ねぇ、あなた。
どうしてそんなに苦しそうなの?
どうしてそうやってごまかすの?
私が目の前にいると笑うあなた。
私は役に立てない?
苦しさを分かち合っては駄目かしら?
ねぇ、方法があるの。
あなたも、私と同じように心の臓の鼓動を早めるといいわ。

楽になる。


私と同じように。



模様―編―


 今までに心臓が高鳴ることなんてなかったのに、なんだろう。この気持ち。
 心臓って、こんなにうるさく鳴るものだったかしら。


 この人に出会ってから一週間。余命一週間程度だというのに私はぴんぴんしていた。予定だから外れるのは当たり前なんだけど、死の予告はできれば早いほうがいい。なのに私は元気。多分突然ばたっと倒れることになりそうなんだけどね。
「ねぇ、美人君」
「なーまーえー」
「ねぇ、紺野君」
「下の名前でって意味だったんだけどな」
「もう私からはなれたほうがいいわよ」
「また無視かよ…ってなんでだよ」
 美人君は私を睨んだ。あら、見つめあい大会第16回目開始かしら?今のところ、私は10勝5敗よ?勝てるかしら?ちなみに5敗のうち4敗は不意のキスで目をそらしてしまった分。あんなの卑怯よ。
「もうわかるでしょ。私はそう長くない。つらい思いするんだったら今のうちに離れたほうが良いわよ」
 かつてのお母さんがお父さんを亡くしたときのように、この人もそう思うのなら。
 私は嬉しいとも思わないところにいくのだから。
 得なんかしないのだから。
 今のうちに…

「今のうちに?手遅れだよ、もう」
 ………?どういう意味よ?手遅れ、って何よ。まだ間に合うわよ。
 美人君は私の目を見て、そらした。よし、11勝目!…ってそうじゃないのよね。
「何よ。私にかまうと、いいことなんてひとつもないのよ?私から離れると思ったら喜ばなくちゃいけないわ。…どうしてそんなにつらい顔をするのよ」
 そんな顔をしないで。見ている私もつらくなってくる。心臓が、締め付けられるように、苦しくなる。この苦しさは発作とは違う。つらくて、それでも甘いような余韻が残っている。
 この気持ちは、初めてだった。
 無意識に美人君の頬へと手をやった。勝手に動いた自分の手に半ば驚きながらも、私は語り続けた。
「あと一週間しかいられない。早ければ3日、遅ければ10日。そんな命に今更何の用事があると言うの?あなたが来ても何も変わりはしないのに?命が延びるわけでもないのに?…迷惑よ」
 美人君は目を丸くした。
「何もわかっていない。俺はただそばにいたいだけだよ。つらいと思ったのは夏穂がつらい表情をしているからだ」
「下の名前で呼ばないで」
 私がつらい表情をしていた?逆でしょう?あなたがつらい表情をしていたから私がつらくなったのよ。どうしてつらくなったのかはわからないけど、そんな表情をしないで欲しい、と思っただけだわ。
 美人君は自嘲ともいえるような笑いをみせた。
「下の名前、嫌うんだな」
「親しみなんかいらないからよ」
「俺たち、恋人だろ?名前を呼ぶのが普通じゃねえか」
「は?!なんで恋人なの?!」
 はて。恋人になどいつなっただろうか。
「キスしたから。5回ほどな。深いやつもやったんだぞ」
「あ、あなたのキスのせいで心臓が収まらないのよ!下手したら殺されそうな相手を恋人なんかにできるわけないじゃない!」
「でもそろそろ死ぬんだろ?同じことだ」
 いったい何がしたいのか見当もつかない。私を恋人にして何か得でもするのか。訝しんで美人君の顔を覗き込むと、体がベッドに倒された。やば。またこのパターンだわ。
「殺人犯ね」
「殺していない」
「遺書でも残しておくわ。殺したのは美人君です、って」
「殺した相手の名前を遺書に書いてもそれが本当の殺人犯かわからないし、だいたいお前心臓発作で死ぬのなら病死と言う方が適切だ。それに、美人君ってだれだよ、ってことになるぞ」
「ふふふ、ちゃんと名前書いてあげるから事情聴取をたくさん受けるといいわ。そして苦しむがいい」
「おーおー、悪魔の一声か」
 でも美人君はそんなの冗談と思っているみたい。冗談だから突っ込めるものね。そして顔が近づいてきた。美人君の髪が私の顔にパラリ、と落ちてきた。美人君の髪はロングヘアー。しかも地毛。小さいころから女装やっていたらしく、そのままでいるらしい。何か理由があることはわかっているのだけど、なにがあったのかは知らない。それに突っ込むほど親しいというわけではないもの。
 
そして、唇が重なった。






 翌日。美人君が来る時間帯に、普段は来ないはずの人が来た。
「夏穂ちゃん元気?」
「本田さん?」
 看護士の格好とは違う格好で本田さんが出てきた。何の用事だろうか。片手に花束がある。お袋さんのお見舞いかしら。
「お母さんの見舞いですか?」
 本田さんは苦笑した。
「ううん、お母さんは昨日死んじゃったから…」
 あぁ。そうだ。どうりで隣の病室がやけに騒がしかったのだ。名前を覚えるのは得意ではないけど、となりの患者さんの名前ぐらい、知っている。たまに遊びに来て話してくれたおばちゃんだ。親しいというわけでもなかったけど、無関係と言う間柄でもなかった。
 名前は、紺野さん。美人君の母親だ。
「それでね、弟はお通夜。私は仕事だったからこれから行くの。それでね…」
 私の手を握って、花束を渡された。…え?
「弟がお世話になっているそうで。恋人になったんですってね?」
「いえ、それは誤解…」
「わかっているわ。弟が夏穂ちゃんに勝手にキスしちゃって、恋人もどきになりかけているんでしょ」
 先にキスしたのは私なんですけどね。
「ごめんね。そのままでいさせて。弟が、男に戻るのもそう時間はかからないのかもしれないから」
「…どういう意味ですか」
 本田さんは私の手を握り締めて、悲しい表情をした。
「事情はいえないわ。でも夏穂ちゃんが弟を変えてくれるような気がするの」






 その日と、次の日に美人君は来なかった。葬式の準備とかが忙しいのだろう。代わりに本田さんがよくこの病室に遊びに来ていた。「一番上の子供が親の葬式、準備しなくていいの?」って言ったら「あ、弟が来なくて寂しいんだぁ?」とからかわれたのでもうそれに触れないことにした。
 でも、寂しいのは事実。美人君が、まるで嵐のようだったから。嵐が去ったあとは安心できるけど、ごちゃごちゃに散らばったものを見ていると寂しくなるじゃない?今、私の心の中はそんな感じ。好きなだけ心の中をかき混ぜられて、美人君の味を忘れなくさせているような、そんな感じ。つまり、余韻に浸って、あの人を待ちわびているってこと。
 私らしくない。
 だから親しくしたくなかったんだ。こんなことがあるから、こんなことがあるとわかっていたから、近づきたくなかったのに。
 知ってる。

 これは、恋、なんだ。
 美人君に一目ぼれしてしまったんだ。

 あの背中に、一目ぼれを。






「よっ久しぶり」
「……」
 美人君は4日ぶりにここへ来た。その間、私がどんな気持ちでいたとか、本田さんが美人君のいろんなことを教えてくれたとか、私の残り寿命が縮まったとかそうでないとか知らないんだろうなぁ。
 あぁ!憎き存在だわ、こいつ!首絞めたい!
 と、いうことで私はそれを実行していた。美人君はあっけにとられて力のない私に首を絞められている。私は今、首を絞めるほどの力はない。でも気持ちだけで絞めれる。そう信じている。
「どうした?」
「気管絞めている最中だからしゃべるな!」
「いや絞まってないし」
 やはり、弱った私の力では無理だったのだ。
「んで、どうしていきなりこの行動を?」
「あんたが殺したから」
「は?………殺した?誰を?いつ?」
「…私の心を、いつの間にか、よ」
 小さく呟くけれど、美人君には十分聞こえていたらしい。目を丸くして、次に頬を赤くした。その行動が面白くて、ちょっとからかってやろうと思った。
「何照れてんのよ、殺人犯。少女みたいだわ」
「え?ちょ、…どういう意味?」
 美人君はちょっとしたパニックに陥っている。こんなの、説明しなくてもいいんじゃないの?でも優しい私のことだから、丁寧に教えてあげるわ。
「だから、私、いつの間にかあんたのこと好きになった、っていってんのよ!」
 あまり大きな声ではいえなかったけど、耳元で叫ぶように言ってやったから聞き逃すことはないだろう。
 目線を横にずらすと、美人君が笑っていた。む、人が告白したあとにそんな顔して笑うか?!
 美人君は私の肩を掴んで、何するの、と言う暇もなくベッドに倒された。
 見上げると、少女にも見えない綺麗な顔。でもそれが、今はごく普通の青年に見える。
「俺たち、恋人だよな?」
「…そうでもないわ」
「どうして?両方の気持ちがあっているじゃないか」
「気持ちの問題?そうじゃないでしょう。確かに気持ちもあるかもしれないけど、それだけじゃないわよ」
 そういった瞬間、4日ぶりのキスをされていた。私は目をつぶって、唇が離れるのを待っていた。でもなかなか離れてはくれなかった。最初は唇の先と先が当たるくらいの軽いキスだったのに、だんだんそれは深められていく。
 私は否定しなかった。否定したとしても離してはくれないだろう。ますますひどくなることが目に見えている。そうでなくてもひどくなっていくけど。
 しばらく経って、やっと離してくれた。またキスされる前に私は話し込んでいくことにした。
「あなたが女の姿でいるときは、女なの。同性の恋人たちもいるけど、私は恋人とは認めない。だから私たちは恋人じゃないわ」
「じゃあ、どうしろと言うんだ。俺が男になっているときには夏穂はもういないというのに?」
「そうね。私が死ぬのは今日か、明日か、明後日か…。今、死ぬのかもしれないけれど、それでも私はここにいることを誓うわ」
「…?」
 美人君は首をかしげて、眉をひそめた。あら、わからなかったかしら。
「幽霊になってやる、というのよ」
「え」
「今あんた『恨まれる』と思ったでしょ。失礼ね、安心しなさいよ。男になったらちゃんと成仏してあげるわよ。それまで見守ってあげる。だから、約束よ」
「……幽霊という存在は信じていないんだ」
 ふ。非現実と言うものを信じないと言うタチね。そんなやつが女装しているなんてちょっと信じがたいんだけれど。私は余裕の笑みで笑ってやった。
「あら、じゃあそれを証明してあげる。幽霊は本当にいるんだってこと。約束を守らないとどうなるかわかっているよね?」
 美人君の顔がひきつった。まぁ半分脅しているからねぇ。でもすぐに悪戯をするような笑顔になった。
「じゃあ前払いでなんかご褒美頂戴」
 ………そうきたか。






 翌日、私は呆気なく、簡単に死んだ。
 目の前には何もない。ただの空間。いつ、どこで幽霊になるのかしら。
 そう思ったとき、懐かしい感じがした。その感じがまるでお父さんとお母さんの気配のような気がして。
『お父さん、お母さん』
 返ってくるのはやはり何も無い。けど、『なぁに?』と返事をしてくれたような気がして言葉を続ける。
『恋人ができたの』
 その瞬間、心の中が寂しくなった。あの人がいなかったときと同じ。そして今もあの人はいない。
『おかしいでしょ。友達がいなかったのに恋人ができるなんて』
 寂しくて心が締めつけられるのに笑顔しか浮かばない。
『お父さんは、お母さんを残して死んでいったとき、私と同じ気持ちになった?悲しくなった?』
『そうだね、』と声が聞こえた。幻聴かもしれない。けれど、その声に耳を傾けた。
『でも愛しくてたまらない気持ちにもなったさ』
 あぁ、そうか。わかった。心の中の矛盾が。
 寂しくてたまらないのに、優しい気持ちもあふれている。
 愛しくて、たまらないんだ。
 相変わらず笑顔しかでてこない。だけど、それでいいんだ。

 あの人に、会いたい。

『お父さん、お母さん。私、幽霊になってくるね』






「遅いのよ、馬鹿港!」
「うっせーな!」
「遅くてどんくさくて、男になってから口答えはするわ…。夏穂ちゃんはこの男のどこがよかったのかしら」
 口答えするようになったのは男に戻る前からだったんだが…まぁいい、突っ込まないようにしよう。
 あいつが死んでから数ヶ月、いやだった男も簡単に戻れて正直ほっとしている。
 切るのにも躊躇った髪も、今は短い。
「あー、きれいよー」
「……」
 姉貴は空を見てそう呟いた。あいつの墓の前で立つのは天気のいい日がいいだろうと思ってこの日にしたのだ。あいつが死んだのはとても綺麗な空だった日だから。
「ね、ふっきれた?男に戻ってさ」
「……」
 どう答えればいいのかわからないので黙秘していると、姉貴は俺の顔を覗きこんだ。その顔が、あいつのような気がして、口が自然と開いた。
「これが、本当の自分なんだな」
 偽りのない言葉。これであいつは満足しただろう。霊感のない姉弟だからちゃんと成仏したのかわからないが、これで安心して欲しいと思う。
「そうね」
 姉貴はまるで俺の心の中を読み取ったかのように答えた。
「もう、逃げられないね」
 もう、女などになれないね。
 そう聞こえた。
「違うよ、姉貴」
 もう逃げられない?女などになれない?

 そうじゃない。

「もう、逃げない」
 

その瞬間、優しい空気が俺の体を包んでくれたような気がした。



ある夏の出来事。
それは『夏模様』のようで、

一人の少女が確かにいたというあの季節。




↑夏模様番外編(?)あります。

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