前戯 −心理的黒猫ト悪魔之判断−


「おほほほほ、何をおっしゃいますの。冗談でしょう?」
「おい、オマエ大丈夫か? そんなお嬢言葉使うような奴じゃなかっただろ」
「おほほほほ、そうですわ、これは夢。そう、夢なのですね。そうよ、目の前にいるコレも夢なのですわ。そうすれば先ほどの空耳も夢……」
「ハッ! 残念だな、女。これは夢でも何でもねェ、俺は今宵から貴様の夫となる。喜べ、女」
 黒猫にそう言われて誰が喜ぶのですか、このアンポンタン!


 私、真和千里は高校一年生。
 しかし、年月というものは年をとればとるほど早くなるもので、この春休みを終えると二年生になります。
 特に春休み中に部活動を行われることもなく、個性的な友達に誘われて図書館に入り浸り、どうでもいいことを延々と語り合っていました。
 それが、つい昨日までの日常。

――――今日、まさか黒猫に求婚されるなんて、誰が予想できましょうか。

+ + + + +

 黒猫は不吉の前兆。
 動物嫌いの私は、特に避けたい生き物でもあります。事実、黒猫を目にして良いことは少しもありませんでした。
 春休みが明けようとする日の二日前のこと。
「千里ちゃん。買い出しに行ってくれるかしら」
 母がきれいな字で書いたメモを右手に、レジ袋不要とされるエコバッグを左手に持って私に命令なさいました。
 春休みに入ってからはよく母におつかいを頼まれます。部活動もなく、家でゴロゴロするぐらいなら手伝え、ということでしょう。私はしぶしぶメモとエコバッグを受け取り、おつかいに行ったのです。
――後に、このことを恨んでも恨みきれなくなるとは、この時の私は思いもよらなかったのです。

 スーパーに行く道すがら、個性的なお友達のうちの一人、來流ちゃんと陸上部の淳君を目撃しました。この二人は仲よさげに歩いていますが、全くカップルに見えないのは何故でしょう。むしろ姉と弟のように見えます。きっと淳君の身長が來流ちゃんに及んでいないからでしょう…………あ、これは禁句なのでした。
 來流ちゃんはウキウキと、淳君もそれなりに嬉しそうな表情。一体何があったのでしょう。
 正直に言うと、失礼千万なのですが、來流ちゃんの機嫌が良い時にはあまり嬉しくないことが起こるのです。
 一緒にいる淳君の安否を疑いたいものです。
「あれ、千里じゃん」
 來流ちゃんは私に気付き、声をかけます。淳君も同様にして、買い物? と聞いてきました。
「ええ、母におつかいを頼まれまして」
「偉いなー、将来良いお嫁さんになるぞ」
 來流ちゃんの一言に淳君も頷きます。
 伴侶がそれなりに良い人であれば、お嫁さんは大抵良い方向へと進むはずなのですが、ここは黙って二人の好意を受け取ります。無為にはいたしません。
「二人は何をしていらしたのですか?」
「ん? これから先生んとこに行くの」
「左様ですか」
「転校生が来るんだってさ、うちのクラスに。しかも男よ? んで愛から写メってこいと勅令をいただきまして」
 來流ちゃんがしぶしぶ、という表情になりました。愛ちゃんからの命でしたら、拒むことができなかったのでしょう。
「転校生ですか? 珍しいですね」
「新しい情報が入ってないから確かじゃないんだけどね。なんせ突然、らしいよ」
 と、來流ちゃんは舌を出します。アインシュタイン並です。言ってしまうと半殺しになりかねないですが。
「真和さんも来る?」
「いえ、寄り道をすると母に叱られてしまいますので」
 せっかくの淳君からのお誘いですが、私は拒否しました。
 鬼を長く待たせると顔を赤くして棍棒を振るわれてしまうのですよ。私は道草を食べる暇がないのです。
「えー残念。んじゃ千里にも写メ送るよ」
「よろしくお願いします。では、先生の家に押しかけ成功、祈っております」
「うん! んじゃね〜」
 ジャージ姿の來流ちゃんと淳君とさよならをして、私は再びスーパーへと足を向けました。

+ + + + +

「……っと、メモ通りに買いだしましたが、こんなところでしょうか」
 それにしても、エコバッグを覗くとやけに肉が多いのは気のせいでしょうか。そういえば今日はいつにもまして値段が張っていたように思われます。ベジタリアン家族にしては珍しいメニューですね。今晩はステーキでしょうか。
「せめて魚は付けてほしいですね……」
「そう、例えば小魚とか」
「夜に小魚は合いません。カルシウムを摂るのでしたら朝が適切かと思われます。しかし、敢えて夜に摂るならば野菜炒めにちりめんじゃこを入れると美味しいのですよ」
「俺は魚であれば何でもいいんだよ。……ったくよ、最近の日本はイケねェ。どこの家も肉ばっかりで嫌な臭いが立ち込めてやがる」
「あら、あなたって結構和食派なんですね」
「まぁな」
「…………」
 お待ちを。
 ……一体私は誰と話していたのですか!
 咄嗟に周りを見渡しても、スーパーの中には近所のおばさまばかりで、男の声の持ち主など見かけません。むしろ独り言をつぶやいておばさまから奇異の目を向けられています。
 何故ですか!!
「あ、あなたは一体、どこから……!」
 周りに訝しがれないほどの声で警戒をすると、あの男の声はすぐに返事を返してくれました。
「俺ェ? 誰と話しているのか俺もいまいちわかんねェからよ」
 なんですか、それは。私たち二人は今まで晩御飯の話をしていたというのに!
「あァ、あの縦ロールの髪形をしているの、お前か?」
 そう、私はまさにそんな姿をしています。生憎ゴスロリの服は着ていません。服はいたって普通なので空気と同化……いえ、人に紛れ込むことはできますが。
「ま、ここで俺らが話していたら怪しまれる。いったん外に出よーぜ」
 ニャーという猫の鳴き声とともに、その声は遠ざかりました。

+ + + + +

 そして、かなり途中を省きますが、冒頭に戻ります。
「何故私があなたのツマにならねばならないのですか。私がたまたまあなたの声を聞き取ることができただけでしょう」
 あの声の持ち主はこの目の前にいる猫でした。不思議なことに、ニャーとあげるはずの猫の声は私にとって人間の声に聞こえるのです。
 ああ、とうとう私は幻覚でも見てしまったのでしょうか。
 私は思いもよらない出来事に頭が痛くなったのですが、なんとこの黒猫はとんでもないことを言ったのです。
『俺は悪魔だ。俺の血は悪魔の裏切りとして代々制約に縛られてきた。その制約ってェのが、繁殖期になると黒猫に変身されてしまうってやつでな、おまけに俺の声も猫の鳴き声となってしまった可哀想な悪魔なんだよ』
 誰が信じることができましょうか!
 おまけに、猫の音き声ではなく本当の悪魔の声を聞き分けることができた者を嫁に入れなければならないという制約もあるらしいのです。
 警察を呼んだ方がいいのでしょうか。いえ、それとも動物病院へ。
 何にしろ、私は猫の言うことを聞くようなタマではありません。
「魚を買ってあげますから、正気に戻ってください。きっとあなたはもとは優しい猫だったのでしょう。そして何の陰謀か……魔法をかけられて今に至るのです」
「違ェよ! 何勝手にストーリー作ってんだよ! が、魚は欲しい。くれるのか?」
「私を嫁にする、という冗談を言わなければ、小魚の一匹や二匹、どんと差し上げます」
「小魚の一匹程度じゃ、どんと言わねェぞ?」
 しかし、私は黒猫の耳がピンと立っているのを見逃しませんでした。
 うふふ、人間の言葉を話せても所詮は猫。本能に逆らえないのでしょう。
 しかし、あと少しの所で我に返ったようです。
「俺を猫扱いすな!」
「猫ではありませんか。猫の容貌をしておいて、実は象でしたと言うことではないのでしょう?」
「極端な例だな……象がどうやって猫になれる?」
「私が知りたいくらいです。悪魔がどうやって猫になれるのです?」
「だからだなァ、制約ってのがあってよ、それに縛られてんだってさっきから言ってるだろ?」
「はい、いりこだし」
「いらねェよ! そんな形がなくなった魚のだしなんかよ!」
「まぁ、好みがあるのですね。だしはダメ、と」
「おいコラ、何メモってんだよ!」
「いえ、喋る猫なんて珍しいですから、猫の心情を今のうちに知っておこうかなと」
「だから猫じゃねェってんだろ! 俺は正真正銘の悪魔だーッ!」
 だからそんな猫の姿で叫ばれても。
 私は少し哀れみの目で黒猫を見ました。ああ、なんて憎い魔法なのでしょう。この可哀想な猫に精神魔法も掛けてしまって、魔法使いは一体何が目的なのでしょう。しかし、安心を。動物はあまり好きではありませんが、この黒猫は私が責任を持って飼いましょう。それがせめての償い……。
「チョイ待て。また勝手にストーリー作ってんだろ」
「何のことでしょう?」
「チッ 調子狂うぜ。おい、お前名は何と言う?」
 黒猫はふんぞり返って私の隣へと移動しました。
「名前、ですか? 千里と申しますが」
「オーライ、チサト。ちょっとしゃがんでくれねェか」
「? 別に構いませんが……」
 私は訝しげましたが、猫相手に躍起になることもないと思い、黒猫の言うとおりにしゃがみました。
「もうチョイ体をこっちに近づけてくれ。それじゃあ届かねェ」
 届く? 何がですか?
 そう聞こうと思ったとき、黒猫は私の顔へとジャンプをしました。
 そして唇に当たるフサフサな…………いえ、やけに生暖かい感触。
「―――― ッ!!??」
「ふう、やっぱこの姿が落ち着くな」
「ななななっ」
 なんと現れたのは黒い翼を背にした青年。…………いわゆる、悪魔、でした。
 黒い髪を靡かせて、青い目を爛々と光らせているその成りに、私は恐れました。
「ああああなた、は、一体」
「落ちつけ、チサト。っても無理はないよなァ? 人間の間じゃ悪魔は黙殺されているからなァ」
「あ、悪魔、なのですか?」
「だからさっきから言ってんだろ、悪魔だって。まァこの姿は小一時間しか持たねェけどよ。ちなみに俺の名はシンディ。愛し妻にはシンディって呼ぶ権利を与えてやろう」
 全く嬉しくないのですが。
「ちょっ……! お母さ……ムグッ」
 今の今まで母に助けを呼ぶのにためらっていましたが、そうもいきません。騒音が大嫌いな母でも娘の心配はするでしょう! そう判断して口を開いのですが、シンディと名乗る悪魔に口をふさがれました。
「おっと。今叫ばれちゃ困るんでね。今のうちに婚約してしまおうぜ」
 未成年の結婚には親の承諾が必要なのですが!
「俺に名を与えてしまったのが運のツキだ、チサトよ」
 悪魔はそう言って自分の親指を噛み、そこから出た血を私に飲ませようとしました。
 誰が飲んでやるものですか! 断じて飲むべからず!
「うーうー!」
「おいおい、諦めろよ。大丈夫だって、俺の嫁になって悪いことなんてないぜ? 少なくとも俺のルックスと地位は良いからよ」
 カチン。
 誰がルックスがいいですって? そんなナルシストと結婚するなんて御免です!
 私は気付けば悪魔の差し出された親指を思い切り噛んでいました。痛そうに顔を歪める悪魔をほくそ笑んだのもつかの間……――――

「ああぁぁぁーーーッ!!」

 その後、千里の母が部屋に乗り込んできて棍棒を振り回したとかそうでないとか。



本編につ・づ・く☆(ぇ)



inserted by FC2 system