07.青色風景


 青、青、青―――……。
 大気とは思えない藍色に近い青。
 朝は日光を浴びて白が混じり、昼は灰色に、夜は暗い黒が混ざる。
 高い場所から見下ろせば下は長く続く森。緑のその向こうにはまた深い青。
 青、青、青―――……。
 厳かな青。広大な青。
 手を伸ばしても触れる事の出来ない私が、こんなにも儚く、弱くて小さい。
 ブルー、お願い。
 私を運んでいって。
 青のそのまた向こうまで、私を連れていって。
 ブルー。
 ブルー……。
 帰ってきて。
 私を連れ戻しに、帰ってきて。
 お願いよ、ブルー。

 お嬢ちゃん。
 君はどこからやってきたんだい?
 私は空からやってきたの。
 青い青い空から降ってきたの。
 お嬢ちゃん。
 君は道がわかるのかい?
 迷子になったのなら一緒に連れていってあげよう。
 おじさん。
 私、帰り道がわからないの。
 空からやってきたお嬢ちゃん。
 今来た道を戻るといい。
 きっと空に戻れるさ。
 無理なの、おじさん。
 空が青くない今はダメなのよ。
 青くないとダメなの。
 空はいつでも青いさ。
 日が暮れれば赤くなる。
 その前に帰らないと青は消えてしまうだろうね。
 でも良く見てごらん。
 空は青いだろう?
 もっと。
 もっとよ。
 もっと青くなきゃ、きっと私は帰れない。
 どうしてそこまで青にこだわるんだい?
 私はもっと青い空から生まれてきたの。
 もっと青い空じゃなきゃ、そこは私の家じゃないの。
 帰りたい。
 帰りたいよ、ブルー。

 青。
 広くて大きい、深い青。
 でも私は掴む事が出来ない。
 踏む事も出来ない。
 ブルー。
 私の愛しのブルー。
 空を写す海。
 海の青さなら私は青に戻れるのだろうか。
 だけど海は黒すぎた。
 青の下は見えない闇の中。
 ブルー。
 やっぱり私はあなたじゃなきゃダメなの。
 助けて。
 助けて、ブルー。
 皆が私を閉じ込める。
 ここにいられない。
 あなたの元に戻りたい。
 帰りたい。
 助けて、たすけて……!
 ブルー……!

 耳鳴りがするわ。
 不安定な私の足が、膝が嗤う。
 がくがくがく。
 うふふふふ。
 震えておびえる音でさえ、私は楽しく聞こえた。
 私は壊れてしまう。
 いや、もう壊れてしまったのだ。
 子供が生まれても、無感動でいられた。
 ブルーとの間でできた子供なのに。
 私は壊れてしまって自分が可笑しく感じた。
 もうブルーとは会えないのに。
 その子供に思い出のあの名前をつけた。
 ブルーに見てもらえないのに。
 私はそれまで大事に子供を育てた。
 ブルーは既に死んでしまったのに。
 子供はブルーに似なかった。
 成長しても寝ることしか興味がなかった子供。
 性格と見た目が私に似てしまってブルーに似なかった。
 だけど鋭い目だけが似ていた。
 私が嘘を付けばそれを見咎めるような目。
 あぁ、ブルー。
 私はあなただけを追い求めている。
 子供にあなたを捜させている。
 途端に私が立っている地面がぽっかりと空く。
 そして私は地面の下へと吸い込まれる。
 地獄へと落ちてしまう。
 あぁ、ブルー。
 離れてしまう。
 どんどんと。
 ぐんぐんと。
 私に羽があれば、ブルーのもとへ今すぐにでも飛んでいけるのに。
 あなたのような、丈夫に作られた羽さえあれば。
 私は青に包まれてしまえるのに。
 でもブルー。
 あなたは青に包まれすぎて死んでしまった。
 ブルー。
 私はそんなあなたの二の舞にはならない。
 ブルー。
 愛しのブルー。
 私だけを愛してくれたブルー。
 ……さようなら、ブルー。




「…………」
 どす黒い何かに包まれた感触がして、真利亜は目を覚ました。
 全身汗だくになって、頭はぼんやりとする。慌てて見回した辺りがまだ暗いことに安心して、しばらく布団の中で目をつぶった。瞼の裏には鮮明な夢がまた流れてきて、真利亜は深いため息を漏らした。
「……嫌な夢」
 まさに自分の苦い記憶だけを詰められた夢だった。あの夢が全ての真実ではなかったし、だいたいブルーという人は何処にもいないのだ。ブルーは自分が勝手に作り上げた憧れの人。それがいつの間にかブルーに似た人と重ねてしまって、途中から現実と同じように夢も物語を作っていった。夢の中では自分とブルーが親しくして描かれていたが、現実のブルーと重ねてしまったあの人とはそう会話をしたことはない。もちろんブルーと呼んでいた自分は夢の中だけの自分であり、それを本人に言ったこともない。

 ブルーは青。
 青い空に死んでしまった英雄。
 誰かがその英雄を馬鹿にするけれど、自分の中では素敵な人だった。
 伝説として残されたブルーは歌にもなって、その歌では勇者として語られている。
 その英雄がいつしか自分の中で息づいて、夢に出てくるようになった。小学校の低学年ごろだ。自分がいつしか大人になって現実をみるようになっても、夢は膨らむばかり。ブルーは自分の中で大きな存在となってしまったのだ。
 そして神名木学園の入学。
 ブルーと同じ称号をつけられた青年に出会い、夢の中のブルーは消えてしまった。
 淋しい、と思った。
 だけれど、嬉しい、とも。
 夢ではなく、現実のブルーに出会えた嬉しさの方が自分の中では淋しさよりも勝っていた。
 もう夢のブルーは現れないのだと思っていた。
 それなのに、学園を脱出してから今のような生活が始まった途端、夢のブルーは現実のあの人と混同したかたちで現れた。

「お母さん?」
 語尾にちゃっかりと疑問符をつけて自分を呼ぶ声が聞こえた。どうやら自分は朝になったことに気が付かなかったようだ。窓からわずかに差す太陽の光が今更ながらにまぶしいと感じ、カーテンを全開にする。普段なら早起きするはずの母親がいないことに怪しいと思ったのか、娘の弥撒が下の階の台所から大丈夫なのかと叫ぶ。珍しいことに、弥撒は早く起きたらしい。そして自分も珍しいことに普段より遅起きしている。
 原因といえばあの夢なのだが、最近は見なくなったあの夢を見たのは弥撒のせいでもある。弥撒が昨日潜入した学園の森で黒い影を見た、というものだからつい想像してしまったのだ。黒い影。すなわち、黒い格好をした人間なのだろう。森の中、強いて言うならエデンの中では黒い服を着ているのは勇者だけだ。
――今のブルーは誰なんだろうか。
 ふと、そんなことまで考えてしまう。もうブルーとは関わりがなくなったと思ったのに、未だ自分は縁を切れないでいるようだった。忘れることなど出来ない。あそこで見たブルーは、愛していた人なのだから。

 そんなブルー。
 自分は今でもブルーを、アキを愛している。




inserted by FC2 system