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『勝手なことしないで大人しくしていればいいのよ』
唐突に聞こえた言葉。
それはどこから聞こえたわけでもなく、かといって自分で声に出したわけでもない。
ただ、勝手に頭に流れてきた台詞。
それを苦もせずすらすらと頭が読み上げるように、頭中に、体中に響き渡ってくる。
手の先の指の先の爪の先まで、その言葉を聞き逃すことはない。
そしてそれを聞き逃していても、赤い目の色で縛り付けなおされる。
逃げることは出来ずに、目をそらすことさえ出来なかった。
だから、思い違いなどもう出来ない。
『時は勝手に流れていくわ。あなたはその時に身を任せて流されるしかない。でも、早くしないといけないわ』
「わかってる」
この忠告はありがたかった。
裏切られたような気持ちになったときは恨みたかったのだけど、今はそうでもない。
これは忠告というより、警告だ。
早く現代に戻らなければ何かが起こってしまう。
そして誰かが私に訪れに来る。
その誰かは私に何をもたらすのだろうか。
「天華がおかしいのよ」
樋都は目の前に居る山賊のお頭にそう呟いた。
戦を終えたお頭は酒も飲んでいないのに、冷たく樋都を睨みつけるように見つめる。戦は幽玄の奇襲が功を奏したのか、勝利をとることが出来た。だが、一番恐れていた問題が起こってしまったのだから、雷と樋都は素直に喜べずに今に至っている。
「彼方に関係しているのだと思うけれど、彼方は何もしゃべらない」
「そりゃ吐く気がないだろう、樋都の前ではな」
「関係ないと思うわ」
自分の寝室でゆったりと寛ぐ雷を見て、樋都は小さな反発を覚える。
「お頭、彼方が何処の者か、本当はわかっているんじゃないの?」
彼方は、数年前雷がどこからか拾ってきたぼろの着物を纏っていた小さな子供だった。年相応の外見にはとても見えなくて、顔立ちが今よりも女じみていた事を今でも思い出せる。当時、雷と樋都が話しかけても喋ろうとはせず、ずっと空の方を見て悲しそうな顔をしていた。朝も昼も夜も、ずっと刻々と変わる空模様を飽きもせず眺めていたのだ。
あれはいつだったのだろう。
彼方が、ずっと手に握り締めていたものを失くしたとき。
「そういえば、小さい頃、彼方が大事にしていたものがあったでしょう。お頭なら見たんじゃないの?」
それを失くしたときの彼方は今までになく、感情的だった。泣いて、荒れて、暴れて、そして仲間を殺してしまった。そんなに大事ならばちゃんと保管すればよかったのに。そう呟いたときがある。その時の雷の返答はこうだった。
『いつか無くなるとわかっていたから、なおさら手放せなかったんだろう』
「お頭、絶対知ってるよね、彼方の秘密とか。私に教えてくれないの?」
「それと天華はどういう関係がある?」
「知らないけど、今は彼方の話題。関係があるのかは別として、彼方の疑問をぶちまけてみようという魂胆なんだけど」
だって、彼方いつも謎なんだもん、変な言葉ばっかり喋るし。
そう付け足して、樋都は雷の正面に座りなおした。
いつものように雷が密かに眉をひそめるのを確認して、雷を促してみる。
「彼方が握っていたものは丸い、変な物体だ」
「変な物体? 何よそれ」
「変なものは変なんだ。玉だと思ったのだが、中に『世』という文字が入っていたんだよ」
「それ……?」
天華が持っていたものに似ている、そう思った。
じっくりとは見れなかったけれど、あまり良くない字が書かれてあるのを見た気がするのだ。その時は彫られているんだろうと思って気にはしなかったけれど、中に入っているのだとしたら、不気味だ。
「お頭、意味もわかるんじゃないの?」
「樋都から見た俺はどれだけ賢いんだ」
「彼方から何か聞き出したのかと思って」
そう言うと雷は不自然に口を閉ざした。珍しい、雷がこんなにも感情を表に出してしまうなんて。仲間の前ではそんなことありえないのに。
「天華も彼方も変だけど、お頭も変よ。その態度じゃあ、自分は知っていますと言っているようなもんだわ」
悪いけれど、鈍感な私でも好きな人の態度くらい見切れるの。天華に言ったら「嘘だー」とか言われそうな気もするけれど。
「言わない」
今度は不機嫌にそう言った。
「彼方との約束だ。誰にも漏らさない」
「そんなの時効よ。いったい何年前の話よ」
「彼方が来たころと言ったらほぼ8年前だろう」
「子供のころじゃない。そんなのみみっちい約束、私が聞いたってどうってことないじゃない」
「もう彼方がしっかりした頃だから子供とはいえんぞ」
「子供でなかろうが、私に内緒事していること自体いけないのよ」
「放っておけ。お前のそのお節介、どうにかできんのか? 千鳥みたいで腹が立つ」
千鳥みたい。
雷の口から出てきた女の名前。しかも、今となっては雷の正妻となりうる女の名前。
なぜ関係のない女が出てくるのだろう?
「……」
言い争っている最中に突然黙り込んだ樋都を怪しく思ったのか、雷が心配そうに樋都の顔を覗きこむ。
仲間の誰にも、彼方にも見せない、その顔。樋都だけが独占できると思って安心していたあの頃とは違って、今は雷が自分のことをどう思っているのかさえわからなくなってしまった。
「嫌いだ……」
雷に近づく女が嫌いだったのに、いつの間にか女に近づく雷が嫌いになっていた。
――――どうして、私じゃなくて違う女なんかに付き合っているの?
「雷なんか大っ嫌いだーーーー!!」
樋都は雷の耳元で今までにないくらい、大きく叫んだ。
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