「冗談でしょ……?」
「どこが冗談なものですか!」

 切羽詰まった浜の様子に、九卿は狼狽した。

「だって、天華が未来に帰ったって……。何だよ、天華が未来の人だったとか、そんな話聞いてないよ」
「わたくしだって、知らなかったわよ! でも、紀伊は綺羅からそう聞いたと言うし、山賊の皆も天華が未来から来たということに否定しなかった……それに天華は自分の身分のことについて何も話さなかったわ。山賊になる前、何処に住んでいたのかも」
「なんで、嘘じゃないのか?!」
「わたくしも嘘であって欲しいわよ! 未来なんて、胡散臭いと思っていたわ……そうしたら、わたくしが見たのは幻だというの? ――あれは、幻じゃなかった。この手にかすかに触れた風の感触を今でも思い出せるわ。断言するわ、嘘じゃなかった、と」
「……どうすればいいんだよ」

 こんな話、矢彦に話せるわけがない。
 九卿は唇を噛んで、浜から視線を外した。
 自分は矢彦に助けられた。小さい頃に誓った思い出は、今もまだ鮮明に思い出せる。

『勝手にしろ』

 いつかの矢彦の言葉。確か、天華に会って離れ離れになったところに苛立っていたときだったと思う。九卿はあの時、驚いた。
 矢彦が見境なく発言するのは、ある意味犯罪として捉われる。里を治める長として、常に威厳を持って行動しなければならないからだ。もともと矢彦は口調が少なく、発せられる言葉は占い師よりも正しかった。冷静に考えることが必要な長の座には、矢彦が相応しかった。だが反対に、矢彦は人間味のない人格でもあった。幸せにしてやろうと九卿がいくら誓ったとしても、矢彦の幸せが普通の人間の幸せとは重ならず、途方にくれていた。そんな時に、天華は現れた。
 矢彦が照れたり拗ねたりする様子が可笑しくて、それが矢彦の人格を崩しているのだと理解した。否、崩しているのではなく、立て直しているのだろう。
 矢彦を変えた天華に会いたくて、そしてようやく会えた天華は、まさに理想の人間だった。
 それからは、天華と幸せになって欲しいと願って、見守ってきたはずだった。

――――でももう天華は、どこか遠くのところにいってしまった。

「矢彦に、天華が消えただなんて、言えるわけない……!」

 ましてや、未来に、なんて。








 今日は久しぶりに気分が晴れ、仕事によく打ち込めた。いつもより内容があっさりとしていて、その上長老の愚痴が少なくて早く終わらせる事が出来た。これが毎日続けば紀伊も天華に文句を言うことはないだろう。
 矢彦は天華を捜している最中に、庭の一角に九卿と浜が言い争っているのを目撃した。
 何だろう、と思いつつ二人に近づいた。

「なんで、嘘じゃないのか?!」

 九卿は悔しげに浜を睨んでいた。声を荒げる九卿を見るのは初めてのことで、矢彦は少し怯んだ。浜も肩をびくつかせながらも、言い合いを止めようとはしなかった。

「わたくしも嘘であって欲しいわよ! 未来なんて、胡散臭いと思っていたわ……そうしたら、わたくしが見たのは幻だというの? ――あれは、幻じゃなかった。この手にかすかに触れた風の感触を今でも思い出せるわ。断言するわ、嘘じゃなかった、と」
「……どうすればいいんだよ」

 九卿は舌打ちをし、俯いた。
 矢彦は訳が分からず、浜の言う未来や幻という言葉に引っかかりを覚えながらも二人の諍いを眺めていた。
 そして、呟くように九卿はその言葉を漏らした。

「矢彦に、天華が消えただなんて、言えるわけない……!」

 天華が消えた。

――――どこに?

 自然に、体が動いた。








「成宮さまっ!」
「や、矢彦! うっ……!」

 九卿の襟元を掴み、体を揺らした。苦しげに九卿は呻くが、そんなことを気にして入られなかった。

「何処に消えた?!」
「やめて、成宮さまっ」
「答えろ!」
「……未来に」

 九卿はもがくだけで話せる状態ではないと悟った浜が矢彦の問いに答える。

――――未来。

 目の前が真っ暗になったような気分に陥った。そして何かの冗談だろう、と頭の中で解釈された。だが、冗談ではない、と二人の目が訴えている。

「何故」

 呟くと同時に、九卿を掴んでいた手の力が緩み、九卿は屈みながら倒れた。

「何故天華は未来へ……」
「天華は、未来の人間だったのです。行ってしまったのではなく、帰ってしまったのです……」
「……捜してくる」
「矢彦っ…!」

 唐突に、ぱぁん、と高い音が響いた。
 叩かれた、と気付いたのは浜の怒声を聞いてその声が涙声ではなく、怒りのこもった声が自分に向けられたのだと気付いてからだった。

「成宮さまっ! どうしてわからないの?!」
「……浜」
「あの子は未来から来た人間だったのですよ? どうしてその事実が受け入られないのですか?!」
「しかし」
「天華がここにいる事が、全て神の願いだったのです! 成宮さまに出会うことも、彼方という輩を殺してしまったことも、あの子の身に起こった全てが迦楼羅であった綺羅の願いだったのですっ……――そしてその神が消えてしまわれた……天華は自分の身がなくなったのも同然です! ここにいられなくなって、そして願いは消えてしまった」

 そう、それはあっけないほどに。
 願いが塵であるかのように、風にさらわれてしまった。

「……くっ」
「成宮さま……」

 とてつもなく悔しく感じられた。出てくる涙を抑えられず、乱暴に左手でふき取る。それでも、涙は勝手に出てきた。
 どこに怒りをぶつけても、天華はもうそこにいない。

――――天華は未来へと帰ってしまった。

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