08.同情意識仲間


「せ、青の裏切り者っ!」
 女は閉じ込められた部屋で罵る。
「馬鹿っ……青のあほー!」
 暗い部屋に一人きり。硬い格子で窓の外を窺えるものの、そこから入ってくる光は満足に部屋を照らす事がなかった。それでも女は闇を恐れ、光の照らす窓際へと身を寄せていた。
 部屋には飾り物はともかく、何もない。あるとすれば乱れたスーツと真新しいベッドと、自分ではない女の匂いだけ。
 女は舌打ちをし、悔しげに呟く。
「青が、まさかあの男と繋がっているなんて、なんて卑怯な!」
 女は後悔していた。
 あの男と関わってしまったこと。
 奥深く染み付いた今居るこの古城を知ろうとしてしまったこと。それゆえにあの男に目をつけられてしまったのだから、なんて運が悪いのだろう、と思う。それだけなら、まだいい。
 自分は、いつか殺されてしまう。
 明日かもしれないし、明後日かもしれない。殺されないなんてことは最早ないだろう。もしかしたら今この瞬間に殺されるのかもしれない。
「っ……!」
 そう思えてくると、身震いがした。殺されることに怯えない人がいるものか。今ここで奇声を上げたって、そうやって狂人と扱われたって、自分の運命は変わらない。
「やぁ……っ放して、ここから放して! 私が何したっていうの、私はここの人でもないのに」
 まるで違使に捕まってしまった水鳥のような。だけど、違使は水鳥を殺すことはない。勝手に死んでいくのは水鳥だ。
 だが、自分はどうだろう。
 女の匂いを纏ったスーツをかぶり、せめて目に見つからぬようにと更に丸めて身を隠す。途端、鍵のかけられたドアの向こう側から足音が聞こえ、いっそう身震いが大きくなる。
 そのドアが開くときは、死刑宣告だ。そう思った。
「み、ミサ……」
 両親よりも友達よりも、誰よりも頭に思い浮かんだのは昨日会った少女だった。ここを捜しているというミサ。どのような事情があって捜しているのかは見当つかないが、ただ事ではないのだろう、と昨日悟った。
 自分を助けてくれるのは、もうミサしかいない。
「助けて……!」
 どうか助けて欲しい。
 だけど、ここには来て欲しくない。ここへ来て、その身を犠牲にして欲しくない。
 心の中の矛盾に、女は躊躇する。
――そうよ、ミサはここに来ちゃ駄目なんだわ。ましてや、あの名前を名乗ってしまっては、もう逃げられなくなる。
 ミサ、は聖歌。キリスト教を信仰するここでは、象徴そのものだ。

 女はスーツから顔を出し、窓の外を見た。いつも見る風景、入学してからずっと傍にあった森の存在。大きすぎてその果てを見ることは適わない。いつだってそうだった。何かに失敗して落ち込んでいた時、その大きすぎる森を目にしてさらに惨めな気持ちになるのだ。

「……無事かしら」
 ミサは、元気だろうか。




「……なぁんだ、また女の人なんだ。たまには違う人を見たかったんだけど。怜雄兄ちゃんってよっぽど女好きなんだろうな」
 彼女は女のいる部屋を前にして呟いた。その様子は半ば、呆れている。
「もどろうっと」
 さっき来た道を逆戻りして、階段を駆け上がる。

 『エデン』と呼ばれる古城の中心には、本来あるはずの中庭はなく、大きな塔が建てられている。誰がその塔をデザインしたのか、彼女が知る由ないが、それでもいびつに建てられたその塔を気に入っていた。古城は単なる飾りだ。大きな行事があればその古城としての機能を果たすが、彼女にとっては普段使わないモノだと考えている。
 彼女が暮らしているのは塔。高いだけではなく、周りもかなりの大きさで一階にたくさんの部屋がとれる。それも、一人で寝るには寂しいほどの大きな部屋だ。その塔の階段を一段一段ステップを踏んでいるかのようにリズミカルに登っていき、五階のある部屋で彼女は足を止めた。
「怜雄兄ちゃーーーん!」
 彼女は扉の前で叫ぶ。前に一度、ノックもせずに部屋の中に入ると彼女の兄に怒られたので、それ以来声をかけてから入るようにしている。
 というのも、前に一回だけ、女と抱き合っている所を見てしまったのだ。
「……またお前か」
「おじゃまします!」
 小さななりをしている彼女にとって重く感じる扉に手をかけ、ずるずるととてもゆっくりとした動作で開けていく。
「今度は何用だ」
 中は怜雄と呼ばれる男だけではなく、怜雄が着ている服とは対照的な服を着ているもう一人の男の姿があった。
 青兄ちゃんだ、と彼女ははしゃいだ。
「あのね、お兄ちゃんから伝言」
「……どうせまた人を殺すのを止めろとか、そんなもんだろ」
「ちがうちがう、女を連れ込むのはやめとけ、だって。どうせ無意味だろっていってた!」
「うるせー」
 しっしっと虫を払うような動作に、彼女は涙ぐむ。
「同じ青い目を持つもの仲間にそんな態度は気に入らない……」
「知るか。大体お前の目は半分だけ青いだろうが、それ以外は黒だろ。俺と一緒じゃねえくせに」
「おーなーじーなーのー!」
「うるせえって」
「うわぁん! 怜雄兄ちゃんが僕をいじめるぅ!」
「なんでそーなんだよ」
 あーだこーだとやり取りする二人の後ろで青という名の男は苦笑する。この二人はいつも喧嘩をするな、と。
 それを牽制するためにも、彼にしては珍しく積極的に話に割り込んだ。
「怜雄、やはりあの女も殺してしまうのか」
「無論、いうまでもない」
「どうして殺しちゃうの? あの人、泣いてたよ。多分」
「知るか」
 つっけんどんに言い放し、顔を逸らした。
「此処の事情を知ったからには口封じをしておくのが一番良い。そこで『聖母』が殺してしまうのが良いと言ったんだ。幸い此処は警察の手の届かない場所だからな、殺すのが手っ取り早かった」
 もっともな話だ、と青は納得する。此処の世界では別に、珍しくもない。誰かが殺され、そのための葬式も行わない、そうやって義務付けられた虚仮の世界なのだ。その世界に入ったからには自分の力が試される。自分の地位が高ければ高いほどその命は狙われやすい、まさに中世の時代に逆戻りした場所なのだ。
 そこで年端もいかぬ彼女はさらに顔をしかめ、声を低くする。
「……あの女の言うことを聞くの、怜雄兄ちゃん」
「『聖王』の次に権威のある方だぞ」
「それでもお兄ちゃんが一番偉い人なんでしょ? なんで怜雄兄ちゃんはあの嫌な女の言う事を聞くのさ」
「命令でなければ俺の思った通りに進むのがモットーなんだ」
「理不尽」
「……いや、道理は外れていないと思うが」
 ますます機嫌を悪くした彼女をなだめるために、青は懐から飴を取りだし、彼女の口に放った。無口ながらも彼女はその飴を舐め、青はそんな彼女を観察した。
 目の前にいる彼女と『聖母』はいつも折り合いが悪い。彼女にとって最大の脅威は『聖母』なのだろうと思う。どこへ行っても邪魔をしてくる『聖母』に、心の広そうな子供の彼女でもさすがに嫌気が差すのだろう。
 だが、『聖母』からしてみれば特殊な地位にいる彼女のことを疎んでいる。青はどちらかといえば、彼女よりもそれなりの権限を持つためにも色々なことをやっている『聖母』の気苦労が分かる。要するに今の時代でも一緒だ。自分の地位を上げるために他人の失墜を狙ったり、上のお偉いさんに媚びたりする。『聖母』はまさにそれに似たようなことをしているのだ。
 二人とも『聖王』の関係者であり、離れられないことを理由に揉め事を色々起こす。周りにいる者にとってははた迷惑な話である。尤も一番苦労しているのは『聖王』だろうが。

「僕はね、お兄ちゃんのそばにいればいいの」
 ブラコン、という言葉は喉の奥に留めておく。
「だって僕にはお兄ちゃんがいなければ何もない。今の地位だって、お兄ちゃんの賜物なんだもん。じゃなきゃ此処にはいないよ」
 本来なら、此処にいる筈のない彼女。少なくとも十六歳は満たしていないと入れない場所だ。そんなところに何故十五歳も満たない彼女が入ったのか、最初は疑問に思っていたところだ。
「僕のお姉ちゃんがいるって聞いたから来ただけなのに、なんだか恨み買わされちゃった」
「大変だな」
「怜雄兄ちゃんこそ。かなり表に出てるのに罰なしでさ。いいよね、『勇者』は」
「……」
「此処の者でさえ知らないことを、外の者が知っていると思うの? 僕はお兄ちゃんの言うとおり、無駄だと思うよ。だからこそあのむかつく女は怜雄兄ちゃんを見放しているのに」
「それがさらに怒りを買うことも、承知している」
「もう逃げられないんだよ、僕も怜雄兄ちゃんも青兄ちゃんも部屋にいたあの人も。『聖母』が逃がしてくれない。嫌いであるはずの僕でさえここにいるんだもん」
 深めにかぶっていた帽子の飾りを揺らし、彼女は顔を上げて怜雄を睨んだ。その表情は苦しみとか、そういうものはなく、ただ諦めだけがあった。怜雄と同じ、否、半分だけ似ている青い目を曇らせて、彼女は帽子を掴んでさらに深く押し込む。その下に隠れる金の髪こそ、『聖母』が彼女を疎む理由のひとつだ。
 青は二人に気が付かれないように深くため息を漏らした。

――革命が起きない限り、此処は変わらず時を刻んでしまう。

 その厳しい事実だけを、小さな彼女は怜雄に告げたのだ。




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