ジョニー、聞いてよ。
 あたし、先生に無礼な事聞かれちゃったわ。
 ネア、彼氏居るのですか? ですって。無礼すぎると思わない?


delinquent girl×scheming teacher
不良少女×腹黒教師

2、それは大きな誤解の調べ              


 あたしは遠山祢亜。ネアと読む。見かけは金髪でお決まりのようにスカートは長め、香水はたんまりつけたいわゆる不良少女。喧嘩はボクシングをやっているようなやつらが相手じゃなければ大体勝てるが、カツアゲはまだした事がない。死ぬまでには一度やっておきたいとは思っていたりする。先生にはもちろん内緒で。
 先生、とはこの場合顧問の先生を指す。あたしは美術部に所属していて(幽霊部員だが)授業中に美術準備室を先生から拝借していただいているのだ。というか提供させてもらっている。その代わり、先生の愚痴を毎日のように聞くという、まさにあたしは先生用の欲求不満の捌け口となっているのだ。……嫌ね、捌け口だなんて。ま、先生の愚痴にはいろいろと共感を覚えたりするので吐き気がするほど嫌、と言うわけでもない。人間、大変なのよ。それを分かってもらえたらそれで十分。
 それでね、この先生がただの愚痴を言うと思ったら大間違い。愚痴なんだろ? 先生の愚痴なんて流せばいいじゃない、っていう言葉、先生の前で言ってみなさい。先生に背中を見せた瞬間、悪寒が走るわよ。……と言うのは冗談で、先生からはちっとも害を与えられないから大丈夫よ、多分。
 先生はおそらく無害。それどころか辺りにスマイルをぶちまいた王子のような存在なのだ。容姿端麗、頭脳は知らないけれど、この少子化のなか教師の座に居座っているんだから、そこそこのはず。性格も今時ありえないほどの純情ぶりを発揮させて、ザ・マダムキラーの異名を持っていたりする。私的にはウーマンキラーじゃないかと疑っていたりするけれど、そこは置いといて。そんな先生を前にして「愚痴なんて言うの?」とか言える単純馬鹿でも無神経なヤツでもない人がいたら拝みたいわ。きっとみんなは「おいおい、この先生が愚痴なんて言うわけないだろ」と判断するに違いない。なんせ、あたしも当初の先生に密かに憧れたりしたんだから…………あぁー! 恥ずかしいことは滅多に言うものじゃないな。
 そんな先生に、ある、隠された秘密。というか、実態。実は、先生は純情先生ではなく世にも恐ろしい腹黒先生だったのだ! ……そこ、腹黒先生を侮ってはいけない。腹黒はあたしが体験したなかで一番扱いにくい性格。そのうえ何を考えているのか分からない。腹黒先生にひっきりなく続く愚痴のせいである程度の笑みの解釈は出来たが、まだまだ完璧ともいえないし、なにより裏が多すぎるのだ。あたしは近寄りがたい人物だと判断して颯爽と逃げようとしたさ! しかし容姿端麗・頭脳明晰・性格悪才(?)とくればやはり神さまは皮肉なもので……。

 うん、運動神経も良かったりするんだな、これが。
 それであたしは先生のエモノ状態。

* * *

 さて、そんな腹黒先生があたしに失礼なことを述べた出来事は、生徒たちが頑張っている春休みの補習中の美術室の中。
 あたしは最初の数学だけ授業に出て、そのほかの授業をサボっていつものように本を読みふけっていると、先生が珍しく落ち着きがないように紙をばさばさ鳴らしていた。今もばさばさ鳴らしてるけど。落ち着け、先生。
 書類なのかレポートなのかよく知らないけれど、それを書き終えたらしく、先生は紙を一纏めにしてファイルにはさみ、一冊の本を鞄から取り出した。何気ない動作なのであたしはまた本に目を落としたが、ふと先生の読む本に興味をもった。先生はあたしに背を向けて作業していたため、視界にあたしは写っていないはずだ。先生に声をかけるよりも本を見る方が早いだろうと思って後ろから本の内容を眺めた。
 ………ぶーっ!
「ネア、うるさいですよ」
 あたし何も言ってない! でも先生はあたしの心情が分かったのか、眉をひそめるだけ。
 って、そうじゃなくて学校にエロ本なんか持ってくんなぁー!!
「せ、せんせ……」
「男は色々とあるんです」
「女を抱く事が学校では必要あるんですか」
「できないからこうしてわざわざ欲求不満解消にこれを持ってきているんでしょう」
 先生は何事もなかったようにまた本に目を通す。本はどうやら何かのノベルス文庫みたいで、表紙はカバーで隠されているものの、中身にはちらほら挿絵があったりする。今も、右側に女の人が足を開いて……って! 説明してる場合じゃないっ!
 あたしは慌てて後ろから本を閉じた。
「こ、ここは学校です」
「生徒手帳に教師が18禁のものを持ち込んではいけないという注意事項はなかったですが」
 確かにないですけど、それ屁理屈にしか聞こえないんですが。そもそも教師が生徒手帳を見て判断すべきではないんじゃないでしょうか……。
「あ、あたしが、まだ18歳じゃないんです」
「それが世の中援助交際している若者の台詞ですか」
 それあたしの責任じゃねぇーー!
 先生に反対すればするだけ無意味なことをしたものだ、とあたしは気付く羽目になる。
「冗談ですよ、ネア。あなたが意外とマナーにうるさくて純情なのは分かっています」
 純情、は余計だが、マナーにうるさいのは正しい。自分はともかく、他人の行動に口出してしまう性格なのだ。先生は片唇をあげて、裏の笑みを出した。
 えーと、この笑みは『やってくれましたねスマイル』で……。
 はっ、と原因に気付いたあたしは先生から離れようとしたが、既に遅し。先生に手首を握られ、ぴったりと先生に抱きつく格好のまま、固まってしまった。
「ははは離してください!」
「おや、まぁ。ネアは僕に気があったのですね。ちっとも気が付きませんでしたよ」
「あたしは罠に引っかかった鳥ですから!」
「鳥ならば背中の温もりはこんなにも大きくは」
「変態!」
 あたしは先生の言葉をさえぎってあろうことか、先生に暴言を吐いてしまう。
 あぁ、もう! なんて恥ずかしすぎる! ぺったりついてしまっているのは先生の背中だ。まだ春だから夏用のスーツみたいに薄くはないから胸の感触までは分からないだろうけれど、先生は今頃あたしと同じく相手の体温を感じてしまっているに違いない。
 そこまで妄想してしまうと、さらに顔が赤くなってしまう。
「ん? 熱くなりました?」
「変態!」
 あたしはもう一度先生の耳元で叫ぶと、今度は容易に手首が離れた。先生が離してくれたのだ。
「そう耳元で騒がないでください……耳が」
 先生はへらへらと人のいい笑いをしながら耳に手を当てる。
 嘘だ。絶対嘘。この笑みは『ホワイトスマイル』で、油断すると『やってくれましたねスマイル』よりもタチが悪い。一番悪いのはもちろん、あまり出てこない『ブラックスマイル』だけど。
「それよりも先生、学校で欲求不満解消しないでください」
 変態ですよ、ばれたらどうするんですか、の意味を込めて切実に頼む。
「大丈夫でしょう」
 どこが?! 先生の『大丈夫』は本当に大丈夫なんだろうけど、どこがどう大丈夫なのか、そこまで説明して欲しくなる。
「先生なら、女に困っていないでしょう」
 疑問じゃなくて、断定。困るわけなんかない。
「そうですね」
 ほら、認めた!
 あたしはポケットに入れていたカールを取り出して威嚇した。因みにカールは愛用のハサミ。左利きの人のためにも使えるユニバーサルデザインの素敵な素敵な商品なんだから! ってそこはどうでもいいんだけど。
「こ、これ以上近づくとカールが先生の髪を切っちゃいますよ」
「近づいてきたのはネアですが」
 ……否定出来ません。
「へ、変態なことを仰ったのは先生です」
「ネアが勝手に妄想していただけでしょう」
「うっ……、でもその本を学校に持ち込むことはどうかと思いますよ」
「ネア、読んだのですね」
「よ、読んでません! 絵を見ただけです!」
「どんな絵ですか?」
「えっと、女の方が正面から足を開いて泣いてて……」
 って何言わすんじゃーー!!
「先生今の忘れてください!」
「忘れませんよ。ネアからそのような言葉を聞くとは光栄です」
「全っ然敬れたくないです!」
 あぁ、もう駄目だコリャ。い○りや○介さん。今ならあなたのコントをする上での気持ちが分かったような気がします。もう駄目なんですね、この人に口を出したって。
 こうなったら逃げるが勝ち、だ。
「もう先生はそこにいる巨乳おばさんといちゃいちゃしていればいいです!」
「ネア!」
「あたしは誰かに慰めてもらいますからぁ!」
 と、なんとも言えない台詞を残してその場から去った。先生の「あなた彼氏でもいるんですか?!」という返ってきた言葉をちゃっかりと聞いてしまったのを後悔して。

* * *

 というわけで現在に至る。
 あたしは今狭い部室の中でジョニーに慰めてもらっている。えぇ、そうよ。どうせあたしに彼氏なんかいない。だからこそ男の気配もないと分かっているくせにあんなことを言った先生が嫌いだ。こうなったらジョニーに彼氏になってもらおう。
 ジョニーは石膏像の中で一番日本人らしい体型をしている。といっても首から下は無いけど、西洋人特有の顔の彫りの深さはこのジョニーに見られないし、ちょっと低めの鼻の高さがあたしのお気に入りだった。髪の毛がクルクルなのはご愛嬌。首の下からはみ出た鉄の棒を支える下の板も檜で作られてふんわりと良い匂いがする。板の裏にはジョニーが作られた日付とペンネームが書かれてあって、昨年の3月 『タロウ』と彫られている。つまり、あたしと同じ時にこの学校に入ってきたのだろう。
 あぁ、ジョニーのモデルとなった人に会ってみたいなぁ。昨年作られたということはきっとモデルさんは生きているに違いない。日本人なのは間違いないらしいから、会って話をしてみたい。
 うじうじとジョニーの頬あたりを撫でていると、ある考えが浮かんだ。
「……ジョニー、あたしと付き合おっか」
 ――よし、そうと決まれば親父さんに会いに行こう。
 こうしてあたしは部室から出た。

 美術部の部室は二つある。美術室の北側にあるのが、絵の具やキャンパスを入れる、道具入れみたいなものだ。そして南側にあるのが主に石膏像が置かれていたりする。石膏像は西洋人の顔がずらずらと並んであって、あたしは特にこのジョニーが気に入っていた。ジョニーはアジア人ね。
 全身は場所をとるらしいから部室にはないが、準備室に二体ほど置かれている。両方とも美女。窓際に置かれているアリアは手のひらサイズの小さい妖精像で、背中に可愛らしい蝶みたいな羽がある。ちょっと痛んであまり綺麗には見えないが、あたしがジョニーの次に気に入っている石膏像だ。そしてもうひとつ、マリーという実物大の裸体の(しかも巨乳の)人魚像がある。これはいわずもがな、腹黒先生のお気に入りだ。以前に、どうしてそれは部室に置かないのかと聞いた事がある。その答えはこうだ。
「健全な男子生徒にそんなものは見せられません。興奮してしまったらどうするのですか」
 石膏像に興奮する男子生徒はなんと空しい生徒なんだろうなぁ、と思わずにはいられなかったあたしだった。
 ま、掃除の時間には部室も掃除させているみたいだから準備室に置くという考えはあたしも否定しない。べたべた胸を触られるのも、マリーは嫌がるだろうし。そもそも学校にマリーを置く方が間違っている気がする。
 ……そんな腹黒先生もマリーの胸を触っているところはまだ目撃していないが、なんというか……首を回して抱きついたところを見てしまった。よほど欲求不満なんだろうな。男子生徒とは違って抑制が効く(のか知らないけどそういうことにしておく)ので心配することはないだろうが、わざわざ学校で石膏像に慰めてもらうなんて先生らしくない。あたしも人のこといえないけど。

 さて、美術部員にとってあまり用のない南側の部室だが、あたしはよく入り浸って先生の愚痴を言う大切な場所だ。ジョニーと(一方通行に)付き合うことになったので親父さんに許可をもらうことにする。
「ジョーさん。あたし、ジョニーさんと付き合うことになりました。よろしくお願いします」
 深く頭を下げ、一礼をする。ジョーさんはあたしの前でピクリともせず、ジョニーと向かい合っていた。そこであたしはジョーさんをあたしと向かい合うように調整してジョーさんと握手をした。
 ジョーさんはジョニーに似ている石膏像でちょっと老けて見えるため、ジョニーの父親と称した。首の半分までしかないジョニーとは違い、ジョーさんは腰のくびれまである。肉付きは抜群によく、あたしの将来結婚してみたい人ランキングに入っている。しかし残念ながらちょっと老け気味。あら、いいのよ、ジョーさん。おじさまでも紳士的で素敵なんだから。
「さ、これであたしたちは親公認のおつきあいだわ」
 しかし一人でしゃっべているあたり、空しくなる気もするが……いや、それは敢えて気がつかないことにしよう。

 ジョニーを抱えて石膏用部室から出ると、一人の女教師がちょうど美術室のドアを開けてあたしと目が合った。やば。面倒なことになりそう。
「……? 今は授業中よ? どうしてここにいるの」
「いつも出てないんだから良いだろ」
「あぁ……あなた遠山サンね」
 女教師は納得してうんうんと頷いた。簡単に納得したところをみるとあたしは問題児として教師に知れ渡っているのだろう。嬉しいんだか悲しいんだか。直接あたしに迷惑がかからなければ嬉しいと思うのだろうけど、皮肉なことにこの女教師は腹黒教師ほど心は広くないわけで……いや、先生を誉めているわけではないが、女教師は腕組みをして首を横に振った。偉そうに立っている様はなんとなくカチンとくる。年もそう遠くないはずなのに(おそらく20代だろう)自分が上に立っているのだという錯覚が芽生えたらしい。
「高野先生はこのことを知っているの? 迷惑でしょう、早くここから出て行きなさい」
 そうやって女教師はのたまうが、本性がちらちらと窺える。つまり、二人きりになれないから出ていけと。この女教師も腹黒教師の虜となってしまったのだ。あぁもう、誰に腹を立てたら良いのかわからなくなってきた。
 女教師はまだそこに立っている。先生に会うまでは絶対に離れないのだろう。
「あたしは美術部員だ。ここにいたっておかしくはないだろう」
「だからって、授業中にそこにいたら迷惑でしょ、と言っているのよ」
「人の勝手だ」
「……これだから言うことの聞かない生徒って嫌なのよ」
 どっちが。あたしだって言うことの聞かない大人が嫌だよ。大人ぶって言い訳するのが大嫌いだ。
 そう言いかけて、はっと理性を取り戻す。駄目だ、相手は間違っても教師。言い過ぎは厳禁だ。そうやってお母さんと約束したんだから、これだけでも何とかして守らなければならない。
 しかし何も言わないあたしに女教師はほくそえんだ。
「何? あなたも高野先生に惚れたの? いるのよねぇ、そうやって先生に贔屓しようとして集っている連中が。高野先生にしてみたら迷惑極まりないわ」
 違う。あたしはどちらかと言えば寧ろ被害者だ。それに贔屓しているのは自分だろう、と口を挟みたくなる。この先生、いつもの女子生徒よりもむかつく。
 ジョニーを抱きしめている手のひらが自然と握りこぶしを作っていく。
「はっきりと言うわ。あなた、魅力ないわよ。そんなので高野先生に近づこうとしたの? 無謀すぎるわよ」
 ついにあたしの頭の中でブチッと何かが切れたのと同時にぎいぎいと鳴る準備室のドアがかなり大きな音を立てて開かれた。
 腹黒教師のお出ましだ。何ともいえない先生の表情に一瞬にしてあたしの熱くなった血が冷えた。
「あら、高野先生?」
「加藤先生」
 あたしの顔を見るときは真剣な表情だったのに、女教師に視線を合わせたときにはもう偽の仮面をかぶっていた。少し困ったような表情。いかにもさっきの話を聞いてしまいました、という先生の態度に女教師は躊躇う。
「あ、あの」
「遠山さんはそういうのではありません。ここにいるのは彼女の居場所がないからですよ。それに魅力があろうがなかろうが、僕は学校で私情は挟まないようにしているのです。ですから、加藤先生が心配することじゃないですよ」
 なるほど、そうきたか。女教師の熱烈な嫉妬に純粋な仮面野郎は『心配してくれた』と取ることにしたらしい。まぁそう思えなくもない。鈍感なヤツからしてみればそれが当たり前そうだ。
 だがそれでも女教師はショックを受けている。先生が私情を挟まない発言をしたせいだろう。つまり生徒にも教師にも恋人を作らないということ。それが本意なのかは知らないが、先生はそう言って乗り切る事にしたのだ。
「で、加藤先生は何か僕に用事があったのでは?」
「な、何でもありません。間違えて教室に入ったようですわ、おほほほ……それでは」
「ええ、また午後の職員会議に」
 最後まで変な笑顔を振り撒き散らして加藤先生と言うらしい女教師は出ていった。
 ちょっとした嵐が去って一瞬の静寂のあと、いつものようにあたしは口を開く。
「また?」
 ――また告白されたの? そういう意味を込めて。
「……」
 しかし、先生は何も言わない。閉じられたドアをじっと見つめてそのまま動こうとしない。まるでジョニーのような石膏像だ。あたしは不安になって抱きしめていたジョニーを机の上に置いて、先生の傍まで寄ってみた。
 先生はショックを受けているように目を丸くしていたのだ。
「先生?」
「さっき言っていたのは、嘘だ」
「は……?」
 口を開いたかと思えば訳わからんことを。
「嘘なんだ……」
「そりゃ、あたしの居場所がないというのは嘘だろうね」
 本来いる場所は屋上なんだから、半分嘘をついているようなものだ。……でも、だからといって先生がそこまで気にするものだろうか?
 先生は違う、といって首を振り続ける。何が違うんだよ、コノヤロウ。
「……ジョニー片付けてくる」
 らしくない先生の姿を目撃して、あたしはやるせない気持ちになった。

 ごめんね、ジョニー。
 やっぱあたし、つきあえないわ。
 まだ一人身で良いのよ。先生だって良い年して一人身で淋しい思いしているんだから。

* * *

 その翌日。朝っぱからカラスがかぁかぁとうるさいほど鳴いている。
 今日で春休み中の補習は終わる。今日は最初の数学と二限目の英語の授業に出た。相変わらずクラスの人からには奇異の目で見られたけど、昨日の先生らしくない姿を見るよりかはマシだと思う。どうか先生が直っていますように。あたしは授業中、それだけを願っていた。

 先生は、復活していた。

「そろそろネアも油絵とやらに挑戦してみませんか」
 油絵は一年の最後の方で使用するらしいが、最初しか美術の授業に出ていなかったあたしはやった事がなかった。というか先生、昨日どうなったんですか、あれ。と言っても先生が答えてくれるわけじゃないので素直に返事を返す。
「やだ。臭いし」
 油絵を使ったことがないからといって残念がることはない。油絵はたまに強烈な臭いの戦争を繰り広げられるのだから鼻に敏感なあたしにしちゃたまったもんじゃない。普通の油絵の臭いは平気だけどもさ。
「困りましたねぇ」
「なんで油絵なわけ?」
「せめて三年になるまでには数点作品を作っていただきたいのですよ。是非記念に残るような物を」
「……前はそんなことを言わなかったじゃん」
「実を言うと美術部員が大分減ってしまって廃部の危機があります。今回少なくとも三人のやる気のある生徒を入れていただきたい」
「あたしがやる気になれば?」
「二人で足ります」
 つまり幽霊部員が多すぎて空き巣状態になりつつある、ということだろう。部員が多すぎても内容に実績を得られなければ廃部の危機だってある。それの恐れを感じた先生はあたしにこの話を持ちこんだ、ということか。
 ……にしても先生は三年生には頼る気がないらしい。
「わかった、やるよ。暇つぶしに出来そうだし」
「では、新学期が始まる始業式に準備室に来てください」
「はいはい」
 始業式。忘れてた。先生の話がうんたらかんたらと続く行事に学校に行かねばならないのだ。
 ――ふけるか。
 そんなことを思っていると、
「ちゃんと式には出てくださいよ」
「……はい」
 釘を刺された。

 しかし、よく考えてみればここあたりから先生の態度が変わっていた。自分でも気がつかないほど、じわじわと。
 先生は、本当に嘘をついていたのだ。



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