綺羅が再びそこの地に戻ると、1人の少年があわただしく別の少年に語りかけていたようだった。少年というよりは青年という年齢なのだろうか、相手の男は首を振るだけだった。

「俺は最初から賛成じゃなかったんだ。やっと目を覚ました、というところだろう。これで精々したじゃないか。何が不満なのだ」
「紀伊、わかってないなぁ!」

 少年は不服そうに紀伊と呼ばれた男の襟を掴む。

「天華がいなくなったからには、また捜さなきゃいけないと思うんだ」
「本人がここにいられないといったのだろう。探し出せても、またここから去るのはわかっていることだ。それなのにどうして捜す必要がある? 無駄な労力を使わせないでくれ」
「矢彦のためでもあるんだよ、探し出すことが。今は動揺して何も考えたくないみたいだけど」
「それが利口だ。九卿様は矢彦のことを考えすぎなのだ。放っておくことも大事なのだぞ」

 少年を煽るような言い方をする紀伊に、綺羅は疑問を持った。あの男、どこかでみた事がある。そう思ったのだ。
 九卿と呼ばれた少年が紀伊の襟を掴むのを止め、やがて二人は正面を向く。

――――紀伊か……。

 全神であったときに一度見た相模の息子には、年端もいかない忍者がついていたことを思い出す。小さい頃だったので顔が似ているということはないが、性格は殆ど変わっていないことに笑えてきた。正面に向かいあった二人を一瞥して、綺羅は呟く。

「全く、変わらず元気なようじゃな」
「……誰?!」

 姿は見えていないようだが、小さく呟いた綺羅の声を耳に拾ったらしい九卿は周りを見渡しながら警戒した。その行動に、綺羅はまた笑いがこみ上げてくる。

「相模は死んでしまってからも周りを影響を及ぼしたか。でなければ私の声など聞こえないはずなのだが」
「綺羅か」
「さよう。紀伊も相変わらずじゃな」
「それはこちらの台詞だ。矢彦から聞いたぞ、あの女の傍らに白くて長い髪をしていた、赤い瞳を持つ少女がいた、と。あれは綺羅なのだろう。矢彦が覚えていなくても、俺はちゃんと覚えている。あの日は相模様が亡くなられた日なのだから」

 姿が見えない事が分かっている紀伊は九卿のように慌てたりする事がなかった。正面を向いたまま、腕組をして見えない綺羅に問いかける。当然、視線はかみ合うことはない。

「そうじゃの。あれから矢彦とやらには手を出してはおらぬ」
「何が目的だ。綺羅のことだから、ただあの女と矢彦を引き離そうとしているわけじゃないのだろう」
「私は憎いだけじゃ。報復を願う以外、何も考えておらぬよ」
「……どうだか。ここに戻ってきたということは、矢彦に用があるのだろう。何を言うつもりなのかは知らんが」
「それじゃ、綺羅は矢彦にまたなんか言って傷つけるわけ?」

 途中で割り込んできた九卿に対し、紀伊は眉をひそめるだけだった。綺羅はそんな二人から少しずつ離れていって、話を中断させようとした。これ以上話すことは何もない。九卿に何を言われようとしても、自分は矢彦に会って、策をすすめなければならないのだ。こんな所で足止めをするつもりはなかった。
 そんな綺羅の心情を悟ったのか、紀伊は口を開く。

「矢彦は最後に別れた庭にいる」
「……何故暴く」

 これから探す手間が省けたのはいいが、場所を暴いた紀伊が怪しかった。罠のわけはないだろうが、その理由が知りたいと思う。

「さぁ、口が滑った。どちらにせよ、捜されるのは目に見えていることだからな。どうせなら俺に対する高感度を上げようかと目論んでいたりするかもな」
「無駄な努力だ。だが、助かった」

 別れたところの庭といえば、天華が留まった部屋の前にある庭のことだ。そこに矢彦はいる。

――――感傷に浸っているのだろうな。その姿を見るのも、また一興。

 綺羅は不遜な笑みを浮かべて、紀伊と九卿がいるその場所から立ち去った。








『帰ろう、私の迦楼羅のもとへ』

 拒絶の言葉を聞いて、矢彦は心が空っぽになったような気がした。
 何かに集中しようとすればするだけ焦りが出てきたように物事がうまくいかない。大事なものをなくした心は、何かを埋めようとはするものの、穴が大きくて埋め尽くすことは出来ない。それが分かってからは、忙しく過ごすこの日々がゆっくりと進むように感じた。

――――もう戻ってこないのだろうな……。

 わかりきったことを何度も呟いては、また傷つく。自傷しているような気分だった。

――――天華は、迦楼羅のもとへ帰ってしまったのだ……。それが本来居るべき所なのだ。

 自分が迦楼羅であればいいのに、と何度思ったことか。そうすれば天華はずっと自分の元にいてくれるのに、自分は迦楼羅ではなく平民として生まれてしまった。全神から見た平民はやはり平民なのであって、平民が全神に惹かれたとしてもその逆はないのだろう。それに、天華は自分が全神だから矢彦は自分に惹かれるのだといっていた。昔話にたとえられるように、平民は全神に惹かれていくが、それは愛とは呼ばない。天華は矢彦がそうであるから、と断言していた。
 だが――……。

――――本当に愛とは呼ばないものなのか?

 溢れ出るこの感情を愛とは呼ばないのだとしたら、どういう名前が出てくるのか、矢彦は分からなかった。そして、もうひとつ疑問もわいてくる。
 もし自分が天華に惹かれていくだけの平民であったのなら、何故九卿と紀伊はそうでなかったのか、だ。九卿と紀伊も平民なのには変わりない。なのに二人は矢彦ほど天華に惹かれることはなかった。むしろ紀伊は天華を疎んじているのだ。

――――誰かこれを分かるものはいないのだろうか……。

「知りたいか?」
「……何処から沸いてきた」
「普通に歩いてここに来ただけじゃ。私ならば、そなたの疑問をとく事が出来るぞ」
「信じられんな。その答えが納得できるものだとしても……」
「ふ、そう思っておるだろう。では一言だけ言おう」

 突然現れた綺羅は少し矢彦を見下ろすような視線でそう言った。

「お前はあの娘を好いておる。惹かれるわけでもなく、本当にあの娘の事が好きなのじゃろう」
「……本当か?」
「食らいついたな」

 はっとして顔を逸らすが、喜びの表情を隠すことは出来なかった。自分はやはり天華の事が好きだったのだ。それだけで自然と喜びたくなった。
 綺羅もまた、嬉しそうな矢彦を目にして喜びを隠そうとはしなかった。満面の笑みを浮かべている綺羅は、本当に楽しそうに見える。

「では、天華は勘違いをしたということか?」
「勘違いも何も、私が娘にそう教えてやっただけじゃ。本当のことは言えん」
「何故、そんなことをした」
「お願いがあるのじゃよ、矢彦。そなたは私の姿が見える。すなわち迦楼羅の姿が見えるということ」

 笑みの形を崩さずに綺羅はそう告げた。

「そなたはあの娘、天華の全神。『導』の玉を持つ、全神なのじゃ」
「……は?」

――――全神、…俺が?

 綺羅の突然の真実に、矢彦は戸惑う。昔話となった全神の存在が、いきなりあなたなんですと言われても困惑するだけだろう。なにより、証拠がないと思われた。

「『導』の玉は天華のものだ。俺のではない」
「天華は既に『呪』の玉を持つのだよ。そして天華の迦楼羅である彼方は『世』の玉を持っておった。全神は1人必ず文字がある玉を持つ。……そなたは『導』の玉を持っているとなれば、全神と認識されてもおかしくはない」
「……俺が、全神」
「お願いがあるのじゃ、矢彦。これは全神であるそなたにしか出来ぬこと」

 綺羅は矢彦にとって天華を連れて行った悪者であるはずなのに、綺羅の言うことを否定出来なかった。綺羅が願うならば、それを叶えなければ、と頭のどこかで思ってしまう。そんなことはしなくてもいいはずなのに、何故か裏切れない。






「天華の迦楼羅を殺してくれぬか」

 それは、残虐な願いだった――。

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