chapter 1   さよなら日常 ようこそ非日常 6


『今日は久しぶりにサイコーの気分なんだよ。捜し物も見つかったしな。見せてやるよ悪魔とやらを』
 炉夷はそう言って目を赤く光らせた。って、あれ? こいつの目って赤かったっけ? 金髪なのは半分ロシア人の血が流れているからだろうけど、目は日本人によく見られる濃茶でひとみが黒だったはず。うん、間違いない、それでハーフなんだなって思ったんだし。
 だから突然目が赤くなることは当然おかしい訳で。
「…………えぇぇええええ?!」
「待て、逃げるなよ」
「ぎゃあっ! 放せったら、このペテン師ーーー!!」
 いやいや、ペテン師じゃなくてここは通り魔と解釈してもいいのかもしれない。炉夷のさっき言っていた「血は大好物」が事実だとして、愛だったけか、あれ陸だったか? ええい、パニクってよく分からんが誰かから聞いた「血を啜る」とやらを組み合わせると、悪魔=通り魔の方程式がばっちりできちゃうじゃないっ! 信じらんない!
 炉夷はあたしの体っていうか腰を背中からがっしりつかんで、逃がすまいとさらにわきの下にも腕を回されてホールド・イン。あれキャッチ・ホールドだったけか? って、ぶっちゃけハグなんかじゃないのか、このカッコは?!
「はなにょっ、はなせよ!」
 どうしたことやら呂律が回らず、何とかじたばたさせて抜け出そうとするあたし。しかし残念なことに男と女の差はここでできてしまうんだな。
 ああ、誰かー! あたしの耳横でこの男が変なことを言う前に助けてー!
 ここがたとえ人通りの少ない道だとしても、近所の人からしてみれば身近なところ。あたしはその近所の誰かが通るのを期待していたけれど炉夷は何故かそうじゃないみたいで、あたしをどこかに連れて行こうとする。
「あまり騒ぐな、今から飛ぶぞ」
「はっ?! まままままって、飛ぶっていったい何を」
「よく見とけ。これが『悪魔』だ」
 そういった瞬間――――

 バサッと耳元で大きな音が聞こえた。

 それはカラスやふくろうが飛び立つ音と酷似していて、誰が聞いても羽を動かして羽ばたいているところだと答えるだろう。
 んでもって目の前に広がるのはあたしが住んでいた町。あ、あそこに学校がある。あっちの道をこういったら……あぁやっぱり陸と千里を発見…………って!

「ぎゃああああああああっ!!」

 あたし高いとこダメなんだってばぁぁあ!

+ + + + +

 高所恐怖症で失神の状態に近いあたしを抱えたまま炉夷はどこかのデパートの屋上に降り立った。まだあたしの住む町にはいるんだろうけれどそんなことを気にしている余裕は正直言ってなかった。
 髪の乱れたあたしをやっと放し、炉夷は顔を覗き込んできた。
「まさかあれぐらいで叫ぶとはな。悪魔失格だぞ、お前」
「あたしは悪魔じゃない!」
 大体さっきから何なんだ、この男は! あたしをそんなに吸血鬼に祭り上げたいのかっ。
 あたしが言い返すと、炉夷は当たり前だろう、みたいな顔をした。背後にあるカラスみたいなでっかい翼を羽ばたかせながら。
「あぁ、そうだろうとも。『今』は『悪魔』じゃない」
 ……『今』、は?
「なによ、あたしは昔は悪魔だったとか?」
「そうだ」
「あたしは悪魔じゃないわよ」
「そうだろうな」
「……今も、昔も」
 悪魔なわけないじゃない。お母さんもお父さんも弟だって普通の人間だ。普通の人間からどうやって悪魔として生まれるのだろう。あたしは正真正銘人間のはずなんだよ?
「あたしは伊予來流。アンタみたいな正体不明の悪魔とは違うのよっ」
「正体不明というなら教えてやるよ、本当のお前の正体を」
 ごおっと風が吹き荒れ、炉夷の金色の髪がみるみる乱れていく。なのに赤い目はあたしをずっと捉えていて、口元は端だけを吊り上げていた。あぁ、こうしてみると美男って本当に卑怯。些細な仕草さえ奇麗に見えて、あたしはほら、目をそらすことさえできずにいる。
「お前はリヴァイアサン、海原を支配するわだつみの古代の魔竜」
 魔竜。
 そのキーワードを聞いて、あのリヴァイアサンとか言っていた遠い記憶を思い出した。
 そうだ、あの足は人間じゃなかった。今までに見たこともない硬い鱗のようで、だけどあたしはそれを無意識のうちに知識として知っていた。
 あれは竜。暗い闇の色の中で枯れた青緑の色をしていた老竜は、あたしを一目見てリヴァイアサンと告げた。それをきっかけにしてあたしの運命は変わったはずなんだ。覚えてないけど。
 じゃあ、あたしは魔竜なの? 悪魔なの?
「誇り高い獣全ての上に君臨する悪魔。魔王――サタンに次ぐ巨大なる力を持ち合わせ、それ故に封印された魔竜。それがお前だ」
「知らない、覚えてない」
「俺とお前は小さい頃に会ったことがある。人間の住むこの世界ではなく、違う世界で」
「……知らない」
 それは本当だ。炉夷みたいな恰好いい人を見たら(昔はかわいかったんだろうけど)忘れられるはずがない。だからあたしは炉夷と会ったことがない! よって自己完結!
「って、もしあたしが悪魔だったとしてアンタにどう関係があるのよ! あたしは人間のままでいいんだから、これ以上唆さないでくれる?」
「お前は悪魔になって俺の花嫁にならなきゃいけねぇんだよ」
 はぁっ?
「ちょっと花嫁って何よ、なんでそんなぶっ飛んだ話になるわけ? 恋人とかキスとかそんなのなしにいきなり花嫁って……」
 あたしゃいったいどこの時代の嬢ちゃんだよ!
 あたしの最後の叫びは無視されて炉夷は再びあたしを捕まえた。そして炉夷は自分よりもでかい羽をせっせと消して人間の姿となった瞬間に。

 スカイダイビングをした。

「いやぁぁぁあああああ! たすけてぇぇぇええ!」
「問答無用」
 いや、マジ助けて! 炉夷が羽出さなきゃあたし死んじゃうってばぁ!
 あぁ、哀しいかな、あたしの人生は17年で閉じられようとするらしいです。この転校生にはとんとひどい目に合わされました。本当にゆるさねぇです。訳の分からないことは言い張るわ、無駄に恰好いいわ、実は悪魔だったりするわ……あたしも炉夷にいつかげひょ、と言わせてみたい。ぎゃふんだったけか、どうでもいいや、とりあえず炉夷には負けたくない。負けてたまるもんか。
 そうよ。今、死んでたまるもんか。

――――まだ、あたしは死ねない。

+ + + + +

 何があったのか、あたしもよく分からない。
 ただ炉夷にしがみついたままぷかぷかと浮いて、地面との接触は免れたらしい。
 えっと、偉そうに笑ってる炉夷はおいといて、あたしは見慣れた学校の屋上へと降り立った。意外と近くにあったんだな、これが。そして炉夷の背中を見る。やっぱり、あの黒い翼は生えていない。ってことは。
「んなっ?! なにこれ!」
 あたしの背中に馬鹿でかい羽が生えていた。炉夷みたいなカラスのような黒い鳥の翼じゃなくて、コウモリのようなあの君の悪い羽だ。それに黒というよりもどちらかと言うと赤紫。なんとなく静脈の色に似てる、と思ったのは内緒にしておく。血のことばっかり考えてしまうこの頭、どうにかならんのか。
「やはりリヴァイアサンだな。封印されてもその力は徐々に成長したってか」
「感心してないでどうにかしてよコレ!」
 さっきので制服が破れちゃったりしたらどうしてくれるのよ。弁償してくれるんでしょうね。
 そういえば、とあたしはさっき言っていた炉夷の言葉に矛盾を感じた。
「封印されていたっていうなら、なんで羽が出ちゃったりするの。今までこんなこと一度もなかったわよ」
「そりゃあ俺が解印したからに決まっているからだろ」
 勝手にするな!
「あたしは悪魔になんかなりたくないんだー!」
「拒否する」
「拒絶すんなーー!」
 炉夷の胸座をとってがくんがくん揺らしていると、はあ、と盛大なため息をつかれた。おい、それはあたしがしたいことだぞ。
「俺だって油断していたんだ。嫁なんてクソ食らえと思っていたさ」
 こら、主婦の元、花嫁を馬鹿にすると痛い目にあうぞ。
「だからしばしの猶予を与えてやる。その間に学園生活を楽しみな。俺もちょっと興味がわいてきたしな」
 と、そこで炉夷は満面の笑顔でしびれるような声で囁いた。まさに、悪魔の囁きで。
「それから、お前を花嫁にしてやるよ」
 と。

 だからぁ、あたしの意志はまるっきり無視なのかよ。



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