ドクン、ドクン
残り寿命の少ない、私の心臓の音が聞こえる。
ドクン、ドクン
早くなったり、おそくなったり。
どくん、どくん
あぁ、この音にはまってしまったなら、
私は死に逝くことができるのだろうか。
それなら、ずっとこの音を聞いていよう。

もう、誰も来なくていい。言わなくてもいい。


もう、いいのだから。



模様―編―


――――ガタン
 音が聞こえた。かなり大きかった。自分の心臓の音に聞きほれていた私はとてもびっくりしてしまった。聞きほれている、はちょっとおかしいか。ま、どうでもいいんだけどね。
 振り向けば、とてもとても綺麗な人。
 どうして私の病室にいるの?私に用事があるとは思えない。だって、私は独りになってしまったのだから。用のある人なんて、病院の関係者だけだ。
 無機質な私の病室に、突然現れたその人はこけていた。それはもう、大げさに。私が吹き出してしまいそうなほどに。残念ながら私は目を丸くするだけでいっぱいいっぱいだった。ごめんなさいね、吹き出せなくて。いや、この人にとっては私が笑わなかった方がありがたいかな。
 だけど、そんな考えは杞憂だったのだ。
「ってぇぇぇぇ〜〜〜〜!あんの馬鹿姉貴!」
 ……え?
 いやいやいや、そんな美人なあなたがそんな言葉使ってはいけませんよ?!
「あとでぶん殴る!」
 だ、だめ!ぶん殴ることは相手にとってはとても痛い行為!痛い目にあわせることは法律で禁じられているのよ!…ん?いや法律にあるのかわからないけれど、とりあえず病院送りにされちゃうわ。ここ、病院だけれど。
「くそっ」
 お行儀の悪い子ね。いっそのこと私が殴ってあげようかしら。腕力がないから痛いとは思えないけど、懲らしめてあげることはできるわ。…多分。
「お見舞いったって俺の性分にあわねぇんだよ。つか病院自体が嫌いだっっあんのクソ餓鬼のせいで注射されそうになるしよ…」
 あらら。それはそれは。きっと雄也君に会ったのね。あの子点滴必須なのにそれをいとも簡単にはずして見知らぬ人に注射ごっこするのがすきなのだ。痛くないのかしらとも思うのだけど、痛覚を感じないのね。そんな人うらやましいわ。
 あら?美人さんがこちらを向いたわ。何か言いたがってるわ。それまで黙っておこうかしら。黙っている間、私は遠慮なく美女さんを眺めた。わぁ、美人さん素敵!顔とか体とか、私のうらやましい体格しているわ。でも目だけ気に入らないわ。つり目がさらに悪化しているって感じ。不満げっていうやつかしら。
 あ、美人さんが口を開くわ。私への第一声、何かしら?
「………お袋?」

……………は?
 美人さん、お袋って、あれですよね?お母さんのこと。
 あ、あたし、美人さんのお母さんに、いつの間になったのでしょうか?
「いやっ今度はえらく若作りに力を入れたな。少女に見えるぞ。逆に気持ち悪い」
 いえ、少女なんですよ。まだ16歳間近の少女なんです。若作りをするも何も、まだ若いんですからそんなことするはずがないでしょうが。
「つかどうしたらそんなに若くなるんだよ。しわないじゃねぇか」
 美人さんは私の顔を覗きこんだ。あるわけないじゃない、しわなんか。
 だんだん美人さんの顔が近づいてきて、ぴたっと額をつけてきた。
「熱ねぇよな?」
「あっ」
「あ?」


「あたしあなたの母親じゃありません―――――!!」






「ごめんねぇ、夏穂ちゃん。こいつが勝手に病室に入ってしかもお母さんと勘違いして不潔な行為を…」
「してねぇよ!」
「すれすれだったじゃないのよ!純粋な夏穂ちゃんを傷物にしたらあんた、北海に突き落とす!」
「つか姉貴のせいだろ!お袋の部屋と勘違いしてこいつの病室に突き飛ばしたじゃねぇか!」
「だからそれは謝ったでしょう?!そして不潔なことをしたあんたも夏穂ちゃんに謝りなさい!」
「してねぇっつの!」
「いいから謝れ!」
 あのあのあの…ここ病院なので、一応静かにしてもらわないとお医者さんが来るんですけどぉー。
 それより、美人さんのお姉さんって本田さんじゃないですか。あなた看護士さんでしょ?いくら妹を責めているとはいえそんな大きな声で怒鳴るとクビですよ、ク・ビ!
 美人さんは諦めたようで、しぶしぶと私に向かって大きな声で謝った。
「すまねぇ!」
 いや、普通はごめんなさい、でしょ。でもまぁ私は突っ込まないようにするわ。
「いえ、勘違いだったのなら構いません」
「あらもぉ、夏穂ちゃんったら優しいわぁ。本当にごめんね。お母さんの病室間違えちゃったもんだから」
 妹を突き飛ばしたと言うことは、妹が言うことを聞かなかったということかしら?この美人さんならあり得るわ。本田さんに逆らうなんて随分と馬鹿なことをしているのねぇ。
「今俺のこと批判しなかったか…?」
 ぎくんちょ。なんでわかるのかしら。口に出していないわよね。
 私、そこのところはちゃんとマナーを守る人間。普段は無口の少女、でことを終えているのだ。今もあまりしゃべらないようにしている。しゃべると親しくなってしまうのは目に見えているから。私と友達にならないほうが幸せだろう。
 だって、あと二週間しかこの世にいないのだから。
 それまで自分の心臓の音を聞いて安心する方がいい。
 美人さんが私を見ている間、私も美人さんを見つめた。多分、どこが悪いのかと探しているんだろう。病室にいる限り、しかもべッドに寝ているとなると患者としか考えられない。
 確かに私は患者。
 それも、心臓に病を持つ患者。
 だから心臓の音を聞いて、安心するのだ。今、私はこの世にいる、と。まだお父さんやお母さんがいるあの世にはまだ行っていないと。別に死ぬのは怖くない。むしろそれが安らぎにも感じてくる。だけど、この世で楽しかったことを振り返らずに、この心臓を聞いてくることも、安らぎに感じるのだ。おかしいかしら?でもね、私に友達なんかいないの。ずっと独りで生きていた。孤独なんか感じたこともないわ。昔から独りで、誰かが近寄ってきても自分から壁を作って。
 だからこのときも同じだった。美人さんが私に何か言いたげだったけど、私はそれを黙殺していた。ただ見つめあうだけ。だけどこれはかなりの効果があることを知っていた。異性にはしないけど同性には効果あるのよね。すぐに目をそらすのよ。
 でも、美人さんは目をそらしてくれなかった。じっとこちらを見てくる。ふぅん、珍しいこともあるのねぇ。これじゃずっと見ても意味のないことだわ。そう思ってさっさと目をそらした。美人さんはあっけにとられたようで、はっと意識を呼び戻していた。
「姉貴、お袋の病室は?」
「あら、行く気になったの?」
 返事の代わりに美人さんはうなずいた。…いったいどういう心境なのかしら。私と見詰め合ったこととは関係がないのよね?
 本田さんと、その妹であるはずの美人さんは私の病室から出た。そのとき、普段の私ならそんなこと気にしないのに、私は美人さんの背中に釘付けだった。


 まるで何かに惹かれていくように。






 しばらく経って、美人さんは現れた。
「…何か用ですか?」
「いや、別に」
 なら来ないでよ。私は美人さんに用があるわけじゃないわよ。美人さんのお顔を拝見できるのは喜ばしいけど、死を待つことだけとなった私にはもうどうでもいいことだし。それよりも。
「私の顔に何か?」
「別に。みたくなっただけ」
 美人さんは私の顔をまたじっと見つめた。私って面白い顔していたかしら?でも美人さんが笑わないから面白いというわけでもなさそうね。…じゃあなんなのかしら?
 見つめてくる様が面白くて私も美人さんをじっと見た。するとすぐに美人さんは目をそらした。そして何もなかったように病室のあちこちを眺めた。
 怪しい。
 私は率直にそう思ったね。
 なんで目を合わせた瞬間目をそらすのよ。あからさまにおかしいじゃない。しかも病室なんか寂しいもんだから眺めたって面白いものなんて一つも出ないわよ。
 このとき、私は美人さんの頬がかすかに赤かったことに気づいていなかった。
 美人さんは何を決心したのか私に近づいてきた。その顔はやや緊張交じり。うーん、その顔はあまり好きじゃないわね。もっと余裕のある顔がいいと思うわ。
 そんな考えを頭に巡らせていると、美人さんの顔が間近で見れるほど近くなった。やばい。早めに注意しなければ。
「私はあなたのお母さんじゃないわ」
「わかってる」
「お袋、という人でもないのよ」
「そんな名前の人はいないだろ。いても俺の知り合いにはいねぇよ」
「私は本田さんじゃないわよ」
「姉貴と間違えるかよ」
「あ、鶏肉でもないわ」
「食べ物と人間、間違えるやつは最低だぞ。もちろん俺は最低じゃない」
「じゃあ何でこんなにも顔が近いのよ」
 美人さんはそのまま固まってまた私と目を合わせた。何、何?もう一回見つめあうの?第三回目見つめあい大会開始?今のところ一勝一敗だけど。決着をつけようという魂胆ね?
「負けないわよ、美人さん」
 にっこりと私は笑った。美人さんはびっくりして目を丸くしている。何よ、なんか文句でもあるわけ?
「俺は美人という名前じゃない」
「知ってる」
「じゃあ、美人ってなんなんだよ」
「そのままの意味よ。美人だから美人さん」
 本田さんも美人だからね。姉妹そろって美人とはなんともうらやましいわ。姉妹美人。いい響きね。
「俺は美人じゃない。名前で呼んでくれ」
 美人じゃない、ですって?美人じゃない私にしてみればそれは裏切りの言葉だわ。今すぐにでも首を絞めたい気分。でも決着をつけてからじゃないとね、私の気分は晴れないというものよ。第三回目見つめあい大会はまだ終わってないんだから。
「美人さんの名前なんか知らなくていいわ」
 あら。美人さんの顔が悲しそうな表情に。でも無視よ。
 だって私、美人さんの名前なんか知らなくてもいいし、知ってても残り二週間というこの命に何か変化を起こすの?もしそうだとしても、起こさなくてもいいわ。今が一番いい。何も穢れていない、今が一番幸せ。
 それなのに、美人さんは私に何故かかまおうとしていた。
「俺の名前は紺野 港(こんの みなと)。お前は水無月 夏穂(みなづき かほ)、だろ?」
「プレート、見たな…!」
 なんだよ、美人さん確信犯だっ!
 私は睨みつけてやったのに、美人さんはまたまじめな顔して私の顔を覗きこんだ。妙にさっきよりも距離が近い。同性だから何も感じないものの、これが異性だったらどうするんだ。私がもし男だとするとキスしちゃうぞ。だってこんなにも美人なんだもん。関係がないとはいえこんなにも近づいてきたら口に付けたくなるじゃない。これが人間の本能ってやつでしょ?
 って、だめだめ!相手は女!ついでに私も女!キスなんかしちゃったらレズになっちゃうじゃない!
 私は目をそらさずに少しだけ体を移動した。ちょっとだけ離れるために。だけど美人さんはそれを追いかけていくように同じ方向に移動した。ぐぬぬ…手ごわい…。
「そういえば美人さん」
「名前!」
「そういえば紺野さん」
「できれば下で呼んで欲しいんだが」
「どうして本田さんと苗字が違うんですか」
「無視かよ…」
 下で呼べだなんて冗談じゃないわよ。私たちは知り合って間もないの。んで私は友達になる気なんかないんだから名前呼び合うだけでも喜びなさいよね、まったく。
 美人さんは頭をぼりぼりとかいた。でも目はそらさない。やるときゃかなりの強豪ね、コイツ。
「姉貴は結婚して姓名が変わったんだよ」
 あ、そ。どうでもいいわ。私から聞いたけど、今思うとどうでもいいことね。
 それにしても美人さん、なかなか引かないわね…。こうなったら最終手段使っちゃうわよ。あ、その前に確認ね。
 私はレズじゃない。
 いいわね?じゃ、これからすること見守ってくださいな!!
 ばっと、首を動かした。目を開いたままで、本当に首だけを動かした。

 キス、したのだ。
 
口付けともいう。昔の人じゃ接吻とかいうそうね。英語だとキスのままなのかしら?あ、キッスとかいう場合もあるのよね。ややこしいわ。
 とりあえず、キスしたのよ。
 もちろん私と美人さんが。私から唇を奪いました。うふふ。
 でも相手は目をつぶってくれなかった。目を丸くしただけ。何よ、キスするときは目をつぶるってもんが礼儀でしょう?そりゃ、私も目をつぶらなかったけど。
 私が唇を離したら美人さんはにやっと笑った。
 …嫌ーな予感がした。
 案の定、美人さんは私の肩を掴んで顔を近づけてきた。
 え?!またキスするの?もういいわよ!それよりも美人さん、目を早くそらして頂戴よ!
 でも目をつぶらずにまた私たちはキスをした。今度は美人さんから。でもね、さっきのキスとはちょっと違うのよ。
 …は、激しい、です!
 びっくりして目をつぶってしまった。あー!一勝二敗!まけちゃったぁ!
 悔しさで美人さんの頭を叩いた。でも腕力のない私だからぜんぜん痛くないだろう。キーー!!
 まだキスは続いている。貪られるような、そんなキス。甘いともなんともいいがたい。一度目をつぶったが、そのあとはずっと目を開けていた。美人さんはずっと私の顔を覗いている。その顔が異様だと感じてしまって私はもう一度目をそらした。途端に、キスがさらに激しくなってきた。私は外国の映画のキスのようだな、と人事のように思っていた。
 でも息苦しくなって、正直にやばい、と思った。心臓が、苦しい…!
 抵抗を感じなくなったことに気づいたのか、美人さんはすんなりと離してくれた。
「れ…!」
「れ?」
 ギッと私は美人さんを睨んだ。


「なにすんのよ、レズ!」


 美人さんは気まずそうに咳払いをした。
「あー、ひとつ」
「何よ」
「俺はレズじゃない」
「なんでよ!じゃあ私がレズだというの?!私からキスを始めたからっていうから、レズっていうの?!」
「違う」
 むっなんなのよっこの美人さん!
 美人さんは私の手を捕まえて自分の胸へとやった。

…………。

……………………?!

えっ?!



  お、男?!



夏は、卑怯だ。
どうして私にこんな気持ちにさせるの。

最期が近づいてきているというのに。




↑夏模様番外編(?)あります。

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