「あらあらあらあらぁ……。思わぬ場面に出くわしましたわね……この場合、どう対処すればよいのかしらね?」

 胸をつかまれたまま硬直していた私は、その声で覚醒した。美女が、こちらの何といっていいのか分からない場面に遭遇していたのだ。私の胸を掴んでいる女性はやってきた美女をギンギンと睨みつけていた。
 美女、とは彼方のことだ。どうして女言葉を使っているのかというと、彼方の男という事実は一部分の人にしか明かされていないかららしい。昨日念のためにとそれを聞かされていたため、私はそれを怪しく思うことはなかったが、よくもばれないのだなぁと尊敬してしまった。私なんか、この通り。大体この年で男装する方が無茶な話だ。
 彼方は睨みつけられたことを気にせず、話し続けた。

「ふふっ、どうせ千鳥(ちどり)のことだから樋都絡みのことなんでしょう? 魚のような生き生きとしたあなたは一途で迷うことがないもの。きっと噂で聞いた樋都のお気に入りの娘に会って、毎夜月を見て雷のことで苦しんでいる可哀想な樋都を励まそうとしたのでしょう? それをね、前はお人よしと私は言ったかもしれないけど、完璧なお節介というの」
「あのねぇ、あんた相変わらず誉めているのか貶しているのかわからないけど、言っておくわ。魚のように生き生きしている、ってあんたにしちゃ誉め言葉なんだろうけど、魚にたとえられても私はちっとも嬉しくない。せめて人間の範囲で誉めて欲しいの」

 千鳥と呼ばれた女性は舌打ちをした。

「それにね、私がお節介というのなら、饒舌をふるうあんたはお邪魔虫というの。だいたいこの子は誰のものでもないわ。だから私が利用してもいい、ってことでしょ?」
「あらら、それは無理よ、千鳥。実はその子、先約がいるのよ。それで私、これからその人の元へ連れて行くの。……それにその子の秘密を知らないというのに利用するだなんてずうずうしいと思わないの?」

 女たちの(片方は男だけど)エスカレートしていく言い合いに私は入る隙もなかった。樋都と彼方が口喧嘩していた時よりもひどくないようにも聞こえるけど、私の未来に関わってきそうだったのでここは余計なことを口出さずに彼方に任せるのがいいような気がする。どちらにしろ、私が口出しして収まるようなことではないだろう。
 千鳥と言う女性は眉をひそめて陰険なムードを作り、彼方はそれを笑ってかわしているという感じ。彼方の方に分があるのは明らかだ。

「秘密って性別のことでしょう? これよ、これ」

 と言いながら遠慮もなく私の胸をもんだ。恥ずかしいけど、それよりも痛い。この人は私の胸をもむ力とか抱きしめる力があまりにも強い。怪力なんじゃないの、と思ってしまう。いや、怪力だろ、これ。
 彼方はちらっと私のほうを見て、ため息をついた。何か言いたげだ。きっと「一日で性別がばれると思わなかった。何でこんなに鈍くさいのだろう」と思っているのだろう。そうでなくても私に向ける視線は呆れの表情だ。

――――仕方ないじゃない! 噂のせいだよこれ! というかなんで私が男装しなきゃいけないの?! 文句はお頭に言えっ!

 私にとってはもうわけがわからない。どうしてこの人に今胸をもまれているのか。いや、女かどうか確かめられているのはわかるけど、男とか女とかどうでもいいような気がするのにどうしてそこまでしつこいのか。なんとなく彼方のいう「お節介」というやつがわかった気がする。少し違うけど。

「千鳥。見事な勘違いをしてくれたわね。その子、男よ」

 ため息混じりに彼方は呟いた。ご、ごめんなさい、こんな面倒なことになって。

「見苦しい嘘を」
「本当よ。試してみる?」

 彼方は私に近づいた。何を試すというのか。もしや、脱がしたりするのだろうか。

――――だ、だめーっ! 私はちゃんとした恥じらいを持つ正真正銘の女なんだからぁ!

 そんなことはお構いなしというように彼方は着物の襟を掴む。いつの間にやら千鳥の手が胸から離れていた。私はそれに安心したのだけど、完全には安心できるわけがない。彼方はなんと着物の中に手を突っ込んだ。

「ぎゃああああ!」

 もう叫ばずにはいられないだろう。顔を真っ赤にさせて頭の中は真っ白で目の前は真っ黒。だけど彼方の手は案外早く出てきた。そしてその手のひらの上には……。

「……何これ?」
「に、肉まん?」
「この子の胸の正体。感触が同じのはずよ」

 彼方の手から千鳥の手に渡り、肉まんに似たそれはぽよんぽよんと動いている。

「あ、あら。本当だわ……」

 といいながらも千鳥は揉み続けている。その感触にはまったのだろうか、揉むことを止めない。

「これがこの子の秘密、其の一。ほーら、千鳥知らなかったでしょ?」
「え、えぇ、まぁ」

 じゃあなんでこれを入れているのよ、という千鳥の視線を無視して、彼方はその肉まんらしきものを取り返した。
 開いた口がふさがらない。私の胸に肉まんなんて入れた記憶がない。というか、普通入れないだろう。慌てて中を見るけど、そんなものはない。千鳥に掴まれてかすかに赤くなっている胸だけがある。

「ではごきげんよう、千鳥。今度は威厳ある態度で振舞った方が良いと思うわ。雷の妻としての、ね」

 彼方は私の手に触れ、掴んだ。その手は見た目よりも大きくて、男の手だった。私はそれを意識してしまって、胸の高鳴りを覚えた。あ、い、いかんいかん。
 千鳥はむっとして彼方の言い分に文句をつけた。

「厭味でしょう? 誰が望んで私たちが夫婦となったのよ? 私は認めないわよ」
「知らないわ。私が口出すことじゃないもの。いきましょう、天華」
「う、うん」

 機嫌を悪くした千鳥を置いて、私たちは道端に出た。

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