男が振り下ろす刀を呆然として見ることしか出来なかった。
 あんなに綺麗な刀が武器だったことを今思い出して、それでも振り下ろされる刀は鮮やかに見えた。この刀に自分の血がつくのがもったいないと思うくらいに。
 目を閉じずに男の腕をじっと見ていると、ふいに体が浮いたように感じた。

「え?」

 体のあちこちが暖かいものに反応している。自分の流れている血の暖かさかと思ったけれど、切れた痕跡もないし痛みもない。そのまえに、切られた記憶もない。

――――じゃあこの手の赤色のしたものは何?

 自分の血でもないのに、それは血まみれていた。ドラマであるケチャップとか絵の具のような、そんな臭いはしなかった。でもこの臭いは嗅いだ記憶がある。

――――これは……。

 この時代に来て、嗅いだ記憶がある。周りの死体からと、少年のお腹から。

「血?」

 鉄錆びたような臭いが辺りに広がって、私は身を硬くした。

――――でも、どうして? 私は切られていないのに。

 目の前にいる男の腕を見てみると、腕は振り下ろされたようで、血がついていた。綺麗だった刀にも鮮血がこびり付いている。男の顔を見てみると驚きを隠せないでいるようだった。私にはその顔をする理由がわからない。まず、自分がどういう状況にいるのかもわかっていない。

「樋都!」

 怒鳴られるような大きな声が聞こえて私は納得した。というより、納得させられた。
 男が慌てたように突然後ろを振り向いて刀を構える。その男の真正面にいるのは、私の体を支えている人が名前を呼んだ、その人だった。

「逃がさないわ、白神の者。私たちの愛おしい全神を殺そうとした」

 樋都はそういって男に向かって走り出した。反射的に男も樋都に向かって走ろうとしたのか、刀を構えながら正面を睨みつけていた。だけど、それは一瞬のことだった。

「おぬしは、山賊の……?!」
「気づくのが遅い!」

 カァン、と聞きなれない、刀をぶつける音が響き合う。

「なぜ山賊が神代に手助けをする?」
「兄弟のような間柄だからよ。お前たちのような孤立した里とは違うのよっ!」

 二人の刀がそれぞれにはじいた時、私の体から温もりが失った。私を庇った彼方が応戦しようとしているのがわかった私は彼方の服の裾を引っ張る。

「彼方、背中の傷が……!」 「僕はこれで倒れるほど弱くない。戦場はもっと大きな怪我をしたやつがいるから、心配するならそっちに行けばいい」

 突き放されるような言葉を受けて少し怯んだが、それでも裾を離さなかった。

「だめよ、私を庇ったんだもの! 私の責任でもあるわよ」
「へぇ、どういう責任? 何もしていない奴に責任を負う暇があったのか?」

 私を庇ったにもかかわらずに、その理由が今では見られないほど冷淡になっている。そしてこれが本性だと思うと悲しく思った。

「彼方は、どうするの……」
「……」

 彼方は私を面倒臭そうに見下してから私の耳元で小さく囁いた。

「大丈夫、きっと」

――――大丈夫? 何が?

 その声は私を安心させる優しい響きだったけれど、本音は違うのだろう。こうすれば私の手をはずしてくれるだろうと確信したような言葉。そしてそれは当たりだ。
 これ以上彼方を留めても、もうどうにもならないということがわかってしまったのだから。
 仕方なく手をはずすと、彼方は風のように走り去ってしまった。怪我をしているとはいえ、戦人なことには変わりない。いつの間にか樋都と男も消えていて、彼方は多分二人がいるであろう場所に行ってしまった。
 一人残された私はただどうすることもなく立っていることしか出来なかった。

「彼方のばかっ」

 全神であると告げてから彼方には本当に優しくしてもらった。言葉では罵倒交じりだったけれど、心では通じ合っていると思っていた。それなのに。

「一方通行だったなんて、そんなの嫌だよ……!」

――――彼方に嫌われるのだけは嫌だったんだ、私。

 だから、彼方がどうしようとしてもそれは私のためだと思い込んでいた。それに気づいた彼方は仕方なくそれにあわせただけ。私はその彼方の対応に自分ひとりだけが浮かれていたのだ。
 気づいてしまった。私が今、どう思っているのか。
 彼方に初めて突き放させるような言葉を言われて、気づいた。初めて会ったときの彼方の美貌に惹かれたときでもなく、彼方に優しい言葉をかけられることでもなく、恋人のような真似をしたときでもなくて。
 嫌われたと気づいた今、私の本当の心を知ってしまった。




「私、彼方が好きなんだ」




――――莫迦なあたし……。

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