06.獅子の出番


「椿様」
「いいわ、放っておきなさい」
 何気なく樹海のような森に目をやった時、窓から見えた黒い影に椿は微笑む。
 黒い影は何かに夢中になって、そこから目を離さない。その行為は黒い影にとっては必死で、それでも傍観する者の椿にとっては、それがまるで子供のように見えた。
――大きな子供ね、わたくしよりも背が大きいのに。
 無駄だと分かっているのに繰り返すあの黒い影の行為は、いつ見ても飽きない。女に言い寄られて近づき、その意味を悟った女は逃げていく。黒い影、もとい『勇者』と呼ばれる男は逃げた女を見逃さぬまいと、『獅子』を使って追いかける。それを遠くから眺める事が、いつしか椿の余興となった。
「また振られるだけよ、『エデン』はそう情報を漏らさないわ。それに『勇者』が知っている情報も少ないもの。決してここから逃げられない」
「………」
「もう少し眺めましょうか。あの男が慌てる様子もなかなか面白いの」
 椿を相手した白いドレスを身に付けた女は、森に軽く一瞥してもとの職場に戻ろうとした。しかし、背を向けたところで椿がまた声をかけてくる。
「まさか、白羽(しらは)まで」
「……私が何か?」
「白羽まで『勇者』の女になってしまった、とか言うわけじゃないでしょうね?」
「ありえません。『勇者』様は無為に女の人に手を出さないのです」
「そう、そうだったわ。『勇者』は臆病者だったのよ。白羽に手をかけることまでは、しないのでしょう」 
 白羽と呼ばれた女は少し俯き、頷く。
「『勇者』の召使いでも、少しは行儀をまきわえているようね。安心したわ」
「……失礼します」
「用があればまた呼びます。常に暇をあけて置くように」
「畏まりました」
 そして椿の部屋を出て、白羽はため息をついた。

――可哀想、とは思えない。白羽にも事情があってその身をさらしているのだし、それに椿に笑われるような行為をする本人が悪いのだ。
 自業自得だ、と白羽は毒づく。それでも。
「怜雄(れお)様、もう少し控えめに動かなきゃ、いつか罰が下るわ……」
 自分と同じ目にあった怜雄という男は、姿形から『勇者』という称号を与えられた。それは白羽の身分に比べると随分と優遇されているはずだ。だが、その『勇者』という地位を、怜雄は望んでいなかった。『勇者』という名の称号はただの見せ掛けであり、実際は確実に逃げ出さないための『捕縛』だったのだ。
 しかし、たとえ周りから決められた地位だとしても、勝手に動いていいはずがない。否、決められた地位だからこそ、自分勝手に動き回ってはいけないのだろう。もし『勇者』が今している行為を白羽がすれば、確実に罰が下っている。

 白羽は廊下に出て、椿の部屋から見えた森を大きな窓からもう一度良く見る。白羽は椿のように目が良くないので、『勇者』に目をかけることはなかった。否、もしかしたら椿の部屋からしか見えない角度だったのかもしれない。だが、白羽にとって今はどうでもいいことだ。
 先ほどの椿の部屋から見えた森は異質だった。いつもと変わりが無いように見えて、しかし中身は何かに侵入されたような気がしたのだ。今までにはない森の様子に白羽は少し躊躇う。
 果たして異質な何かを椿は感じ取ったのだろうか。
 そして『勇者』はそれをどう思うのか。
――私には関係がない。たとえ『エデン』がつぶれようとも、私はあの子だけが助かればいいのだから……。
 だが、目を逸らそうとすれば『エデン』の行く末が気になって仕方がない。『エデン』はただ悠然とそこにいるだけなのに、倒れるはずがないのに、崩れてしまいそうな気がしてならないのだ。

――まさか、……本当に『エデン』に革命が起こるわけじゃないわよね…?

 もし、そうなら。
 私はあの子のために、ここから逃げなければならない。




 ふと、黒い影が横切ったような気がして、弥撒はその場所を見る。横切る、と大げさに感じ取ったが、弥撒が勝手にそう思っただけで本当は黒いものがちらっと見えただけだった。本当に真っ黒にしか見えない。だがその見えた先には、こちらの方をじっと見つめ、冷ややかな笑みを浮かべている人間の姿があった。弥撒の目では遠くの方まで見えないが、その男の姿が鮮明にうつって見える。
「気味悪いな……」
 その男は弥撒の方角を向いているのは確かなのだが、見ているのは弥撒ではない。ひときわ周りよりも高い木の枝に苦もせず立ち、何かを見定めている。もし弥撒の姿が見えても眼中にないだろう。男はあるものに集中して、それでも冷酷な表情を浮かべている様は、悪魔を思わせた。獲物を逃がさないように、瞬きもせず見つめ続ける――……。
 弥撒は身震いをした。どうしてこんな怪しい森でライオンもどきを見かけなければならないのだ、と自答するがその答えが分かるわけでもなく、やっと男から目を逸らす。
「この休みの日にこの森に侵入するのはあたしだけじゃないとはな……」
 だから神隠しだとか、嫌な噂ばかり流れるのだ。
「あの男も実は行方不明になっていた生徒です、なんていったら笑えるな」
――……笑えるわけがないが。
 明らかにふざけているとしか言いようがないではないか。遊びに興じてここにきているのなら、早く戻るように言わなければこの学園の名が落ちるばかりだ。あんな生徒ばかりで困る。
 自分もその生徒のうちの一人なのだが、それは放っておくことにして、弥撒も木の上に上ろうとした。木の上だと見晴らしがいいはずだ。もしかしたら古城が見えるかもしれない、そう思って木に触れたのだが――……

 触れる前に弥撒は横に吹っ飛んだ。
「―――…?! ……った…」
「はぁっはぁっ、…え………?」
 茂みから出てきた髪の長い女は、ぎょっとした顔をして弥撒に近づく。
「ご、ごめんね?! 大丈夫っ……じゃないわよね、派手に飛ばしちゃったから…」
 ついさっきまで走ってきたのだろう。ぜいぜいと息を切らしながらありがたいことに弥撒を起こそうとした。
「大丈夫だろう。たった数メートル吹き飛んだだけのこと」
「たった?! ………大丈夫、と思って構わないわけね?」
「あぁ」
 弥撒も自分の体が突然吹き飛んだことに多少驚いたものの、それだけだ。派手だったのは確かだが、見た目ほどダメージはない。おそらく下の落ち葉はクッションになってくれたおかげで、たいした打ち身もなくて済んだのだろう。もし、真利亜から攻撃を受ければ今頃頭から血が出ているに違いない。
「でも傷つけちゃった。ホントにごめんね?」
「構わん」
 どうせこれらの傷は今まで森を歩いて出来た傷なのだ。目の前で悲しそうな表情をする女が心配することはない。流血よりかは幾分ましだ。
 弥撒は女の手を借りながら自分の体を起こし、服に付いた汚れを払う。その最中ずっと女は申し訳なさそうな顔をしていた。
「本っ当にごめん!」
「気にするな……」
 逆にそうたくさん謝れるとこちらが申し訳なくなってくる。
「あたしがあそこに突っ立っていたのがいけないんだ……すまん」
「君が謝ることなんてないのよ! ……この詫びは『外』に出たら何でもするから! あ、でも君が『水鳥』だったら、なんだけど……言っておくけど、『違使(いし)』じゃないからね、あたし。っても、本物の『違使』も自分のこと『違使』じゃないって言うか……なんていったら信じるかしら?」
「水鳥? 違使?」
「あら、違うの? じゃあ『エデン』の人じゃないんだ。それならいっそう安心しちゃう」
 と、女は笑う。
 校長と母、その次にこの女と来た。『水鳥』という言葉には重要な意味があるらしい。そしてこの女は新たに『違使』と言い出す。それがどのような人を表すのかは分からないが、この女が安心するということはあまりいい人たちではないようだ。
「ね、名前、なんていうの?」
「橘弥撒。一年生だ」
「弥撒、……」
 女は口ごもる。それまで明るかった声は何処へ行ったのか、表情が翳り、弥撒を伺うように見てくる。
「ミサ……って聖歌の名前だわ。…ねぇ、本当に『エデン』の人じゃない?」
「自分の名前の由来が聖歌の名だとは知らぬし、『エデン』とは何なのか見当付かん」
「……本当に?」
「本当だ」
 じゃあ、と女が身を乗り込む。
「『エデン』って何だと思う?」
「楽園か? なら私はそこでぐっすりと眠ることを希望するが」
「……本当に知らないみたいね」
 あなたらしいわ。
 会ったばかりなのに女はそういって、ため息をつく。そんなにも分かりやすい性格をしているのだろうか、自分は。
「『エデン』とは、『エヴァディーン』のこと。皆言いやすく略しているだけなの」
「『エヴァディーン』?」
「今は見えないけれど、あそこにある大きな古城よ。形が変てこだから、古城って言っていいのかよくわからないけれど」
 まただ。この女までもが形の分からない古城と言っている。一体どんな形をしているのか、凄く興味がそそられた。
「悪いが」
 女が古城について知っていると見た弥撒は、一言断りを入れる。
「あたしはその古城とやらに用があるんだが、その古城までの道のりが分からない」
「君、どういう人?」
 逆に聞き返された。
 怪訝そうに弥撒を見て、少し警戒されたようだ。弥撒は慌てて否定する。
「あたしは怪しいものじゃない」
「怪しい者が発する第一声の第一位はそれなのよ、知ってた?」
「……そうか、これから善処する」
「私に怪しいと思われたことを直そうとはしないわけ…?」
 あ、そうか。そうだな。
 女に忠告(?)を出され、弥撒は気付く。そんな弥撒に女は首を横に振ってため息をついた。完全に呆れているのが分かる。
「やっぱ君『エデン』の人じゃないよ、神経がピリピリしてないもん」
 安心しきった顔で女は笑った。でも、と人差し指を唇にあてる。
「『エデン』には干渉しないほうがいいわ。あれに関わると碌な事がないもの。実は私も今碌なことじゃないものにぶち当たって逃げている最中なんだけど」
 こんな所で話をしていいのか、と困惑しながらも弥撒が言うと、何とか逃げ果せたでしょ、と女は後ろをちらちらと振り返りながら苦笑した。
「碌なことじゃない?」
「普通に生きられないってこと。君、知ってる? この森はねぇ、神名木学園の裏森と知られているけれど、本当は裏の学園なの。まさにその学園が『エヴァディーン』なのよ。『エデン』は、普通じゃない人が棲む、悪く言えば刑務所のような所なの」
「知らん……。ただあたしが知っているのは母親と父親が『エデン』にいて、そこで二人が出会ったということだけだ。そこであたしは死んだ父親の在りかを捜しているところなんだ」
 昨日の夜、真利亜は一応そこまでは教えてくれた。そして、真利亜がそこの古城『エデン』を去ってから、どうなっているのか確認して欲しいといわれたのだ。きっと真利亜は父親の事が心配なのだろう、と思う。死んだということだけ知らされ、死因などは教えてくれなかったらしい。
 弥撒が考えに没頭し始めたが、女は驚きを隠せなかったようだ。
「君のお母さん、『水鳥』だったんだ? ………へぇ、無事に逃げ出せたけれど父親は捕まったってところかしら?」
「先ほどからの『水鳥』と『違使』の意味を教えてくれるとありがたいんだが……」
「……だめよ、これを知ってしまうともう後に引けない。情報を求める『勇者』に狩られてしまうの。君、ミサだったっけ? ミサはそんなこと私がさせないわよ。たとえ父親の在りかが知りたくても、上辺だけ触れていればいいの。奥に潜むものまで見つけてしまうと、……ここから出られなくなる。まぁ、『エデン』のことをちょっと喋ってしまった私がいけないんだけれど。まさに私が今そんな感じだからさ、あまりいい思いはしないよ」
「覚悟している。だから知りたいんだ」
「………今の私の現状知っている?」
 口を噤む女は、弥撒にそう聞いた。女はただ逃げているしか見えない。何かに追われているだろう、とそれだけは分かった。
「今ね、命を狙われているの。気付くのが早くて助かったわ、でなかったら、私今頃血塗れているだろうなぁ」
 手をぷらぷらと振って、まるで冗談を言うようだった。
「だったら尚更喋っている暇はないんじゃ……」
「うん、まぁそうね。あ、良かったら私と一緒に門まで付いていってくれるかしら? 君、迷子だろうから」
「……っ、わかるのか?」
「ここ何もないのよ。川も山道も古城も反対側にあるし。それにたいていの人ってここに迷い込んでくるのよね」
 当たり前のように女は言うが、弥撒は恥ずかしくてたまらない。こんな年になっても迷子でいるというのが可笑しいと頭で認識されているのだから、穴に入りたくて地面の方をじっと見つめた。そんなこと、もちろん女が知る由もなく、弥撒の腕を掴む。




 数分たった頃だろうか、人の歩いた跡がたくさんある場所に出たというところで1人の男がぬっと出てきた。
「青! やっぱりいた!」
 女は男と知り合いのようらしく、当たり前のように男に抱きつく。弥撒は見てはいけないような気がして目を逸らしたが、逆にそれが男の癪に障ったらしく、声をかけられた。何故話しかけてくるのだ、この馬鹿もん。
「おい」
「いや、あたしは関係ない……。あたしはここで別れるから後は二人でゆっくりと」
「やだぁ、ミサったら。私と青はそんな仲じゃないわよ。昔は付き合っていたけど今は違う人と付き合っているし。あー、でもさっき別れたんだっけ。私のほうからフってやったんだわ」
「フっ……?!」
 フられた男も可哀想に。美人と付き合うことはいいが、フられるとなると寂しいだろうなぁ、としみじみと思う。
 恋愛に免疫がない弥撒は考えをそこに集中するようにした。興味がないとはいえ、堂々と人前でそんなことを話されては居心地が悪くなるからだ。
 まだ掴んでいる弥撒の腕を外した女は弥撒に笑いかけた。
「じゃ、出口はそのまままっすぐだから、今度は迷子にならないようにね」
「お前はどうするんだ?」
「まっ……! 先輩にお前呼ばわり?! まぁいいわ、ミサだから許しちゃう」
 ありがたい。この性格でいて随分と得した。
「私は青とちょっとばかし話があるの。ね、青。そうでしょう? 私に話があってわざわざ外に出たんでしょ?」
「……あぁ」
 男は無言で頷いてからそう呟く。そして女の背中を押して、弥撒が歩む方向とは逆に女を促した。まるで紳士のようだ。上品な振る舞いをする男と美人な出で立ちをする女。絵になるな、と訝しげに弥撒がじっと見ていると、あることに気付く。
 女の制服は弥撒と同じ神名木学園共通のセーラー服なのだが、男はどこのものなのか分からない制服をしている。制服と呼んでいいのかもわからない。ピンと来る表現は西洋の騎士のような真っ白い服だ。もちろん腰に剣があるわけでもないが、そこに立っているだけでも日本離れしている。
 コスプレしているのかと思ったが、そうでもない。木の上に登っていたあの真っ黒の男もこのような出で立ちをしていたからだ。色が違うだけで、大体形はあっていると思う。
 弥撒はその服を見て、この男は『エデン』という古城に関係がある、と悟った。『エデン』が、女が言っていた学園なのならばその生徒なのではないだろうか。それならば木の上にいた可笑しなあの男もそうだろう。色だけが違うのが不思議に思うが、疑問ばかりでキリがない。

 女と男と別れて、弥撒は迷った。
 ――この二人についていって盗み聞きするべきか。どんなに上手に隠れたとしても男にばれる可能性は高いが、それでもひとつくらいは情報を手に入れられるだろう。
 だが、もう日が傾いている。母親の「夕方までには戻ること」という忠告を思い出し、弥撒は仕方なく森から出ることにした。

 このあと、あの女がどうなったのか、弥撒が知ることはない。




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