夕闇が迫るころ、侍女たちがそろそろ自分の不在を知って探し回っているだろうかと、浜は思った。普段ならとうに部屋にいて、夕餉を頂いているだろう。何気なく侍女たちと冗談を言い交えながら寝るまでの夜を過ごすのが日常だった。
 だが、今日は違った。
 昨日、自分の夫となる彼が、自分も探していた少女を連れてきたのだ。その少女は、自分が少年だと信じて疑わなかった天華だった。目を丸くする浜と視線が会った時、彼女はこの上なく申し訳なさそうな顔をしていた。それが誰に対する免罪なのか、天華の目を見て浜は苛立ちを感じた。

――――わたくしが先に見つけたのに……。

 やはり最初の印象を捨てるのではなかった、と後悔する。最初は浜だって、少女だと思っていたのだから。
 それから浜は天華と会っていなかった。矢彦が会わせなかったというのが正しいのだが、それでも浜はめげずに何とかして天華に会おうとしていた。矢彦から遠ざけるための言葉を言うために。
 昼から覚悟を決め、ずっとそこに立って待っていた一つの襖の前に、現れた女性を一瞥して浜は話しかける。

「柳」
「……浜様」
「その届け物、わたくしが代わりに致します。今日のところは下がってよろしいわ」
「……これは当主様に直接任された仕事ですから、浜様にさせるわけにはいきません」
「わたくしが頼んでも駄目?」
「はい」

 俯き気味に柳が頷き、浜はあきらめた。

「なら、いいわ。あなたがそういうのならどうしようもないでしょうから」
「当主様に言われましたわ。浜だけには心を許すな、と。……あの部屋に入りたいのであれば、他の人を尋ねるのが良いと私は存じます」
「そうもいっていられないわ。あの部屋を出入りすることを許されるのは柳だけなのよ。だから最終手段をとったというのに」
「それは私の身分を思って、のことかしら?」

 女性の表情が一変して、浜は口を噤む。その通りだと、素直にいえない自分を恨めしく思った。目の前の女性はそういわれるのを望んでいるということを分かっているが、女性の自嘲した表情に気圧されていた。

「昔のことは昔。あれは私ではないと思って欲しかったのよ」
「柳様は本来ここにいるはずがありません。……どうしてこの道を選んだのですか」
「今は、私はただの侍女です。私ごときに敬う必要はありません。それに、その質問を応えようとも思いません」

 数回の否定の声に浜は俯く。やはり、この人には逆らえない。自分がどのくらい身分が高くなろうとも、過去の持つこの女性の身分に、浜は退くしかないのだ。
 そんな浜に、柳は優しく語りかけた。

「浜様、決してあきらめてはいけません。あの部屋をよく観察してみなさい。出入りするのは当主様や私だけとは限らないのですよ」








 目を開けると、そこは薄暗くて夜だと思った。
 自分の身に起こったことにしばらく気づかずに山賊の仲間の名をあげるが、ありえない静けさだけが返事としてかえってきた。変だと思って周りを見てみるけれど、暗いせいなのかよく見えない。

――――夜ならもう一回寝ても良いかな。

 闇に目を慣らすのを待っていた私なのだけれど、眠気が襲ってきて倒れこむように布団の中へと戻っていった。
 そのときだった。




――コツン

 あれだけ名前をあげても返事をしなかった空間から不自然な音が響くのを聞き、私はゆっくりと戸口の方へと移動していった。確かにここから音が聞こえたはずだ。半ば勘であるが、間違いではないと確信している。
 のろのろとした動作で戸を横にずらすと、広い、綺麗に整えられた庭園があった。
 そして、その中心に優雅に石の上に座る少年。
 矢彦だった。

「君にとって些細なことなのかもしれないけれど、俺はそうじゃない」

 私が戸を開く音を聞き取ったのか、すぐに振り向きそう言う。
 その顔は満足した笑みでいっぱいだった。




「話をしようと思うのだが――どうだろう?」

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