14.真利亜


 夜の帳が下りて数時間が経った頃。
 真利亜は十数年ぶりに神名木学園の正門をくぐった。
 前もって学園に電話を入れておいたため、すぐに学園内を案内され、とある部屋に通された。
 数分もしないうちに、四十代の厳ついスーツ姿の男が現れた。右手に資料を抱えたまま左手で真利亜に座るよう指示し、自分は反対側のソファーに腰掛けた。

「お久しぶりです、後藤先生」
「当学園の一年、橘弥撒のお母さまで間違いないでしょうか」
「ええ」
 持ち出した資料をめくりながら、男はため息をついた。
「やはりあの子はあなたのお子さんでしたか」
「そう。あそこで過ごした日々を忘れないようにと、思い出をあの子の名前にしてみたの」
「だが、あれはあなたが疎んだものでもある」
「そうね」
 最初はアキを忘れたくなくてつけた名前が、今では弥撒を見るたびに過去に囚われる。
 逃げられないのだと、あのアキに似た瞳が言っているような気がして。
「正直、あの子を見たときあの日が甦ったかと思いましたよ。だが、姓が違っていた。やはり他人の空似なのかと」
「担任、いえ、今は学園長ね。あなたでもあの子の父が分からなかったかしら?」
「おそらく、橘とは……」
「察しの通り、橘 明人(たちばな あきと)よ」
「……っ! 貴女は!」
 彼は眼を見開いて反論しようとしたが、真利亜はそうはさせなかった。
「なあに? 私たちが関係を持ってたことに驚いているの?」
「貴女が『エデン』から抜け出したのは」
「あの子を守るためよ。あの時、私はアキの子を身ごもっていた。私がアキと関係を持っていたことがばれたら、間引かれてしまうから。アキとの子供を殺されたくなかったの」
「何故、今頃この学園に入学させたのです? しかもあの子は何も知らなかった」
「知らせる必要がないと思ったからよ。私からではなく、自分の目で真実を知ってもらいたかった。ただそれだけよ。それに、あそこはあの子にとって危険ではないでしょう。『聖歌』の名を持つ者においそれと歯向かう者はいないはずよ」
 そうでしょ? と真利亜は彼に微笑む。
 彼は肯定する代わりに、苦虫を噛んだような表情をした。
「そこまで計算していたんですか?」
「どうかしらね」
「貴女はいつもそうだった。あそこにいれば、良くも悪くも、貴女の将来も、あの子の未来も変えられたはずでしょう。少なくとも、私は間引かれるとは思いませんでしたがね」
 ふう、と彼は一息つき、並べられたコーヒーに口をつけた。
 彼は書類から目を離し、窓の外を見た。
 森の中に聳え立つ『エデン』の塔。かつて彼と真利亜が長い間囚われていた塔。

「今、あそこにはあの方が聖王となっておられる。貴女は言わなくても分かるでしょう」
「ええ。秋月柳でしょ。秋月家の次期後継者。彼が生まれた時、私も拝見させていただいたわ。まあ真珠のような、というよりどこにでもいそうな小さなお子様でしたけどね。今はどんなイケメンでいらっしゃるのか興味あるわ。ね、先生は彼をご覧になったことありまして?」
 昔とたがわず明るく振る舞う真利亜は、彼の知る娘の弥撒とは性格が似ないな、と思った。
 弥撒は、どちらかというと性格は父親似だろう。少なくとも何処ででも寝るというのは父親の特技と同じだ。
「弥撒は今頃『エデン』かしら? ごめんねぇ、生徒を一人減らしちゃって。でも問題児が減るってことはこの学園の風紀に関わると思うの。良かれと思って弥撒を応援していただけると嬉しいわ」
 確かにそれはその通りなのだが、生徒の気持ちを一心に思う彼としては真利亜の言動に呆れ果てていた。
 本当に、この人は変わらないのだと。
「貴女のその楽観視、羨ましいほどですよ。変わらないですね、貴女は」
「うふふっ。お褒めにあずかりますわ、先生」


 さて。弥撒が『エデン』に入っていったことは吉となるか、凶となるか。
 彼は、自分の生徒の安否を心配していた。




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