彼方の呼び止める声を無視して、私はがむしゃらに走っていた。
 もう、周りのことなんて考えていないし、見てもない。

――――彼方は、酷い。

 自分の存在の価値を確かめさせておいて、下げるようなことをする。特別だと思っていた全神の存在は、結局は迦楼羅がいないとどうにもならないものだった。そして今、そんな迦楼羅はいない。

「雷の気持ち、今ならわかるかも」

 使えそうな立場にいる全神なのに、その実態はただの戦慣れしていない少女。それに迦楼羅がいないときた。邪魔者以外、何者でもないだろう。
 彼方が追って来ないことを悟って、私は立ち止まった。
 空と空気は戦のせいで燃えるように赤く、太陽は高く上って明るいはずなのに、森の中は私の心と同じように暗くてじめじめとしていた。

「どうして、私はここにいるのだろう……」

 迦楼羅がいないと私はどうしようもないのに、どうして迦楼羅のいないこの地に私はいるのだろうか。今までいた時代ではこんな風に深く考えることなんてなかったのに……。
 こぶしを握り締めて、俯いていたときだった。
 後ろから壮絶な気配を感じて、私は身震いをした。

――――違う、これは彼方じゃない……!

 彼方の持つのんびりとした空気は、そこにはなかった。まるで、これから戦でもするような、そんな気配。
 このままじっとしていると自分がどうにかなってしまいそうで、大声を出す。

「――誰だ?!」
「ハハハッ!」

 大きすぎる笑い声に、私はビクッと肩を揺らした。
 怖い。逃げたい。背中からツーっと汗が流れたのを感じるほど、今の私は敏感になっている。逃げようとすれば逃げられるかもしれない。でも、それはほんの一握りの確立。
 尋常ではない気配に怖いと思いながらも、睨みつけながら前を見た。

「影に隠れなくたっていいだろう? 私は弱い……格好の獲物だろう?」

 挑発したいわけでもないのだが、頭の悪いやつだったらすぐにでも襲い掛かってくるかもしれないと、私は自分の言ったことに後悔してしまう。
 だけど、神様はどうやら私を見捨てたわけではないようだ。

「そうだな。お前如きに、いちいち隠れなくてもいいだろうな。生憎、誰もいないのだからじっくりと殺せる」

 野太い声が聞こえたと思うと、相手は現れた。ただでさえ大きい体格のはずなのに、兜をつけ、鎧を身に付けている。まさに、戦国時代の衣装といえる格好だった。相手は弓矢を手にしていたのだけど、矢がもったいないと思ったのか刀に持ち替えて鞘から引き出した。
 その刀は、知識のない私でさえ見惚れてしまうものだった。

「その刀、綺麗……」

 呆けて思っていたことをつい口に漏らしたあと、男は豪快に笑った。
 何? と思う間もなく、虫を見るように見下された。

「面白い小僧だ。刀など見たこともないのだろう? これくらいの刀など、白神では普通だ。神代が少し錆びているだけだ」

 白神。やはり、この男は白神の男だった。

「そう、綺麗だと思っていたのに、これが普通なのか……」

 白神は今回神代と戦う相手だ。鉄の生産が有名で、武器や農具に加工するのに使えるといった幽玄の言葉を忘れていない。白神と貿易みたいなことをしようとしたのだろう。だけど、向こうが拒否した。それならば戦で勝って白神を取り込めばいい。雷はそう幽玄に助言したのだそうだ。
 動揺しながらも、私は普通に男と接しようと試みた。幸い、男はまだ私と気長に話してくれている。

――――その間にここから逃げることを考えよう……。

「お主は刀に触れたことがないのか」
「ないよ」

――――だって雷は私に触らせてくれなかったんだもん。

 大男は肩を揺らしながら笑い、刀を手に持ちながら言った。

「男なら潔く刀を預けてみようかと思ったのだがな、久方の女だ。肉の感触を味わってみるのもよかろう」
「女?」

――――今、この男、私を『女』と言った……!

 小僧と言って安心していたのに、見抜かれてしまったのだろうか。
 動揺してしまったことで相手にばれてしまっているのかもしれないが、平静を取り戻そうとして男に問いかけた。

「どうしてそう聞く?」
「おぬしは女だろう? 本来ここにいるはずではない。どういう理由でいるかもわからんが、お前は運が悪いと思ってくれ」
「では、何故お前は軍から離れている?」

 今頃白神の軍は神代にやられているはずなのに、どうして一人だけ離れているのか疑問に思っていた。いや、一人だけではないかもしれない。
 私を見下すようにして刀を構えていた男は、何を悟ったのか次第に眉をひそめられていった。

「おぬしは神代の女か。さらに生かしておけんな」

 男の目に何かが光ったように見えて、私は咄嗟に動いた。
 でも私の反射神経が遅いということはこの時代に来て自分がよくわかっている。というより、思い知らされた。戦のない、平和な国で過ごしてきた代償がこれなのだから、仕方がないと思っていた。けれど、この時はあまりありがたいと思わなかった。むしろ恨みたい気持ちだ。


 自分が動いたのと同時に、男が刀を振り下ろそうとしていたのが視界に入ったのだから。

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