昔話にあった全神と迦楼羅は、願いのことしか触れていなかった。語り継がれる伝承も同じく、全神が幸せだった、とかそんなことは一切なかった。
 ただ、全神は迦楼羅が願った願いを叶えるもの、それだけしか伝えられなかったのだ。
 青年から聞かされた本当の昔話は、思っていたよりも随分前の話だった。
 榊と名乗った巫女は全神であり、神様の願いを叶え、傍にいることで幸せと感じていた。
 それを崩壊したのは赤の全神。
 榊が変わっていくのを神は感じ、それを自分のせいだと責めた。そして赤の全神に自分を殺すよう、願った。それに気付いた榊は赤の全神を恨みながらも殺されていった。
 榊はこれからも赤の全神を憎み、そして輪廻の生死を繰り返した。ただ赤の全神の恨みを晴らすために。
 赤の全神は、二人を殺したとき、何を思ったのだろうか。
 生まれ変わるほど恨まれて、それでも尚逃げようとはしないのは何故だろう。
 榊が恨むのは無理もない。けれど、長年輪廻の生死を繰り返すほど赤の全神が憎いのだろうか。
 そして神様は。
 神様は、死んだ後、この状況についてどう思っているのだろうか。

「私はどうも思わないさ。相模として生きていた私は、このことについて関与すべきではないと察したからね。綺羅のことは普通のおなごとして接するさ……だが、神はそうは思っていないだろう」

 青年は私を強く抱きしめ、それでも語った。

「神は悲しく思っている。早く榊を楽にしてやりたいと、ずっと前から願ってきている。その願いが果たされるのは、いつになるのだろうか……」

 私たちには関係がないと思ってきた伝承の物語。唐突に、主人公は貴方たちなのだと言われてもどうしようもない。これからも、今までと同じように過ごすだけだ。
 だけど、もうこの時からは変わってきた。全神と迦楼羅の関係から、もうはずされない運命になってきた。
 もし、少女に青年の正体を明かしたならば。
 少女は輪廻から、外れるのだろうか。
 そうなれば憎むこともなくなるだろう。私に害が及ぶことはない。

 もし、そうじゃなければ……?




 私のお腹にいる子供がすくすくと育ち、やがて産気付いたころ、少女は気付いてしまった。
 青年が、神様の生まれ変わりであることに。
 私が直接聞いた話ではない。当時幼かった紀伊から全て聞いた話だ。紀伊は全て、見ていた。
 少女が、青年を殺した、と。
 そうして少女の髪は白くなり、やがて見えなくなった、と。
 少女は幽鬼になったのだ。すなわち、青年も殺される前は幽鬼、迦楼羅だったのだ。
 それが判れば、どうしても埋まらなかった空白の部分が、すべて見え始めた。
 青年は忍者の里長でありながら、迦楼羅だった。死ぬ前にどうしても子供を残さなければいけなかったのだろう。そうして見つけたのが、私。
 私に子供を生ませれば心残りはない。だから青年は少女に自分の本当の正体を明かした。




 私は、悲しかった。
 青年に愛されていなかったと知りながらも、過ごした日々は幸せだった。少女さえ現れなければ、ずっと幸せでいられたはずだ。だけど、その日々は少女に壊された。
 いったい、少女は何が気にくわないというのか。神の生まれ変わりであった青年を殺すほど、赤の全神が憎いというのか。




「私は赤の全神が憎い。私の幸せは赤の全神によって壊された」
「……」

 姿は見えないけれど、少女の声だ。迦楼羅の身なのだから、私を殺せるはずはない。だけど尋常でない声の迫力に身震いさえしてくる。

「だが、お前も憎い。お前も、私の幸せを奪った……それに、お前は力のない全神じゃ。何故そこまで差し出るのか」

 自分の行動に文句を言われ、頭にきた。

「そんな、あなたに言われたくないわ! あなたこそ、私の幸せをこそぎ取ったではないですか! 相模さまはあなたに本当のことを教えたのでしょう? 何が不満なのですか」
「憎いのだよ、相模の子供を生んだお前が」

 不意に殺気を感じ、私は子供を抱きしめた。それを感じ取った二人の赤ん坊は、わんわんと泣き始めた。

「煩い」

 と少女は不機嫌そうに言うが、それで泣き止むはずもない。私は子供をあやすこともせず、ただ震えていた。

 ――関係のない子供まで、少女は殺めてしまうのか。

 すると、乱暴に開けられた戸から紀伊がやってきた。どうやら子供の泣き声が聞こえたらしく、子供の所に一直線に来て私の変わりになだめようとしてくれた。
 しかし、紀伊も普通ではない何かを感じ取ったようだ。周りを見渡し、納得したように頷いた。

「綺羅だね」
「……そなた、何故ここに」
「俺は矢彦と閑の侍従になったの。だから死なせない。綺羅も早くここから出た方が良いよ。柳さまが怒っている」
「……」
「俺は当主さまが死んだことを悲しいと思っているけれど、綺羅のことは責めない。だけど、赤ん坊に手を触れたら、さすがに怒るよ。昨日まで遊んでくれた綺羅にも、それだけは許さない」

 すると、あれだけ殺気立っていたものが消え去り、少女がいなくなったのだと察した。
 紀伊は嘆息し、私に抱きしめられている子供を撫でる。子供はいつの間にか、泣き止んでいた。

「柳さま、安心して。俺が二人を守る。今はいない、当主さまの子供だもの。あと、綺羅のこと、許して欲しいんだ。綺羅は悪い子じゃないんだよ。俺とも優しく遊んでくれたし、里の下で人気者だったんだ。だから恨まないで」

 愛しいと思っていた人が殺され、どうして恨まずにいられようか。だけど、この時の私は紀伊の言葉に安心しきっていた。

「うん……」

 恨むよりも、今は子供を守る方が大事なのだと思った。
 そして、私は願った。


 綺羅の恨みが早く晴らされることに。

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