何も特徴のない部屋から眺められる景色は、もう既に葉っぱが色を変えて落ちようとしていたときだった。
 この時期は夕焼けが綺麗だと、誰もが思うだろう。紅葉にそれを混ぜると、赤と赤の芸術品となってなんともいえない美しさを誇るのだ。矢彦はそれを部屋から眺めるのが昔から好きだった。外をあまり出る機会がなかった昔の矢彦は、窓から見える景色が全てだったのだ。四季の中で一番好きなのは今の時期なのだが、東北の地では有り触れた雪の景色でも美しい。今思うと、こうやって思いを馳せたりするのは世界が狭いと信じていた昔の癖だったりもするのだが。
 最近怪我を負うことがなく、部屋でのんびりすることがなかったので四季の変わり目をじっくり見るのは実に久しぶりだったりする。厳密に言うと、忍者の当主になってからこの身が忙しくなったのだろう。
 この間の戦で大怪我を負った矢彦は、急に風が自分の顔に当たっているのに気づき、視線を襖に持ち上げる。逆光で見えないが、誰かがそこにいるのがわかった。

「紀伊?」

 その気配は慣れたものだったので、矢彦は警戒もせずにそれを見つめる。顔の表情は見えない。ただ暗い気分を漂わせて、お互いの視線が交じり合う。

「噂が」

 不意に呟かれた言葉に、矢彦は顔を潜めた。

「ここにいる間は世間に疎くなる。噂と告げられても何のことやらさっぱりだ」

 なんせ大怪我を負って動けないのだから、それに加えてここに訪れる人間は紀伊を除いてご飯を運ぶ者しか見かけないのだから。その状態で噂、とは無理な状態だ。
 矢彦の言葉に狼狽して、紀伊の声はますます小さくなる。

「あの娘は全神です」
「あの玉が何よりも証拠だろう」

 『導』の玉を思い出す。本来ならばあの少女が持たなければならないのだが、捜して会えたときにいつでも渡せるようにと、紀伊に預けていたのだ。

「それが?」

 紀伊にしては珍しく、告げるのに躊躇っている。

「噂があるのですが……本当のことかはまだわかりません」
「なんなんだ、その噂とは」
「全神が現れた、と」

 焦らされて不機嫌になっていた矢彦に、それは唐突な言葉だった。意味を考える暇もなく、紀伊は言葉を続ける。

「そして迦楼羅を見つけ、慕っていると」

 どこからそんな噂が広まったというのだ。
 矢彦はそう思わずにはいられなかった。大体、全神以外には迦楼羅の姿は見えないはずなのだ。どういう根拠でそんなことを言うのだろうか。

「あの娘は、俺のものだ。迦楼羅になど渡しはせぬ」

 誰にもあげたくない。たとえ、それがあの娘が好いた迦楼羅だったとしても。引き離されてあの娘が泣いたとしても、それを許すことはない。
 この時湧き出た感情を知って、矢彦は初めて自分の大きな独占欲を知った。今まで欲しかったものは傍にあれば何でも良いと思っていたようなものなのに、あの少女だけは格別に違う。
 とにかく、誰の目にも触れさせたくはなかった。
 独り占めにしたかったのだ。

「迦楼羅は別にあの娘が好きなのではないのだろう? それならば俺がもらう」

 勝手な行動だとは思うが、あきらめることはない。
 軽く紀伊が笑い、調子を取り戻したのがわかった。

「心配した俺が馬鹿だった。その台詞を聞いて安心した」

 そうか。
 素っ気無く矢彦はそう呟き、会話が終わろうとしていたときに、紀伊は今思い出したように「あ、」と漏らしていた。

「なんだ」
「九卿様が仰るには、気になる人がいるみたいだ。もう一度山賊の地に派遣させていただきたいと言っていたぞ」
「あそこにもう用はない」
「そういうな。もし九卿様の思い人だったらどうするんだ。可愛い弟君だろう?」
「気色悪い」

 だが、紀伊がそういうなら勝手に行けばいい。
 そういおうとした矢彦は、紀伊の表情を見て固まる。紀伊の視線の先には、あの玉。

「俺は、あそこに全神がいるような気がするんだ」

 その玉は鈍く、それでも存在を主張しているように紀伊の手のひらの中で光っていたのだ。








「縛めでしょう?」

 目の前の少女はそういって、さもおかしいというような表情で笑っている。
 何がおかしいの?
 右目が赤くなって笑うなんて、信じられない。
 それでも天華は笑う。まるで自嘲しているみたいで。
 それを留めたかったのだけど、自分は一歩も動けなかった。
 ただ、目の前の少女を凝視していることしか出来なかった。
 少女に救いの手を伸ばすこともせず。

「自分の馬鹿な行動に責任を持てってことでしょ」

 意味がわからなかった。
 わからないなりに頑張って無表情を保っていたのだけど、果たしてそれが本当に出来ているのかもわからなくなる。

「でしゃばることを止めろって事なんだよね」

 樋都は、天華が何を思っているのか分からなかった。

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