなり屋上に向かうからさぁ。こんなところにいたら皆心配するよ。皆の所に戻ろう?」
「……嘘」



――――矢彦は、ここにいないの……?

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