綺羅を一人にするのがなんとなく後ろめたく感じたのだけど、ずっと傍にいればキリがない。それよりも突然感じた感情に不安を持った。
 九卿と何気ない話をして屋敷に戻った頃、日が暮れかけていた。遠出に出たわけではないのにこんなにも時間が進むのが早いとは思わなかった。やはり相手が同性というだけ、話が弾むのだろう。九卿が新たな話題を持ち出したので、その話題に乗ろうかというときに、声がかかった。

「どこにいっていた」

 気が付けば矢彦の部屋近くで、おそらく矢彦は私と九卿の話している声が聞こえて気が付いたのだろう。しかし、声になんとなく怒りが含まれているように感じて、私は肩を竦ませた。

「……ちょっとそこまで」

 その言葉に嘘はない。相模の墓は思っていたより近くて、屋敷の敷地内にあったのだから間違いはないだろう。ただ、ちょっと、どころか随分と時間が経っただけであって。

「何故九卿と一緒に居た」
「あ、案内というか、お喋り役というか……い、一緒についてもらっただけ、よ?」

 区切れ悪くそう言うと、矢彦は眉をひそめた。怒る原因は分からないけれど、とにかく矢彦は怒っているのだということはわかった。隣の九卿は最初こそ呆然としたものの、怒りの原因を悟ったのか、笑いを必死に堪えているようだった。ちら、と九卿を見ると目を泳がせてそこらへんの庭を見た。教えてくれたって良いじゃない…。

「九卿は少し外してくれないか」
「はいはいっと。お邪魔者は消えますよ〜」

 手をひらひらと振って九卿はそこの角を曲がった所で見えなくなった。
 さて、どうしたものか。おそらく怒りの発端は私か九卿にあるのだろうけれど、あの九卿の笑みがどうもよくわからない。

「天華」
「はいっ!」
「俺じゃ駄目か」
「? な、なんのことでしょう?」

 どうも片言すぎて意味がわからない。でもまぁ、怒りの原因は多分私にあるのだろうな、ということだけはわかった。

「何故俺ではなく、九卿だったのだ? 九卿でないといけない用だったのか?」
「成り行きで九卿になっただけで、矢彦でも良かったよ?」

 相模の墓を知っていると九卿が言ったから、案内してもらっただけだ。それに矢彦は私には分からないような仕事かなんかやらで大変なのだと思っていたから声をかけなかった。
 頭に疑問符を残して、私は肩に頭をのせられた。

「どうしたの?」
「……もっと頼って欲しいんだ。そのために君を連れてきたのに、君は例の件で忙しそうだ」

 例の件、というのは綺羅に関わる全神と迦楼羅のことだろう。確かに忙しくはしていたが矢彦ほどではない。それに私はあくまで個人として動いて来たのだから当たり前だろうとも思う。
 それに……。

「私は矢彦に迷惑をかけたくないの。厄介ごとにもなりたくなかった」

 以前紀伊に言われた、お前は邪魔だから、と。ここに来たのは不本意だが、ここに留まることを決めたのは私だ。だからせめて邪魔にはならないように、行動していたつもりだった。
 いつの間にか掴まれた肩を、ほんの少しだけ揺さぶられる。

「逆効果だ。俺は君の事が心配でたまらないよ」
「矢彦」
「君が今何をしているのかも分からずに悠々と生きていられるほど、俺は立派じゃない。天華が居なくなれば俺はどうなってしまうのか、わからないんだ」

 あげられた矢彦の目には、恐れの情緒があった。矢彦も怖いのだ、と悟った。矢彦も私が居なければ不安でたまらなくなる。初めて知った恋は不安だらけで、私も気にとられてばかりいる。

――――初めて愛したから?

 友人が騒いだ恋の形とはこんなものだったろうか? それ以上に気がかりで不安で、安らぐ事がない。それでもどこかで安心出来る自分がいる。

「私だって、離れたくない。ずっと一緒にいたいよ! でもっ」

 私はこの時代の人じゃない。
 今までは傍に居れば何とかなると思っていた考えが、この時は不安しかもたらさなかった。離れてしまう、それだけが頭の中を占めている。それは綺羅の輪廻のことを払いのけてしまうほど。まだ解決したわけでもないのに、考えられなくなっていた。
 そのかわりに沸いてくるのは私が居た頃の現代だ。

「私がどこの誰かもわからないんでしょう? それなのに矢彦は私をここに置いてくれた。でも私は、本当は」

――――未来から来た。

 そう言うべきなんだろうか?
 でもそう言ってしまうと軽蔑されないだろうか?
 軽蔑されることはないだろう、と少しの自信はある。雷はともかく、樋都や千鳥は軽蔑しなかった。
 だけど、もし本当に私が未来に帰ってしまったら、矢彦は私のことを諦めてしまうのかもしれない。言わなかったら、ずっと私を想ってくれるかもしれない。
 私が言うのに躊躇っていると、矢彦は関係ないよ、と惜しげもなく抱きしめた。

「せめて今だけでも、俺を頼ってくれないか。九卿よりも、もっと」

 矢彦は優しい。私がどこの誰かもわからずにこんなにも愛してくれた。
 不安はある。抱え切れないほどの、不安。だけどそれを無理やり押し込めて矢彦への精一杯の抱擁を返した。








 影で九卿は目を丸くした。

「あーらら。あんな展開までいくとはさすがに思わなかった……」

 九卿は最初から矢彦が嫉妬していたのに気が付いた。お咎めをもらうかと思ったらそうでもなく、逆に逃がしてくれたので、これ幸いと思って角に隠れて様子を見守っていると、これだ。
 矢彦が天華を部屋に誘導させている様子を窺うと、おそらく朝までそこから出る気配はないだろう。

「女官に夕餉は必要ないって知らせなきゃ」

 きっと女官は今頃珍しく食べ盛りな天華のための料理に奮発しているだろうから、と九卿は一人怪しい笑みを隠さずにはいられなかった。

 back // top // next
inserted by FC2 system