「お頭の臆病者! 樋都を満足に妻に出来ない、大馬鹿者だ!」

 いきなり、そんなことを言われた。
 しかも言った人物は、先ほどまで樋都に心配されていた天華だ。
 どうしてそんなことを言われなければいけないのか見当もつかない雷は無視した。しかし、それで怯むような小娘ではないことは、雷も承知している。
 案の定、また怒鳴り声に近いものが響いた。

「素直じゃないやつ!」

――――………。

 樋都は、天華に何を言ったのだろうか。明らかにおかしすぎる。お頭の存在である雷を貶すことは、普通考えられないし、落ち込んでいたようだった小娘がどうしたらこんなにも元気になるのか疑問に思う。

――――それはいいとして、何故俺が馬鹿になるんだ。

 屋敷の中にいるため、外にいる天華の姿は見えない。しかし、大きい声は雷のいる部屋全体に響く。正直に、煩くて仕方がない。

「へたれな男は樋都に嫌われるの!」

 へたれ。
 なぜかその言葉はずっしりと来た。天華は妙なところで敏感で、雷が樋都に好意を寄せていることを一発で見極めた人間だから尚更だ。
 だが、もうそんなことはもう諦めている。

「へたれで結構だ!」
「逆切れすんな!」

 一応皆に聞こえることを配慮したのか、丁寧に言葉を返される。自分を説得するのに、余裕があるということなのだろうか。雷はそう解釈すると、頭のどこかが切れたような感触がした。

「事情を知らない癖してそんな口を開くな!」

 そうだ。この小娘は事情を知らない。
 自分が、樋都を諦めざるを得なかった事情を。
 手に入れたくても、どんなに近くにいても、その事情は心に空白を残していって、埋めることすら出来ずに今に至っている。ぽっかりと空いたその穴は、他の女では満たされなかった。正妻をとった今でもそれは同じだ。埋める方法は知っているが、それは許されない方法。
 自分の身勝手で皆のものである巫女の樋都をとるわけにはいかなかった。

「多少我が侭でも良いんだよ! 山賊の長なんだから、そのくらいの欲望持ったって悪いことなんかおきないよ!」

 母親が子供を叱咤するように、その声は雷を叱咤した。
 それでも雷は首を振って、否定し続ける。

「だが、樋都は巫女だ。本来神に仕えるもの。だから……」
「だから、臆病者ってんだ! 神を裏切る事がそんなに怖い?! そのくらいの勇気を持つ事が大事なんでしょう? 神から断ち切ってやってよ、可哀想な樋都を」

 最後は哀願のように聞こえた。だが、と雷は否定しかけて、止めた。
 おそらくどこかで樋都は聞いているのだろう。そうでなくてもこんな大きい声で会話をしているのだ。聞こえないはずがない。

「わかった」

 そう思うと、口から出る言葉を考えるのは簡単だった。もしかすると、考えもせず発した言葉なのかもしれない。

「お前の望みどおりにしてやる」

――――さぁ、樋都。出て来い。








 くすくすくすくす。

 廊下に待ち伏せして、長である雷の部屋から出てきた女性を待っていると、ふいにその待ち人が現れた。
 自然と笑えてくる。嘲るような笑いではなくて、心から面白いと思うような笑い。強いて言うなら、ずっと待ち望んでいた笑み。

「樋都、長年かけてやっと両思いになったのね。おめでとう」
「……あんた」
「もう雷に近づけないんだから、そんなぴりぴりしなくたって大丈夫でしょう?」
「千鳥……」

 樋都は、それでも自分を睨むように話しかけてくる。

「私はね、ただ樋都の友達になりたかっただけなのよ。本当よ?」
「知っているわ。でも私は嫌だった」
「今は嫌?」

 樋都は首を振って否定した。
 もう大人であるけれど、子供のようなその態度に千鳥はまた笑えてくる。

「笑いすぎなんじゃないの」
「だって嬉しいんだもの。雷から釈放されたと思っていたら心がうきうきするの」
「雷がそんなに嫌だったの?」
「あら、勘違いしないでよね。本当は樋都を求めてるくせにそれをはぐらかす雷が大ッ嫌いだったの。しかも結婚で私の機嫌をさらに損ねるし。それから開放されたと思えば、そうね、樋都の先ほどのような気分なのよ」

 うふふ。はりきれんばかりに笑うと、樋都もまた笑い出した。

「嬉しいよ。もう巫女じゃなくていいんだ、って思ったの。あ、そうだ、天華知らない?」
「さっき雷を説得した勇敢な子?」
「そう」
「知っているわよ。屋敷から出たのを見たわ。でも近づかない方が良いんじゃないかしら」

 笑うのをやめて、怪訝な顔をしている。あぁ、せっかく見れた笑顔が台無しだわ。そう思いながらも千鳥は天華のことを考える。

「あの子、切羽詰って彼方の行方を聞いてきたから、何かあったんじゃないかしら」

 そういうと、樋都もまた辛そうな表情をする。

――――何か事情があるのねぇ?

 それを聞こうとは思わないけれど、樋都に一応聞いてみる。

「天華、可哀想なんだ。私よりも」
「ま、それはどうして?」
「神様を裏切ることなんて、本当は出来ないことを知っているからよ」




 あの子、全神だから。

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