「待って! ジン、あんたは私の元で大人になって私と結婚すればいいの!!」

 私は目を大きく開け、青ざめた顔で起きた。というか、自分の声に起きた。

「って、私もう少しでジンの子供を生むとこだった……!」

 ちなみにジンとは愛犬の名前。普通の柴犬にこの名前はどうなのよ、と七海に突っ込まれたりもしたが、とりあえず大切な犬だ。私は犬と結婚するのかといえばそうではなく、ジンはいつのまにやら人間の子供に変身していて、近所の犬であるマー君と結婚するという電撃ショックをうけ、あのような発言をしたのだ。どうして子供を生むところまでいくのさ、と後で悩む羽目になるけど。恐るべし、夢の力。
 私は気分が萎えて落ち込んだ。

「なんていう夢を……というか、ジンの夢にも自分が死ぬ夢見たし……不吉…」

 そして、言ってから気付く。

「って私死んだんだよ! どうして生きてんの?! なんで頭から血がだらだら出てないわけ?! てかここどこ?!」

 叫びながら立ち上がった。立ちくらみはしたが、倒れることなく近くにある自分より少し高い何かを掴む。その瞬間、ドサッとそれが落ちる音がした。あ、ごめんねぇ、と言ってそれを立てようとしたとき、柔らかく冷たい感触がした。

「――ひっ……!」

 慌てて口に手をやるが、気分は悪化する一方だ。こんなものを見てよくなる人はまずいないだろう。

 目を向けたその場所には死体の山があったのだ。
 さっき死体に触れた手がやけにべとべとする。それに気付いたのは自分のほほに手をやったときで、確認すると、それは血だった。
 一気に体が戦慄した。死体には悪いとは思うものの、目を逸らしたくなって後ろに振り返った。だが、振り返った先は更に死体の数が増えて、私は悲鳴を上げた。

――――何なの、ここは?! 私、どうしちゃったの?!

 こみ上げてきた吐き気をおさえ、私はこの場から逃げようとする。
 だが、駆け出せなかった。
 心なしか、着ているものが重く感じる。
 驚いて自分の体を見ると、ラフなスカートに淡い色の七部袖のはずが、平安時代にありそうな重い着物に似ていた。その着物は貧乏な私でもわかる。絹の豪華な浅葱色の着物だ。
 そして重いのはその着物のせいだけではなく、その裾に握られた血みどろの手があるのに気付いた。

「――――っっ!」

 スプラッタやホラー、ゾンビがだめな私は気絶すれすれのところまできていた。いっそ気絶すればどんなによかったか。
 だが、こうなればどうにかしなければいけないのだろう。
 かろうじて意識を保てたのは掴んだ手の本体が死体ではなかったことだ。その手がかすかに動いているのがせめての救いだった。力が抜けるように座り込んでしまったが、できるだけ手をつぶさないように心配る。そのままこうしていることも嫌だったので裾をつかんだ手をおそるおそる触れてみた。

 その手はひどく冷たかった。
 尋常じゃないその冷たさに私は肝を冷やし、死体の山から手の本体を探り出そうと試みた。しばらくその作業に夢中になり、周りの死体のことなど忘れてしまったけど。死体は寧ろ、普通の体なのにやけに重いな、という存在に成り代わっていた。
 死体の山から出てきた手の本体は、少年から青年に移り変わっていく真っ最中のような男の子だった。背丈は私よりも少し高いぐらいだろうか、顔は大人びて見える。少年に見えるような気がするのは、まだ完全に鍛え上げられていない体のせいだろう。もしかしたら立派な大人かもしれないけれど。

 死体の山の中にもそういうものはいたのだが、この少年は何か特別に感じられるのは気のせいだろうか。気のせいではないのだとすると、きっと少年の服が原因なのだと思う。何というか、とにかく変なのだ。死体のほとんどがそうであるような格好はしていない。全身が黒色でところどころに包帯が巻きつけられており、兜や鎧のようなものもつけておらず、脇差と刀の鞘だけを身に付けていた。死体の誰もが戦国時代の将軍のような格好をしているのに、この少年だけは、そう、忍者のようなのだ。
 少年は眉を少しだけ中央に寄せて、腹に手を当てて呻きだした。私はぎょっとして少年の手を無理やりどかせてお腹を見てみると、血がかなり出ていた。

――――手があまり動かせてないところを見ると、もしかしたらこの黒いのは……

――――まさか、毒?!

 武器に毒が付けられていていたのだろう。さほど致命傷ではない傷も一歩間違えば死に至るはず。少年は私に見つけられて本当に幸運だと思う。感謝して欲しいものだ。
 私は急いで応急処置に取り掛かった。毒の処置は大雑把にしか覚えていない。顔色や動き方から見て、まだ毒は完全に回っていないと判断し、もしかしたら間に合うかもしれない。
 身をかがめて傷口に口を当て、一気に吸い込む。どっかの漫画でやっていた処置。正しいのかさっぱりだけど、試してみないと少年が死んでしまうのは確かだ。だけど、呑み込んでは駄目。夢中になってそれをやりすぎても、いつか貧血になってしまうかもしれない。注意して吸い込んでいると、いつの間にか私の肩に手が置かれているのに気が付いた。一瞬死体の存在を思い出して青ざめるが、その手はかすかだが暖かい。
 ふと、少年のほうに顔を向けると少年は薄く眼を開いてこちらを見ていた。そして何かをしゃべろうとしていたのだが、それを私が止めた。

「喋っちゃ駄目。死にたくないのならね。とりあえず私がなんとかあなたを助けてあげるから、その間一切喋らないで。そもそも声なんか出せるわけないでしょうに、そんな大怪我で」

 それだけ言うと、私は少年の顔を振り向かずに止血のための布を探した。
 あいにく、私の服は絹で到底私の力では破れそうにもない。高そうな代物だし、汚すことさえ気が引ける。かといって周りの死体は服の上に鎧を着ているし、少年の服を破くのもためらった。

――――仕方ない。

 この少年のためだ。少し大胆なことをするが、気にすることでもないだろう。
 私は着物を脱いで、今で言う下着姿となった。あんなに重いと思っていた着物がたったの一枚になるととても気軽に感じられる。脱いだ着物を苦戦しながらも少年の腹に巻き、しっかりと結び目を付ける。少年はかさばって動きにくそうだったが、これは仕方のないこと。
 一応、応急処置らしきことは終わったのだが、このまま少年を放っておくのは非常に危険だ。やはり少年を抱えて民家を訪ねるのが一番いいのだろう。
 だけどここは戦があった場所らしく、民家など見つからない。あっても焼け焦げていたりしている。こうなると、妥当なのは山へ行って薬草を探すのがいい。薬草なら田舎者の私になら簡単に探せる。
 そうと決めた私は少年を抱えて近くの山に入ることにした。

 そのとき、私は考えるのに必死で少年の顔なんか見ていなかった。


――――どんな目で見られていたのか、なんか。

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