11.行方不明


「はいはーい、毎日恒例の点呼だぞぉー。はい、いっち、にぃ……」
 眠たそうな声が響き、クラスメートたちは疲れ切った表情で並び始める。先生によって点呼はまちまちだが、今日はまた一段とやる気のなさそうな先生が当たったもんだ。
 弥撒は絵里と最後尾に並び、先生が数えきるまで待っていた。
 そして点呼を終えると、絵里は素早く木の陰に隠れる。慌てて弥撒も隠れた。
「いった?」
「ああ、先生が鍵をかけている」
「掛け終るまで隠れてるわよ」
 のんびりと鼻歌を歌いながら、先生が去って行った。
「ふうー……これでひと段落ついたわね」
 絵里はため息をつきながら木にもたれかかる。
 掃除の時間、弥撒は絵里と話し合い、この森の奥まで探検することにしたのだ。そのために、誰にも悟られないように最後尾で待って、みんなが背を向けて帰っていくのを好機に隠れたのだ。
「だが、どうするんだ? 絵里はともかく、あたしはすぐにばれるぞ。委員長の仕事のうちは号令があるんだ」
「いないからって誰もが裏の森にいるんだとは考えないでしょ。点呼した時にはいたんだからきっと森から帰る時にいなくなったんだろうって考えるわよ、普通」
「それもそうだな」
 ううむ、さすが神名木学園の生徒だ。しかし頭もいいが、悪知恵も働くとなると困るもんだよな。
 弥撒はそんなことを考えながら絵里の後を付いて行った。




「しっかし、まだ昼なのにこの陰険さ……やるせないわよねぇ」
 覆い繁る草をよけながら絵里はつぶやく。
 入口付近ならまだしも、奥へと進むと木々が重なり合い、光が入りにくくなってきている。坂はないが、険しい山道を登っていると表現したほうが分かりやすいだろう。こういうところには動物も住まなくなるのだろうか。何の音もなくただ静かに二人は道とは呼べぬ道を歩いていた。
「ねー、弥撒―。全っ然『エデン』に近づかないんだけど」
「これぐらいで疲れるならむしろ行かないほうがいいぞ」
「つかれてないよ、ただ暇なだけだもん。あ、ねえねえ、森のくまさん歌おうよー。はいっ、あるーひー」
「……あるーひ」
 森の中―、と元気な絵里の声が響く。
 全く静かじゃなくなってきた、と弥撒が思ったその時、斜め前からガサガサっと大きな音がした。
 当然、それに気がつかない絵里ではない。弥撒よりもいかつい顔をして走り出す。
「誰っ?!」
 勢いよく足を振り上げ、音がした方向に蹴ろうとしたその瞬間――……
「そ、園生くんっ?」
 現れたのは弥撒と同じくらいの背丈の男だった。絵里が蹴り上げた右足を掴み、知り合いだと判断したのか、すぐその手を放した。
 弥撒はもちろん見覚えがあるはずもなく、しきりに絵里を見上げる。絵里の知っている人だったのだろうか。
「あ、弥撒その顔は『あいつ誰?』って顔でしょ」
「……」
 見破られていた。そんなにわかりやすい顔だったかな。
「園生 千草(そのう ちぐさ)くんよ。クラスメートでしょ」
「生憎だがクラスメートですら顔と名前を覚えないのがあたしの特技だ」
「それ特技って言わないから」
 そもそも寝ているだけの人生に見知らぬ人は腐るほどいる、と自負した弥撒だが、絵里に突っ込まれ黙っておくことにした。
「でも園生くん、行方不明だったのに」
 ああ、行方不明だったクラスメートか、と弥撒は合点がいった。道理で最近見ない顔だと思ったのだ。
「……二人はこんなところで何をしている」
「って、園生くん、その服何―? めっちゃかっこいー」
 園生という少年が眉をひそめて質問してきたというのに、絵里は園生少年の話を聞かなかった。
 どうやら弥撒だけではなく、人の話を聞かない性格らしい。
 園生が着ている服は金色の文様が入った白の上着に、フード付きの長くて黒いマントを羽織っている。どこかで見たことのある服だと思いきや、あの青という青年が着ていた服と酷似している。
 咄嗟に理解できた。
 園生少年は、すでにあちら側の人間。
 行方不明とは、つまりそういうことなのだろう。だとすれば絵里の姉もあちら側にいることがもはや決定事項となってしまった。
「ねえ、園生君。君はどうしてここにいるの? 入学してすぐに行方不明になってたから、みんな大騒ぎだったわよ」
「……こっちに行こう」
「待って、そっちは出口でしょ。私たちはまだ帰る気がないわよ」
「いいや、帰らなければならない。これ以上奥に進めば二度と学園には戻れなくなる。委員長は特に」
「は?」
「……園生君、弥撒はどうして駄目だというの?」
 園生少年の言葉に目を丸くした弥撒だったが、逆に絵里は眉をひそめていく。
 問い詰めようとしていたが、園生少年にはこれ以上話す気がないようだった。
「僕はこのままでもよかった。だから彼女には気づかれないし、完全に逃げる道を失くしてしまった。それでも僕は後悔していない。だけど、君たちはそういうわけにはいかないだろう。『水鳥』となるには死ぬ覚悟もしなくてはならないんだ。君たちに死ぬ覚悟があるかい? ……もしないなら、そういう興味本位で『エデン』に近づくのは止めておいたほうがいい。これは冗談ではなく、忠告だ」
 そう言って白い仮面を被り、さっさと去ろうとする園生少年を、弥撒が呼び止めた。
「待て! ひとつ聞きたいことがある」
「……」
「お前のその服。見覚えがある。お前は知っているかもしれないが、青というやつが着ていた。そしてもう一人、同じ黒い服だ」
「!」
 仮面の上でもわかるほど、園生少年は動揺した。
 やはり、弥撒の直感は外れていなかった。
「黒いやつを知っているな? そいつは誰だ」
「……『勇者』」
「『勇者』?」
「クラスメートのよしみとして忠告しておくが、あの方の詮索は止めておいたほうがいい。本当に死ぬぞ」
 そう言うと、今度は本当に去ってしまった。しかも去り際が木から木の枝へと移動している。忍者みたいだとつい見惚れてしまった。
 感動している弥撒をよそに、絵里は咄嗟に園生少年が去って行った方向へ走ろうとする。
「ほら、弥撒! なにボケっと突っ立ってんのよ!」
「え、え、え?」
「園生を追いかけるのよっ! またとない、いい機会だわ、これで『エデン』に近づける」
 絵里は目を光らせて言った。
「……あたしは、戻ったほうがいいと思うのだが」
「どうして?!」
「絵里にはあの少年が言った『死ぬ覚悟』があるのか? 少年だけではない。校長も、先日会った女も覚悟があるのかと問うた。……あたしには、そんな覚悟は、ない」
「ならば弥撒は学校に戻ればいいわ」
 きっぱりと絵里は言い放った。
 絵里は覚悟を決めているようだった。
「別に弥撒が引き返しても私は悪いようにはとらないわ。仕方ないわよ、父親のありかを求めるだけで死ぬ覚悟は難しいもの。私が弥撒だったら潜入しないで母親を問い詰めるわよ。でもね、弥撒は弥撒、私は私。私には弥撒の母のような人は身近にいなかったし、元気な姉に会いたいと思ったからここにいるんだもの。だから私は腹を括ったのよ。たとえ死ぬようなことがあっても、最後に姉に会えればそれでいいってね」
「……」
「弥撒には一緒に来てほしかったけど、ここからは私一人で行くわ。バイバイ、弥撒」
 そう言うと迷いなく絵里は走り出した。その背中を見て、思わず弥撒は足を踏み出した。
「弥撒!」
「……あたしも付いていく。一人よりも二人のほうが確実だ」
「でも覚悟は……」
「たった今決めた」
 絵里は苦笑して、嘘つき、と言った。
 直感だったが、絵里を一人にしておけないと思ったのだ。何かが起こる、とも。
 きっと、もう学園に戻れないだろう。
「絵里、約束してくれ」
「ん?」
「もし『勇者』に会った時は、あたしを置いて一人でエデンに向かうと」
「そんなこと……!」
 目を丸くした絵里は弥撒に向って怒鳴った。
「弥撒を捨てる真似なんてできないわ!」
「あたしは不良だった、喧嘩では負けない。大人の男にだって勝つ自信はあるんだ」
「……でも」
「『死ぬ覚悟』とはこのことだろう? 見捨てる覚悟も必要だとは思わないか?」
「……」
「絵里」
 絵里は唇を噛んで、しばらくの間無言でいたが、ようやく口を開いた。
 先ほどと一変して、沈んだ口調だった。
「……わかったわ。でもこれも約束して。『勇者』に捕まったとしてもなんとか逃げおおせて、必ず『エデン』で会う、と」
 その内容は無茶苦茶なものだったが、不思議と不可能ではないと思えた。
 だから、弥撒は笑って承諾した。




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