chapter 1   さよなら日常 ようこそ非日常 3


「そういえばさぁ、前学校付近で刺されたのって前校長だったんだってさぁ」
 何を思い出したのか、愛は突然そんなことをのたまう。前校長って……定年迎えたくせに胸ボインなおばさんだろー? そのくせして未婚という、普通の校長とはかけ離れた人だったはず。それに比べれば今の校長は校長特有の長話をする、眼鏡をかけたちょっとぶっといおじさんだ。ううん、普通過ぎるわ。
 愛の隣であぁ、と陸が頷いた。
「通り魔だろ? 最近物騒だもんな」
「そーそーりっちゃん、それ、通り魔よぉ。なんだかねぇ、風の噂じゃ首から血を流しすぎてあやうく失血死するところだったらしいよぉ? でも死体の周りには流した血が一滴もみつからなかったって……」
 死体て。本人まだ生きとらい。
「不気味よねぇ、血を啜ったりして」
「うげぇ」
 気味悪い。なんであんな生臭いモノを啜る。だって想像してみなさいよ、吸血鬼でもない人間が死体(いや、本当は死体じゃないけど)の端で血をチューチュー吸ってんのよ? んでもってその味が女の子おなじみの生理の時の血を啜っているとする。……どうだ、まずかろう。あたしみたいに興味本心で生理の血を食べた(もしくは啜った)ことのある人は断言できるはず。血はまずいのだと! そして鉄の味がするのは勿論だ! まぁ首から出てくる血と生理の血は全然違うんだろうけどさ。
 ぞぉぉぉ〜、と鳥肌がたって慌ててさすった。愛はそんなあたしの様子を面白がっているようで……っち、性格悪いなぁ、もう。
「でもどっちにしろ、來流は気をつけるべきだと思うのよねぇ」
「なんで」
「胸ボイーンな人ばっか刺されてるみたい。來流胸大きいもんねぇ」
 えぇ、自慢じゃありませんがEカップですよ。Aカップあるかないかも分からない陸と、実は偽パイはめ込んでDカップにしている愛と、それなりに胸があったりするCカップの千里に比べればそりゃ大きいさ。
「いっそのこと、その通り魔とやらに刺されてみてはどうですか」
 と、縦ロール髪型の千里が口を挟んだ。いや、君は十分胸が大きいんだからそれであたしを恨むのはおかしいぞ?
「まぁ、それはどうでも良い」
 と、陸が一蹴。どうでもいいんかい。
 ちらちらとベランダの端を目に入れては苛立った表情を露にする。そして渋々、というように言ったのだ。
「…………先生がきやがった」
「よお、なんだサボリか?」
「う、うぎゃあ!」
 ぽこん、と言葉遣いの変な愛ならこういう効果音をつけるであろうその現れ方で先生は顔を出してくださった。あぁ! あたくしの願いが叶った!
「先生! ……ぶごっ!」
 サービスよく嬉しくて先生に抱き付いたのに黒い出席簿でボコンと頭を叩かれる。ぽこんじゃないわよ、ボコンよ。強烈ったらありゃしない。
 って、さっきので絶対脳細胞10億個死んだって!
「な、なんであたしが叩かれなくちゃいけないの?! ちゃーんと箒まで握ってたった一人で掃除していたのに!」
 はっ! まさか抱きつかれたのが嫌だったとか! もしや昨日焼肉屋さんでにんにく食べて、その臭いが気になってしょうがなかったとか! やだぁ、あたしそんなの気にしないのにー。
「なんとなく」
「ひ、非道だ先生ぃ!」
 オーマイガッ。この先生も陸と同類だったの、忘れてた。
 突然の先生の出現に、わたわたと愛と千里が箒やら雑巾を握り始める。そして掃除した振り。……もう何も言うまい、可哀想なあたし。
 ただ、陸だけは先生と雑談することに決めたらしい。類は友を呼ぶ。陸と先生は何気に仲が良かったりする。
 ま、この先生が陸上部の顧問であることも原因にはいちゃったりするんだろうけどさ。
「で、先生は何の用で来たわけ? 掃除の出来栄えは明日確認すると言って職員室に閉じ込み、そのまま帰ったんじゃなかったのか?」
 そ、そうだったのか。
「お前ら忘れているわけじゃなかろうが、明日転校生が来るんだぜ? その編入手続きとか、慌ててやってたんだよ。んで、さっき転校生がやってきたんで、案内してやってる」
「というわけです。こんにちは、お嬢さん方」
 ひょこっと先生の影から見計らったように一人の美形男が現れた。
 ………うぉ、かっこいー。
 ………………。
 いや、でもあんた、日本人じゃねぇだろ?
 あたし(皆もだろうけど)の視線がそう語っているのか、その男の子は罰悪そうに肩をすくめた。
「ロシア人のハーフなんです。この間、日本にやってきたばかりで」
 日本語ぺらぺらやーん。
「あぁ、前から母に教えてもらったりして困らない程度には上達したんで」
 響くテノールの声。完全には声変わりしていない証拠。もしかしたら今が成長期で、その過程の途中なのかもしれない。でもその声で大半の女性をひきつけることが出来るだろう。声優ファイト。その声を持って日本人ファンを手に入れろ!
 現に愛の魂はいずこ。
 その転校生徒やらは、日本人がいくら金に染めてもここまでは綺麗にはならないだろうと思われる見事な金髪と、日本人なら当たり前の黒い目をしていて、日本人にしては高い鼻と彫りの深い顔が特長だった。外国人のかっこいい人の基準はわからないけど、それを抜きにしてもこの転校生はかっこいいはずだ。身長なんてもってのほか。背の低い人なら誰でも憧れちゃう(あたしも低いし憧れるし)見上げるほどの身長。187cmとのたまった先生よりかは下がるけれど、180はありそう。いいなぁ、あたしもこんくらい欲しいよ。そうしたらダンクシュートできるかも、じゃん。
 目をきらきらと輝かせる愛が、一番最初に口を開いた。
「あたしぃ、南愛(みなみ あい)っていうの。よかったら友達になろうねぇ!」
 下心むんむん。いや、失礼か。
「俺は月神炉夷(つきかみ ろい)。よろしく」
 友達というところには触れず、炉夷というその転校生がそう対応する。ううん、わかってやっているのか、それとも天然なのか。わかりかねますなぁ。
「あたし、天河陸(あまかわ りく)」
「私は真和千里(まわ ちさと)と申します」
「あぁ、よろしく」
 愛に続いて陸、千里が下ご……いや、この二人はそんなことないか。あっはっは……。
 三人の友人が名乗ってあたしが名乗らないわけもいかず、炉夷の正面切って簡潔な自己紹介をした。
「伊予來流(いよ くる)、ま、よろしく」
「來流ぅ、なにその素っ気無い名乗り方はぁ?」
「陸だってそうじゃん」
「りっちゃんは良いのぉ! それがベースなんだからぁ」
 んま、心外。
「へぇ」
 突然とってもびみょーなところでテノールが聞こえた。
 炉夷の方を見ると他の友人には示さなかった表情の変化を、今さらけ出していた。……まぁ、あたしの言動か何か、ひっかかっちゃったんだろ。そうじゃなきゃ訳分からん。
「……よろしく」
 と、何故かあたしに向かって握手を求められた。なんでじゃい。
 炉夷は気にした風もなく、ただにっこりとあたしの対応を待っている。え、なんだこれ? ここは握っとくべき? でも愛みたいな下心が……いやぁー! あるわけないよねぇ、まさか、あ・た・し・に、だなんて。
 しばらく悶悶と悩んでいると、横から手が伸びてきた。
 愛だ。
「あらぁ、よろしくぅ!」
 うはぁ。
 そこまでして炉夷に媚りたいのかは分からないが、とりあえず助かったので内心お礼を呟く。
 対して炉夷は気にした風もなく、よろしく、と愛に手を握り返した。うん、眉がぴくぴくしているのは気のせいだね、きっと。
「ま、なんだ。ここで水を差すようで悪いが、お前ら掃除はどうした」
 そこであたしたち四人は目が珍獣に……いやそうじゃなくて、ただキラーンと輝いた。多分。
「なんなのよなんなのよ! ただあたしたちはぁ、ボードを見に行っただけだって言うのにぃ!」
「大体ですね、ボードを見に行くのは生徒のひとつの楽しみなんです。そのためにわざわざ授業のない学校に来たりしているんですよ?」
 そうだそうだ! 陸とあたしはちゃんと……や、ちょっとサボってたけど部活にきていて、千里は図書館で本の借り物なんかをしていて、愛は……まぁいろいろだ!
「それを先生が」
「わざと他の生徒じゃなくてあたしたちに狙いを定めて掃除をふっかけたんだろうが」
 愛、千里、あたし、陸の順で怒鳴った。
 てか、なんかあたしだけしゃべってる量が少ないのは気のせい? ……おい、陸…。
「ま、転校生を連れてきたんだ。喜べ、得はしただろう?」
 うぐっ……!
 これを食らうと少なくとも愛やあたしは黙ってしまう。
 そう、この先生は男のくせに、非道のくせに女子高生の気持ちが分かってしまうのだ。きっと彼女が女子高生なのよ、そうよ、それに違いないわ。
 服装については見逃してくれるけれど、こういう嫌〜の所をついてくるのがこの渡辺先生。つまり、あたしたちが明日『転校生を見てきた』と自慢できることを、得したとそう言っているのだ。これを得したんだから掃除なんてどうってことないだろ、というのが先生の良い分。しかも今回の転校生、かなり急に決まったらしく先生は手続きとかかなり忙しかったらしい。そんな先生から情報を得られるわけでもなく、あたしたちは転校生の正体を知りたがったんだ。
 けっ、憎たらしい。全く以って憎たらしい! どーせあたしらはこれで気を許してしまうさ! これがイマドキの女子高生さっ!
 と、そこでまた先生が出席簿で頭を叩く。鬼に金棒だっ! 男なんだからフェアに拳で語れ! いや、拳も痛いけどよ!
「そこはいいから掃除ちゃんとしろ」
 いやだから、あたしはちゃんと掃除したんだって……。
「けっ」
 転校生の前で堂々と悪態をつく。ええい、そんなこと気にしてられるか、とちょうど思っていたときにくすっ、と炉夷が笑った。
 ……どこで笑ったんだ、今の?
 あたしの疑問をよそに、ふと先生が何かを思いついたらしく、あたしの肩をぽんぽんと叩いた。
 何さ、先生。
「伊予、通り魔に気をつけろよ。前校長はなんとか息を取りとめたが、なんせ通り魔は巨乳好きときた」
「先生さぼっちゃだめですよ……」
 結構意味不明な突っ込みをしてしまったが、これは仕方がないこと。理解を踏まえての飛ばし突っ込みなんだから。
 つまり、先生が私に気をつけろといったのは、昨日夜中に愛が見たテレビを見た証拠。それから何故サボるという突っ込みになるかは、昨日先生は転校生の手続きが大変だと部活で聞いて陸と淳(ちなみにこいつは男)と三人で先生の家まで行って(勝手に)差し入れを持ってきて転校生の写真が見たいと駄々こねたら「残念だが写真は明日だ。今日はそれどころじゃないんだ」とか言って三人を追い出したんだ。なにさなにさ、と思ってジュースをがぶ飲みして今日は腹痛いんだぞ!
 だからテレビを見ずに手続きを一人で黙々とやっているはずなのである。本当はね。
 なのに。
「先生手続きしないでテレビを見たんですかぁ?!」
 これは愛のせりふ。
 何故愛が知っているのかというと、昨日部活には愛が差し入れしてくれて(細かく言うと愛の彼氏があたしと同じ陸上部で、彼氏に差し入れしたつもりなんだろうが私と陸と淳が割り込んで差し入れを勝手に貰い受けたというわけである。このとき嫌な顔をしていたのは愛の彼氏さん(ちなみに砂緒という名前。女みたいな名前だがもちろん男である)だけで、他の四人はあははと楽しげに差し入れをいただいていた)このときに偶然先生の話を聞いて我々五人は話し合って「転校生が見たい!」という結論になり、愛と砂緒は「これからデートなのおほほほ」と言うので「転校生の写真を写メールをとってこい!」という愛の命を受けた私たち三人は先生の家に行って以下省略。ちなみにそのときの差し入れは愛が砂緒のために持ってきた差し入れね。で、先生からショックを受けた私は頑張っている先生の姿を内緒で撮り、愛に先生の愚痴をぶつぶつメールを送った。そのときに先生のがんばった姿を写メール化として送りつけたんだっけ。
 ま、愛は今日も似たような事情で学校にきてたりするんだけど、そこは置いといて。
 これが、愛が事情を知っている理由。
「そうですよ、卑怯です。生徒を追い出すためにあんな嘘をついたのですか?」
 これは千里のせりふだ。
 また説明にかかるが、何故千里が知っているのかというと、昨日先生の家に行く道すがら、買い物に行く千里に出会い「これから転校生の写真を拝むの」とか云々いろいろ話し、千里と別れて先生の家で以下省略。帰り道すがら、落ち込んでいる私を発見した千里は淳(ちなみにこいつはへたれである。へたれ、と私は呼んでいる)に「女は色々あるんだからあなたがしっかりしないと女は勝手に結婚されちゃうのです!」となんでか勘違いしたりパニックになったりしていたので、それを説明するのに時間のかかったものだ。そのお詫びといってジュース代をおごってくれた。それをがぶ飲みしたわけである。
 はっ! 腹痛って千里のせいでもあるのか! まぁ、気にせんどこう。あの時の千里は妙に結婚とか婚約とか、そんなことを言っていたんだから。おかしくなったんでしょ。
 これが、千里が事情を知っている理由。
 先生は私のほうをちらっとみて、
「そのテレビは深夜にあったんだが……? そのときにはもう手続きは既に終えていた。それに、深夜といっても11時とじゃないんだぞ? 2時にあったニュースだぞ? わかっているのか? ん?」
 うぎゃっ! また出席簿で叩かれちゃう! って、あたし無実だってば!
「私テレビ見てないよ! 見たのは愛だもん!」
「わ! なんでばらすのよぉ、來流ぅ!」
 絶交しちゃうわよぉ、と愛は叫ぶ。えー、あたしどっちかっていうと先生の餌食になるのが嫌だなぁ。
「見ていたのは南か。何故こんなに遅く見ていた?」
 さて、何故愛はこんなに先生に恐れているのかというと、先生は身だしなみにうるさくなくても、睡眠を大事にする人なのであり、夜更かしにうるさい。とーってもうるさい。だからである。
 そして先生の出席簿の威力に恐れた当の愛は。
「あ、だってね、物騒じゃないですかぁ! 通り魔なんてぇ! それに見て來流に注意したんですよぉ? 損なんてしてないんですからね、先生! むしろ得しましたぁ!」
 うむ。愛にしては上出来の言い訳だ。先生もそれに納得したようだ。……そのために2時過ぎまで起きてると思えないけど。
 うんうん、と頷いて放置されつつある炉夷を見ると、視線に気付いた炉夷がまたにっこりと笑った。なんというか、確信犯……?

 …………一体なんなの、あんた。



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