部室での睡眠を繰り返すうちに明らかになった顧問の腹黒という性格。
 別に嫌じゃないけどね、つか前々から胡散臭いと思っていたし。
 でも不良少女な体裁しているあたしに堂々と愚痴いうのはどうかと思った。


delinquent girl×scheming teacher
不良少女×腹黒教師

1、それは心無い心掛けの調べ              


「先生、……だからぁ…!!」
 …………うるさい。
 心地良いというわけでもない夢から一気に目が覚め、身動ぎをする。
「先生、聞いているの?! ちゃんとこっち向いてよっ」
「は、はいっ聞きます聞きます」
 おそらく先生はようやく起きたあたしに気が付いたんだと思う。それであたしの方に目を向け、そして傍にいた女子生徒に怒られた。こんなものだろう。
「あたし、先生に告白しているんですよ? それなのに真面目に聞いていないって酷くないですかっ?!」
「す、すみません。今度はちゃんと聞きます、で、何でしたっけ」
 ほら、やっぱり聞いてないんじゃない、とあたしは突っ込みたくなったが我慢して寝るフリを続ける。
 さっき女子生徒が告白している、と言っていたのにどうやら先生はその言葉もスルーしたらしい。無常だな、先生よ。
「………先生、あたし、先生の事が好きなんです」
 ごそ、っと目を開けてそっと覗き見をする。女子生徒は俯き気味に先生を見ていた。その頬は可愛らしく赤く染めて、まるでぶりっ子のようだ。
 だが、あたしは知ってる。
 こういうヤツは先生の体だけが望みなんだと。そしてこういう事が出来るヤツは、慣れている人だけ。何回もその姿を見ているあたしは見る方に慣れたが、しようとすればきっと相手に逃げられるだろう。まぁ見た目も大事だからな。つかあたしがやったら皆引くと思うんだが。
 本心だかどうだか知らないその女子生徒は、その姿をしているだけきっと先生を落とせると思っているのだろう。余裕のあるヤツだけがその姿を演じるということも、既に検証済みだ。伊達に先生の告白されるシーンを見ていない。
 ……っち、めんどくせぇな。
 その姿を見てくると苛立ってくる。今なら窓ガラスを二枚ほど割れそうだ。
 その上、告白の相手が先生、というところにまた腹が立つ。知っているか、生徒諸君よ。告白が終わったら先生は真っ先にあたしに愚痴るのだぞ。約束、っつーか取引で仕方なくあたしは愚痴られているのだ。そうでなければあんな腹黒教師の愚痴なんか聞きたくもない。
 だからといってここから動くわけにもいかない。動いたら女子生徒はきっとあたしに気付くだろうし、睨んでくるだろう。何でここに人がいるんだよ、って。うぜぇ。最初っからこの美術室にいるのはあたしなんだからしょうがないだろ。しかもお前と違ってちゃんと先生に許可取ってるんだよ。それでもあの人間は睨むことをやめないと思う。
 嫌だね、自己中心的なヤツ。悪寒がするほど、あたしはああいうヤツが大嫌いだ。他のヤツの気持ちも考えて欲しいもんだね。
 再び目をつぶって居眠りをしようとした時、焦ったような先生の声が聞こえた。
「しかし、僕とあなたは教師と生徒……。いうなれば『禁だ…』」
「そんなこと、承知してますっ! でも、あたし、先生の事がっ…!」
 先生は、生徒と教師がよくやる(のかしんないけど)『禁断の愛』とでも言いたかったのだろう。しかしその言葉は女子生徒の『承知』という言葉に消されてしまった。
 はっ、承知している、だと?
 笑えるねぇ……ホント、自分勝手だ。いくら生徒が承知したからって、先生がしなければ成立しない。それなのに無理やりその考えを通そうとする。嫌な時代だね、今は。昔は教師というものは尊敬される立場にあるのに逆に見下されているようなものだ。といっても、あたしも尊敬する気なんかないけど。特に今まさに告白されている先生に。
 マジ、吐き気がするんだけど。
「あなたの気持ちは痛いほど伝わりました」
 申し訳なさそうな声。もちろん先生。おいおい、本当に伝わってきたのか、先生よ。
 もうその台詞、何十回も聞いてきたんだが。
「しかし、僕は……あなたと付き合う事は出来ません。すいません」
「う、ううん! 謝らないで…! ……やっぱりあたし、迷惑だったよね、ごめんなさい」
「いえ、あなたが謝ることはありませんよ。好いてもらえて嬉しく思います。ありがとうございます」
 沈黙。
 女子生徒がいきなり黙ったことに不思議に思い、ちらっと目だけをおこして見ると、女子生徒は顔を真っ赤にさせていた。あーあ、つぼにはまったなこりゃ。
 それに気付いているであろう先生は、あえて気が付かないフリをしている。わかってんだよ、あたしには。その顔の下でニヒルな笑みを浮かべていることにな。
「さ、教室に戻りましょう。そろそろ昼休みが終わってしまいます」
 さりげなく女子生徒の背中に手をあて、ドアの方へと促している。一見、ジェントルマンのようだがあたしには厄介払いしているようにしか見えない。
「は、はい」
 だが、悩殺された女子生徒は気付くこともなく、すごすごと何かを惜しむように去っていく。
 ざまぁみろ、あんな演技のかかった告白で先生を騙せると思うかよ。まだ先生の演技の方が芸があるね。
 たたた…、と音が小さくなったのを聞いてひとまず安心して、再び眠ろうと頭を伏せた。
 だが、ガガガ、と椅子を引く音と同時に肩に温もりを感じ、違和感を覚える。何、と言おうとして顔を上げると、先生の顔がすぐそばにあることに驚き、すぐさまあたしは睨みを利かせた。こういうときに怯んでいては駄目だ。それは相手の思うつぼ。
「……」
「あの子、誰?」
「おや、先生にキスされても良いのですか? 逃げないと危険でしょう。ファーストキスがまだなのならば、尚更です。しかしファーストキスがまだというなら僕が奪ってしまおうかと思っているわけですが」
「『しかし、私とあなたは教師と生徒……。いうなれば禁だ…』」
「ちっ」
 先生のおなじみと化しているあの台詞を吐く途中で先生が舌打ちをした。
 先生、あたしはもうファーストキスをしてしまっているし、もうその顔は残念ながら見飽きているの。
 普段のように先生の反発する考えを心の中にひっそりと留めておいて、口には出さない。結果、あたしは『無言娘』と先生に称されていたりするのだが、そんなことは無論、どうでもいい。
 なんだか今日の昼休みはじっくりと眠れていない気がする。あたしは時計を見、残り5分のゆとりがあることを確認してうつ伏せになった。
 いや、なろうとした。
 だが先生の頭がそこを占領していて寝るに寝られない。
「先生」
 ぐいぐいと頭を動かそうとするが、依然動こうとしない先生の頭。どうやら寝ているわけではないらしい。機嫌を損ねて頑固になっているといったところだろうか。
 何故だ?
 今日はやけに先生の機嫌が悪い。先生がだらしなく机に突っ伏している自体、珍しい光景なのだ。いくら愚痴れるあたしの前でも、この先生はこういう所を見せないはずなのに、今の先生は我侭な子供のようにすっごくすごく機嫌が悪そうだ。
 さすがにあたしも心配になって先生の顔を覗きこんだ。すると、先生はポツリと呟く。
「やっぱ危ない道を走るよな、生徒と教師って。触れ合う事は出来るのに付き合うこととキス以上のことをしたらいけないって……」
「……改心してんの?」
「んなわけねーだろ」
 はっとした表情でばっさりと先生は言い切る。
 やっぱり告白して来た生徒と付き合いたくなって言い出したのかと思ったのだが……そうではないらしい。残念。手っ取り早く彼女を作ってしまえば告白シーンを見ることもないだろうと思ったのに。ま、どちらにしてもあたしには関係ないけど。
「それより先生」
「んだよ」
 口調にぼろが出始める先生。仕方ない。コレが先生の隠された本性なんだから。
 そんな先生にあたしはいつもの台詞を吐く。確認とも取れる、儀式のような台詞だ。
「―――また?」
「…ああ」
 先生はめんどくさそうに頷く。大変だね、先生と言う職業も。
 あたしはとりあえず先生に他人事のように呟いた。
 まぁ他人事なんだけどさ。

 * * *

 と、先生の注文どおりに不良口調を演じてみたけど、あたしは普段このような発言はしない。うぜぇ、なんて言ったことも思ったこともない。第一、ウザイという言葉の意味もよく知らないし。ただ単にうぜーうぜー言ったとしても意味が通じないのは自分だもん。疑問符が付くような言い方は自分でも勘弁してもらいたい。あ、あたいって言うの忘れてた。ま、いっか。どうせ先生の希望なんだし。
 言葉は普通の女の子よりかはちょっとマシなはず。でも、あたしは自他共に認める不良だ。頭髪は茶髪どころか脱色して金髪にしているし、キツめの香水もたんまりつけている。もちろん、喧嘩は強いし制服は得意な手芸で改造して、スカートは長い。
 そんなあたしは遠山 祢亜。ネアと読む。美術部だ。
 かといって部活に出てキャンパスに向っているわけでも、石膏をいじっていたりするわけでもない。放課後に顔出すことはないので、あたしは幽霊部員化としてしまっているだろう。だって今までに一度も部活に貢献した事がないんだから。まぁ、そこは別にどうでもいい。美術部が廃部にならなければどんな出来事があったってあたしには関係がないようだし。ただ、部長さんがあたしと同じ1年だとは聞いた。うん、2年はいるにはいるらしいけどどうやら全員あたしと同じ幽霊部員なんだってさ。ご愁傷様だね、先生。
 じゃあなんで美術部に入ったのかというと、あたしの高校が絶対部活に入らなきゃいけなかったからだ。美術部だと基本的に活動内容はフリーらしいし、作品提出も自由なんだそうだ。もちろん、出さなくてもいい、とのこと。他にも経理経済部やらワープロ部やら楽そうな部活はあった。しかし、どれも不良なあたしを受け入れる先生はいなかった。どうせフリーなんだし、あたしは何もしないんだから邪魔者になるわけじゃないはずだ。でも、部活の名を汚したくはなかったらしい。それを聞いてどんなに腹が立ったことやら。どうせあんなオタクな部活に入ろうとする人間なんか、そういないわよ。で、フリーな文化部で唯一受け入れてくれたのが、あの腹黒先生。どうせ他にも幽霊部員はいるので気にせず入っても構いませんよ、と目を細めて笑っていた。あらそう、じゃあ入らせてもらうわ、とあたしは美術部の入部を希望した。
 でも、幽霊部員だからといって部室に行かない、というわけでもなかった。あたしの場合、放課後に行かないだけで、普段は授業中や休み時間に教室を利用させていただいているだけだ。……違う、あたしは断じて先生に会いに行っているわけじゃない。授業中常にサボって寝ている場所を求めていただけだ。それに美術部員だと気楽に美術室に通える事が出来るのだ。悪条件もない場所を、どうして行かないでいられる?
 だけど、いつでも美術室を使えるという条件だけは用意されなかった。それもそうだろう。美術室は本来美術の授業のために使われるもの。たとえ中学校よりも使われる頻度が少なくなったとはいえ、時間の空いた美術室は週に数回だけだった。最初、美術部の部室で寝ればいいかなと思って一度だけ使用した事がある。――――駄目だね。部室はもはや荷物置き状態になっていて、もともと狭かった部室がさらに狭くなり、寝れるわけがなかった。それでも、と思って寝たら体のあちこちが痛んだのを覚えている。もう二度とするまい。そんなあたしは屋上行きの道しか残されなかったので、美術室で寝れない授業は、秋の途中まではそこで過ごした。
 そこで、先生は何を思ったのか、あたしに美術準備室というハイテクな場所を提供してくれたのだ。
 先生はあたしに、冬は寒いでしょう? 屋上で過ごすと風邪を引いてしまいますよ、と言ってきたのだ。もちろん、人のいい笑顔で、だ。
 準備室は、―――最高だった。
 暖房はあるしコーヒーは作れるしパソコンもあるし本棚いっぱいに漫画はあるしソファーはあるし布団も用意されているし、そして何故か個室のトイレも用意されていた。先生に聞いた所、先生が就任する前は教頭先生が美術の先生だったらしく、そして何かの病気で特別にトイレがつけられ、そのまま残されているのだとか。これにバスルームがあれば文句ない。学校で一生暮らすことができるだろう。
 そんな美術室を提供してくれた先生は、まさに夢で見た救世主だった。
――――あの時までは、不覚にもあたしはそう思っていたのだった。

 先生は、本名高野雅という。
 眼鏡のかけた、今時珍しい純情の性格をした、それでもしっかり者のかっこいい先生だ。意外とママさんにウケるらしく、影でマダムキラーとも呼ばれている。うん、確かにウケそうかも。
 先生の授業は何回か受けたことはある。あたしも単位を取らないとテストの点は良いとしても見逃してくれるはずもないので最初の2,3ヶ月は真面目に全部の授業を受けたものだ。そしてあたしは音楽・書道・美術のどれかを選ぶときに美術を選んだのだ。特に意味はなかった。美術なら変な絵を描いてもそれを個性だと認めてもらえば楽だろう、と思って一番楽そうな教科を選んだ。それだけだ。そして先生の授業は、とてもわかりやすくてしかも絵がとても上手。美術の先生なんだからそれは当たり前なんだろうけど。でも思ったんだよね、男の人なのになんでこんなにも綺麗な絵がかけるんだろう、って。何回しか出てない授業でも、先生の印象はかなり良い。だからあたしにサボリの場所を提供してくれた時、良心が痛んだ。何度もあたしは忠告したんだ。そんなことしたら先生、クビになってしまいますよ、って。本当に不良か? って自分でも思ってしまうほど丁寧に忠告した。そしたら先生は、なんていったと思う?
「大丈夫ですよ。僕が何とかします」
 って。今思えばキザなヤツだ。
 何とかします、ってどうするんだよ。どうせ校長(珍しいことに女)を悩殺するんだろ、マダムキラー?
 でもそのときのあたしはすっごく嬉しくて、本当ですね? と念押ししてから準備室に居候させてもらったんだ。本当、あたしって馬鹿だね。なぁにが、『僕が何とかします』、だ。先生はただ話し相手が欲しかっただけに違いない。……いや、『話し相手』じゃない。『愚痴を漏らしても絶対ばれる事がない相手』、だ。あたしには無論、友達なんかいない。絶妙なタイミングで現れたエモノってところだろう。そしてそのエモノはいとも簡単に罠に引っ掛かった。失敗したわ、あれは。
 ………そんなあたしだからこそ、先生はついに本性を出しやがった。そして、あたしはそのときに先生が腹黒だと言うことに気付いたんだ。

 あたしが準備室に居候出来るようになった11月の半ば。いや、マラソン大会があって窓から先生と二人で仲良く顔を出した記憶があるから12月の始めだろうか。午前中、グラウンドに出て次々と校外に出て行く生徒たちをぼんやりと見て、先生と他愛ない話をしていたと思う。そのあとあたしはソファーで居眠りを始めた頃、マラソンを終えたらしい女子生徒が美術室に訪れて先生を呼んでいた。その声はあまり大きな声ではなかったものの、何故かちょっとやそっとでは起きないあたしはぱっちりと目が覚めた。だけど女子生徒が纏う気配に嫌な感じがして、すぐ瞼を閉じて寝たふりをしたのだ。まだ寝ているのだろうと思っていたのか、はてまたあたしの事はどうでも良かったのか。先生はあたしのほうに、目をくれずに呼んだ女子生徒の方へと向かっていった。
 そこで、あたしはちょっとした好奇心が生まれた。
 それまでにも先生は幾度か女子生徒に呼ばれていたことがあり、その度に準備室から出て行った。あたしは当たり前だろうと思って気に留めなかったが、この時、ようやくおかしいと思うようになったのだ。
 女子生徒は一体先生に何を聞くのだろう、と。
 美術の先生に聞く内容なんて無い、といっても過言じゃない。だって美術だよ? 上手に描ける方法はありませんか、とか、今日のここが分かりませんでした、とか、美術の先生に聞くべきじゃないはずだ。上手に描きたけりゃ練習とかしろ、そんなところ分からなくても美術はテスト無いんだから知らなくてもいい、とか云々……そう言ってしまえばいいんだから。
 だから、あたしは疑問に思ったわけだ。
 準備室のドアがしまったのを確認して、あたしはそっとドアを開く。準備室のドアは、生物準備室の時もそうだったけど、開くときにギィギィ鳴ってしまうのだ。あとドアノブを捻ったときに微かにガキッとか鳴ってしまう。あたしは丁寧に、上手にドアを開けた所でひと安心した。よかった、器用な人間で。器用じゃなければもう既にばれてしまっている。ばれてしまえば後がめんどい。
 ドアから覗けば、そこは、まぁ……。太っていた女の子が居たわけだ。今時の女の子らしく顔に横側の髪をかけて、体と不似合いに髪は少なめで。もちろんスカートは短めにして太った足を丸出しにしていた。あたしの学校はパンツが見えないようにと普通の子はスカートの下にハーフパンツを穿くのだが、この女子生徒の場合、穿いてないんじゃないの?って聞きたくなるほど短かった。膝頭から15センチはゆうに生足が見える。女子生徒を一瞥して、最後に見た顔は悪いというわけでもないが、良いとも思えない。ただ、大きくてくりくりとした目が可愛らしい。顔だけで取ると普通の子よりも可愛いと思う。だけど、体格がなぁ……。
 ドアをはさんでそんな風な意見を思い浮かんでいると、先生を呼び出せた女子生徒はさっそく本題に入った。
 すなわち。
 『告白』、だ。
 その告白の後に綴られていたのは脅迫ともとれる言葉の羅列。
 「先生のためなら死ねます」や、「先生となら地の果てまで万歳」とか云々。語弊があるのはあたしが途中、信じられなくて呆然としていたからだ。申し訳ない。とにかく、告白で使うような台詞ではなかった。
 それに対して先生の対応はこれだ。
「しかし……『禁断の愛』と…」
 もう説明しなくても分かるだろう。先生が使わざるを得ない、あの台詞。
 だからといって、『禁断の愛』がどうしたといわんばかりに例の女子生徒は、分かってます、分かっているけど好きなの! と何度も言い続ける。
「あなたの気持ちは痛いほど分かりました」
 と、まぁ、つまり今日と全く同じ対応を繰り返しているだけなのだが、先生は飽きもせずこの答え方を何ヶ月も繰り返してきたのだ。よくもまぁ続けられるものだ。余談だが、あたしは三回聞いて飽きた。今はもう耳たこ状態である。ほぼ毎日聞いているのだから、よくある日常の範疇内に収まりつつあるのだ。前にも告白して来た同じ生徒さんにはどうやって対応するのかなぁと思っていると、その時は「前にも同じことを言ったと思いますが」と一言断りを入れるのだそうだ。恐ろしい事に、先生は今まで告白して来た女子生徒の顔と名前を覚えているのだ。しかも、当たり前ながらに顔と名前が一致していて、先ず最初に生徒サンの名前を呼ぶ。どうせは「あなたの(略)…」の最後まではちゃんと言い切るつもりらしいけど。先生曰く、こうじゃないと最後まで言わないと気がすまないとか。どんな考えをしているのかさっぱりだが、あたしはそれよりもあたしと同様に(立場は違うけど)何回も聞く羽目になった女子生徒の気を疑いたい。何回も聞いて楽しむ内容じゃないと思うのだが……それでも先生に告白しようとする女子生徒は居るのだ。人間は不思議な生き物よ。
 長々と二人でしゃべった後、やがて女子生徒はニコニコと微笑を浮かべている先生を残して逃げるように去っていった。あっけないほどの引き際に、あたしは気が抜けてしまっていた。あれだけで納得してしまうのはどうかと思うのだけど、それよりもあたしは先生の顔がだんだん変わっていくのに気付いてしまった。
 ザ・マダムキラーの微笑とも噂されていた笑みがだんだん変わっていったのだ!
 眉間にしわ寄せた、初めて見る迷惑そうな表情になり、なんとさっきの生徒の愚痴(というか悪口)を言い始めた。
「どんな面して俺に近づいてんだ、あの馬鹿生徒」
 信じられなかった。
 とにかく、信じられなかったのだ。
 紳士で有名な先生がいきなり変貌していったのだから。
 あたしはたまたま先生がキレたんだと思った。何故理性を失うほどキレなければならないのか、何も考えなかったのがいけなかったのだと、あとで後悔する羽目になる。
 とりあえずあたしは先生の気を静めるためにそのまま放っておこうとして、顔を引っ込めてドアを閉めた。――それが、いけなかった。
 ギィコ、ギィガチョン。
 古すぎるドアが迂闊にも音を立ててしまったのだ。もちろん、先生にも今の音が聞こえたはず。そのまま聞き逃してくれれば誠に嬉しいのだが、その願いは儚くも先生がドアを捻ったギコッという変な音に壊されてしまった。
「あ、あははは……」
 もはや腰が抜けてしまってその場から動く事が出来ない。先生の氷点下ほどの視線が痛い。ど、どうしようか。このまま笑い続ければ気がおかしくなったのだと見逃してくれるだろうか? いや、きっと先生は見逃さないだろう。今でさえ顔は変わらず、怖いのだ。ちぃっとは見繕ったって誤魔化せるはずなのに、先生はエモノを定めたライオンみたいにあたしを睨み続ける。……エモノ。そうか、あたしはエモノなのか。これから先生の慰みものの人形となってしまって内臓を抉り取られて標本にされてしまうんだわ。いや、内臓じゃなくて石膏像と化してしまって……内臓は理科の丸山先生行きと。はわわわ、不良のあたしがこんなに慌ててどうするんだよ!
 先生は座り込んで混乱しているあたしを一瞥し、一言発した。
「ネアか」
「ネアぁぁあ?!」
 珍しくも声を荒げたあたしに先生は眉をひそめる。そのせいか、怖さが倍増。
「お前の名前だろーが。忘れたのか?」
 あ、そーか。確かあたしは遠山祢亜……ってそうじゃなくて、なんで先生があたしを名前で呼んでるんだよ! 先生はあたしのことを『遠山さん』と呼んでいたはずで。あたしは不覚にもそう呼ぶ先生の声が心地いいなぁと思っていたわけで。
 はっ、とやっとあたしは気付いた。
 そうか、何故気が付かなかったのか。
「天変地異の前触れ……!」
「ほーぉ? いったい何が起こるんだろーなぁ?」
「うぐっ」
 片眉だけが妙に上がっている。どうやら先生はご立腹のようで、あたしを睨むのに瞬きのひとつもしようとしない。こうなれば先生に内臓を取られてしまうんです、とか、明日は槍が降ってしまうでしょう、とか言えるはずもなく、腰を抜かしたまま呆けてしまう。
「ようやくお前に見られたか。もう少し早くていいと思ったのだがな」
「ど、どぉいう意味でしょう?」
「しばらく俺の愚痴に付き合え。そうすりゃお前の居場所はこのまま提供してやる。どうだ?」
 とんでもない!
 ぶんぶんと首を振って否定すると、先生に顔を掴まれる。
「ふごっ」
「ど・う・だ?」
 見下される冷たい視線に有無をも言わせない命令口調。というか顔も掴まれて否定する事も出来ず、おそるおそる首を縦に振った。そうしなきゃ石膏像の一員になっちゃうじゃないか。そして内臓は丸山先生愛用のホルマリン漬けに。
 逆らえない取引。
 そしてその果ては地獄。
 あぁ、神様よ。あたしのこれまでの行いが悪かったからなのでしょうか?

 あたしはたった今、先生のエモノになってしまいました。

 * * *

 現在に戻って、もうすぐ桜が満開になる頃。あれから3ヶ月が過ぎて、春休みに突入した頃だ。担任が理科(ちなみに生物)の丸山先生から離れると思うとちょっと気が楽になった。2年から文系から理系のコースに入ると決めたので、先生が同じになる確率は大幅に下がる。丸山先生には悪いが、あたしはホルマリンの臭いが嫌いだ。というか生徒の大部分は嫌いだと思うけど。
 そんなあたしの心情だが、高野先生とは相変わらず付き合いを続けている。
 美術室が心地いいこともあるし、案外愚痴を聞くというのも嫌ではないのだ。先生の愚痴にしっくりくることもあるので、今ではすっかり慣れてしまった。最初は冷たいと思っていた視線も慣れてしまえば愛らしく見え……じゃなくて、可愛らしく見えてくるのだ。
 やはり人間、何事も慣れだろう。

 先生は愚痴を漏らすときのみ、本性を見せる。そしてだらしなくなる。先生はこうして大学時代まで過ごしていたらしいけど。
 だけど、先生が本性を出すのは愚痴を漏らすときだけで、そしてあたしの前だけ。それ以外は眼鏡をつけた(ちなみに伊達眼鏡)あの純情仮面をつけた紳士に成りすましている。
 ザ・マダムキラー。ああいう顔はウーマン・キラーだそうだけど、紳士という性格はそれなりに年を召した人によく効くらしい。先生の受け売り。でも女子生徒にも効いちゃっているような気がしないわけでもないんだけど……そこはあえて気にしない。
 皆に誤魔化して紳士ぶりを続ける先生。だけど、秘密を知ってしまった私には無効だ。あの目の裏に潜む本性を認めてしまえば、先生の一挙一動が胡散臭く思えてくる。あれからの先生はどう見ても腹黒にしか見えない。

 だからあたしはこう名付けた。
 腹黒教師、と。



     


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