10.企み


 その日の放課後。先日と同じように門の前でクラスメイトたちと集っていると、白髪交じりの用務員らしき人物が現れた。おそらく、校長が言っていた40年共にした学友さんなのだろう。
「すみませんが、開けてくれませんか」
 用務員らしき人は、なんと森の中から現われたのである。上下ともジャージを着ていたが、中はきっちりとしたスーツが見えた。顔も用務員らしくなく、ジャージさえなければ執事のようにも見える。そんな人だった。
「あの人、あっちの人かしら」
 絵里が耳打ちをする。弥撒もそう感じたが、断定するには早すぎる。
「カマでもかけたらどうだ? 絵里はそういうの得意そうだ」
「そうねぇ……。すいませーん、あなたってこの森の中に住んでいるんですか?」
 直球である。カマでも何でもないではないか! と弥撒は憤慨しそうになるのをなんとか抑えた。
 一方、無事川までクラスメイトたちを案内させた用務員らしき人は、絵里の言葉に反応し、無表情で答えた。
「この奥に小屋がありますので」
 その小屋に住んでいますと、そう言っているのだろう。
 今度は弥撒が耳打ちした。
「どう思う?」
「『エデン』、かな。でもあんな古城を小屋とは普通言わないでしょ。ましてや用務員ごときが」
 酷い言い様である。
「またカマかけるか? 『エデン』に住んでいるのか」
「言ってみるだけ言ってみようか? すいません、じゃああなたは『エヴァディーン』に住んでいるのですか?」
 だからそれはカマじゃなくて直球だっつーの! という弥撒のツッコミは、用務員の驚きの表情に消された。やはり用務員はあちら側の人だったのだ。無表情だったその顔が、今や苦しげなものになっている。
「……何故」
「何で知っているかって? それは私もこの子も被害者だからよ。家族がそっちの人間になってしまったという風の噂を聞いてねぇ」
 絵里は被害者面というより、むしろ弱者をいたぶる表情になっている。カマかけるどころか腹探りの会話でもしているようだった。
「本当は私の姉や、この子の父親がいるのかを知りたいんだけど、どうやらそっち側の人間は多いみたいだからね。たかが一人間であるあなたが知っている訳ないだろうと思って。でも代わりに聞きたいわけよ、とりあえずあなたはそっちの人間で、なお且つ『エデン』に住んでいるのかどうか。今日はひとまずそこまでにするからさ」
 今日は、ということは明日からもその類のことは聞いておくから覚悟しておけよ、ということか。直球にも程がある。
「……」
 用務員は軽く絵里を睨み、そして弥撒を見た。だが、弥撒を見る目は、絵里を見るモノとは違っていた。どこか、遠くを見るような。
「私はあなたを知っている」
 ポツリ、と用務員が呟いた。
「あたし、を?」
 用務員は弥撒に向かってそう呟いたのだ。もちろん、弥撒にそんな覚えはない。誓って、用務員と会うのはこれが初めてである。
「どういう意味よ」
 絵里が食い下がってきたが、用務員はそのことにこれ以上言うつもりはないのだろう。掃除当番の担任の白鳥先生に何か話した後、すぐその場を離れようとした。慌てて絵里がその腕を掴む。
「ま、待ちなさいよ!」
「私はあちら側の人間だが、あそこには住んでいない。執念されるほど深く関わらなかったからだ」
 きっぱりと言い捨てて、用務員はさっさと森の奥へと引っ込んだ。
 残された絵里と弥撒は、引っかかりを持った顔で見合わせた。




「あの人、怪しいと言えば怪しい。けれど最後に言っていたことが本当なら、あの人は全てを知っているとは言えないってことになるわ」
「実際断定できないだろう。認めたけれど、否定もしたんだから」
「そうなのよね……」
 どうしたものか、と草をひきながら悩んだ。
 彼はあちら側の人間だと認めた。そうではないと否定しても、きっと絵里と弥撒は訝しげるだからだろう。だけど、『深く関わらなかった』ということは『知ろうとはしなかった』ということだ。ということは、絵里や弥撒が知ろうとしていることは答えられないということだろう。答えないのではなく、答えられないのだ。
 だが、もし少女二人が望む答えを彼が知っていたとしても教えてはくれないだろう、とも弥撒は思っていた。
『私はあなたを知っている』
 弥撒が彼を知るはずがないのに、どうして彼が弥撒を知ることができるのだろう。
 そして、弥撒にはもうひとつ妙な言葉に引っかかりを覚えている。
『執念されるほど』
 どうやら絵里は気にしていないようだが、弥撒は用務員らしき彼が言った言葉の中で、この言葉だけが恐ろしく感じたのだ。
 気のせいだろうか?
 だが、黙って見過ごそうにも、気味が悪すぎて放っておけない。
 執念される? 一体誰に?

 弥撒はふと先日の命を狙われているという女のことを思い出した。
 絵里はきっと『勇者』に狩られているだろうと言っていたけれど、まだ彼女は生きているに違いない。『勇者』は即座に殺すほど悪い奴じゃないと思う。弥撒にその理由は分からないが、ただなんとなく、漠然とそう思った。
「まだ生きているとしたら……『勇者』はあたしに似ているのかもな」
 絵里に聞こえないほどの小声で、ただ虚しく独り言が呟かれた。




 怜雄はただひたすらに階段を駆け上っていた。
 憎しみと、嫉妬と、自分に対する劣等感がいつになく溢れ出そうだった。
「俺は、俺はっ……!」
 何故両親は自分を生んだのか。その憎しみ。
 外に生きる神名木学園の生徒の笑顔。その嫉妬。
 『エデン』という世界における全てを把握する『聖王』と、ただ足掻くだけの『勇者』。その劣等感。
 人生は全て運なのだと、誰かが言っていた。ならば自分は相当に運が悪いのだろう。誰が望んで『勇者』になったのか。誰が望んで『エデン』の世界に入っただろう。
 他の誰でもない。
 『聖母』だ。
『殺せばいいじゃない。無用の女を放り出すなんて、汚らわしいことをしないで』
 果たして、女を殺すのと、放り出すのとでは、どちらが汚らわしいのか。
 だが、そこに自分の感情は入らない。決して。
『私の言うことは聞いた方がいいわよ?』

 『勇者』であるべき道は、全て『聖母』が決めてしまった。


 怜雄はとある扉に近づいた。『エデン』には珍しく無機質な扉には、南京錠が掛けられている。怜雄は持っていた鍵で音もなくそれを外した。
「……っ!!」
 部屋にいた女がそれに気付き、身構える。
 なんとも勇ましいことだ、と怜雄は思った。今までの女はただ泣くだけの煩い女だったのだが、この女はただ泣くだけでは足りぬらしい。
「私を、殺しに来たのね?」
 そして低い声で問うてきた。
「まさか青と親しいとは思わなかったわよ」
「青は俺の獅子だ。誰よりも俺に従う」
「そう。だから私は逃げたにもかかわらず、この部屋に連れ戻されたものね」
「青はお前を連れ戻す際、神名木学園の生徒が一緒にいたという」
 女の顔が変わった。
 憎悪から驚愕に、そして不安なものに。
「あの子は関係ない!」
「関係ある者ほどその台詞を吐く」
「なっ! ……まさか、あんたと同じような会話するとは思わなかったわよ」
 ちっと女は舌打ちをした。
「どういう意味だ」
「同じような台詞をあの子に言ったってことよ……それよりも、あの子は関係ないわ。『エデン』も何も知らなかったもの。ましてや『女殺しの勇者レオ』なんか知りも……」
「その名を言うな!」
 自分の汚い部分に触れられ、その衝動を抑えられずに女の首を絞めた。
 何も知らないくせして、その通り名を言われるのがとてつもなく嫌だった。その通り名を考えたのが『聖母』であるということにも起因している。
「うっ……!」
 自分の手首をきつく握りしめる女の手と、苦しげな声にハッと気がついて、絞めていた手を外した。
 嫌悪の言葉を吐かれて癇癪を起こすとは、なんと子供じみているのか。先日遊びにきた『聖王』の妹を子供だと罵り続けてきたが、これではあの少女を馬鹿にする資格もない。
「ちくしょう……!」
 まだ咳を繰り返す女を放って、怜雄は部屋の外に駆け出した。




inserted by FC2 system