03.気ままな先生たち


「あー、点呼をとる。神隠しにあったやつはいないだろーなー?」

 清掃の終わりを告げる音楽が流れ、ほっ、とだれかが安心したようにため息をついたと思うと、担任の白鳥先生が門付近に現れて手を振ってやってきた。
 教師は受け持つ自分のクラスの清掃を見張る事が主な仕事なのだが、教師の中で順番が回っているのか、たまに掃除当番にあたる日もあるらしい。今日は、不幸にも白鳥先生が掃除当番だったようだ。

 箒を手に持ったまま点呼を取ろうとする教師に対し、弥撒は素っ気無く言い返す。
「皆まとまって落ち葉拾いしたから、おそらくいないはずだ」
「落ち葉拾い? 確か、校長から聞いた話では川付近の草引きだったぞ? ……ってなんだ、その『うわぁ』って顔は」
 隣の女子生徒、藍沢絵里を見てみると、確かに。いかにも『うわぁ、なんてことを言いやがるこのオッサン』という顔をしている。藍沢はクラスでも影の濃い人物なので、一番に名前を覚えたクラスメイトだ。影の濃い、と言うよりもやけに弥撒に構ってくるといったほうがいいだろうか。
 白鳥先生は頭をかいて弥撒に事情を求めてきた。まぁわからなくて当然だろうな。
「校長から渡された地図がいびつで参考にならなかっただけだ」
 ご丁寧に説明すると、「あぁ」と先生は納得したような顔をして、にやっと笑う。
「校長、字が下手だからな。書類などはいつも教頭に書かせているらしいぞ。……ったく、橘がそれに早く気が付けばいいものを」
「あたしの所為か」
「普通はそこで否定するもんだぞ」
「あたしに普通を求めんといてくれ」
 そうよ、委員長は普通じゃないのよと、数人の女子生徒が賛成してくれる。
「だって、これでもかっていうほどよく寝るじゃない、休み時間も授業中でも。だけど、クールだし成績も運動神経も抜群。もう女の子の憧れの的なのよ!」
 そういわれると有難いのだが、『よく寝る子』だけで普通でないと同意されると空しいような気もしてくる。

――普通じゃない、ね。

 ため息をついて、森を眺める。この森も普通じゃないのだから、自分は森と同じようなものかと考えてしまう――っと、人でない森と比較してしまうのは異常だな…。

「で」
 頭にあった思考を追い払って弥撒は静かに問う。
「校長に会いたいんだが」
「い、委員長、本当に、言うつもりなんですか?」
「言わずしてどう掃除せよという?」
 後ろの方からざわざわとクラスメイトたちがざわつく。意味の分からなさそうにしている先生は首かしげ、「一体なんだ?校長に何か用か?」と聞いてきた。確かに用だけれども。
「白鳥先生、これにはふっかーーい事情がありまして」
 藍沢とその周りの女子生徒がニヤニヤと語りだした。嫌な予感らしきものがしたので一応歯止めはしておこうか。
「苦情は言わんぞ」
「え、そうなの?」
「まだ居眠りに支障はないからな」

 しーん。

「なんだ。皆静かになって」
「いや、橘……」
 先生は弥撒の肩をぽんぽんと叩く。その表情は少し引きつっているようにも見え、弥撒は疑問符を出した。
「お前、授業はいつも寝て……」
「当たり前だろう」
「先生だけかと思って、何か反抗しているのかと考……」
「そんな面倒なことはしない」
「…………そうか」
 すう、と息を吐いて先生は泣きそうな顔をする。一部始終を見ていた周りのクラスメイトは笑いがこらえきれないようで、クックッと鳩の集団のようになっている。餌を向こうにやれば煩いのは消えるのだろうかと弥撒が考えていたときに、先生は女子生徒のおでこにピンッとはじいた。いわゆるデコピンだ。
「校長を捜すなら先ずは校長室に行くって常識だろ」

 そして、先生にぶっきらぼうに言われた弥撒以外のクラスメイトは20分追加で掃除をさせられる羽目になったらしい。
 どうしてかは自分で考えてくれ。




 弥撒は校長から直接もらった地図をじっと見た。男子生徒に丸めて渡したのだが、白鳥先生に「これくらい自分で捨てろよ」と言われて結局そのまま持ってきてしまった始末。
『どうして川だけで良いんでしょうか』
 そういえば、自分は昨日校長にこう言っていた。
『川の水が学校の水道で使われるといわれると理解できますが、そうでもないのに何故――』
『水鳥たちが困るだろう』
 校長の答えはたった一声だけだった。
『水鳥、ですか』
 水鳥は普通海辺にいるのであって、こんなちっぽけな川(まだ見ていないがそう推測する)にいるはずがない。果たして校長は本当に水鳥が棲んでいると信じているのだろうか。そうだとしたら病院を紹介してあげた方がいいのかもしれない。今の校長は気楽で校則などあってないようなものなので、倒れては先生たちだけでなく弥撒も困る。おそらく真面目な生徒以外も困るだろう。

――今日聞いてみて判断するか。

「おや、橘君」
 呼ばれて顔を上げると、初老の校長が現れた。
「こんにちは」
「清掃はちゃんとできたかね?」
 どうやら清掃決めのときに覚えられたらしい。――あの時にも校長いたからな。いつも希望者がいないというのに、今回だけは早く決まった裏森の清掃クラス委員長を覚えるというのは、校長としては義理のようなものだろう。校長がたいそう気に入っていられる裏森だからかな。
「川はそう遠くなかっただろう?」
「いえ、それが……」
 弥撒は詳しい事情を説明した。仮にも校長の前なので面倒だとか言ってられるわけがない。あまり使わない敬語に歯がゆいと思いながら地図を見せると、校長は声を上げて笑った。

「そうか、読めなかったか。こりゃいかんな、筆が上達しすぎて逆に凡人から見ると読めんと言うのは辛いのぉ」
――……あぁ、筆で書いたのか。

 てっきり万年筆か何かで書いたのだと思っていたのだが、よく見ると筆で書いたようにも思われる。それにしてもまだ現役の先生とはいえ、老人になっても自分のことを誉めるのか。
 不気味だ、と弥撒が校長の顔をじっくり見ると、校長は何かを思い出したようで、目を細めた。
「こりゃいかん……今日、生徒が来なくて今頃捜しているかもしれんぞ」
「はい?」
「清掃の仕方を生徒に教えてもらおうと人を呼んでおったのだ。ちょうど先生ぐらいの年なのだが、橘君は見たかね?」
 と、校長は自分の顔を指差して聞いてきた。
 弥撒は首を横に振った。ずっと門付近を掃除していたが、白鳥先生以外は誰も来なかったはずだ。
「いえ、見ていません。用務員の方ですか?」
 幸い、弥撒は人の名前と顔を覚えるのが得意で、先生と用務員の顔はずべて覚えているのだ。もし見たら後で謝っておこう、と弥撒が考えていると校長も首を横に振る。
「この学校には関係のない者だよ。だが、先生の学友でね、かれこれ四十年近くなるだろう」
「四十年……」
「そういえば、昨日橘君にはこの森に水鳥がいることを教えたな」
 弥撒は一瞬戸惑ったが、コクリと頷く。
「とっておきの秘密を教えてやろう」
 校長はそう言って校長室の窓の方に視線を向けてその先に指差す。窓の外は樹海のように覆い茂るあの森が見えた。よく見ると、その先に白い、見たこともない建物らしきものまで見える。
「……塔?」
「橘君は視力が悪いのかね?」
 眼鏡かけていますから、と厭味っぽく言った校長にそう返し、目を凝らしてじっくり見てみると、塔は城のようにも見えた。しかも少し錆びれている。城に錆びはないとは思うけれど、見るとそんな感じがするのだ。
「古城…ですか?」
「あながち間違いではないな。あの建物に形を求めると言うのは、あそこにいる者でも無理だったからのぉ」
「そう、ですか……?」
 形を求めることはしないが、それを説明できないと言うのは一体どんな形をしているのだろうかと思う。もしかして、今弥撒が見えるのは上の部分だけだから、下の部分は円の形をしているのだろうか。それはそれで面白そうだが、建物としてはおかしすぎる。
「あそこにいるのは誰なんですか?」
「水鳥たちだ」
「……はぁ、あれはもしかして鳥小屋だったりするんですか?」
 と、いきなり校長が大笑いした。

――笑うところなんてあっただろうか。

 本格的に病院連れて行ったほうがいいかもしれないな。
 そんな弥撒の思っていることのかけらも知らず、校長は弥撒の言ったことがツボにはまったらしく、そのまま笑い続けた。
「……と、鳥小屋、……鳥小屋か。それはいい喩えだ。今のがテストだと満点差し上げられるぐらいだな」
「それは有り難いですけど」
「それで、川に水鳥。『勇者』たちはそう喩えられるか。いいニュアンスだな」

――どこが。
 そう突っ込みたくなるけれど、校長の表情を見て、哀れに思うことを止めた。
 校長の目は真剣、そのものだったから。
「夜に森の中を歩くのは普通ではない」
「そうですね」
 わざわざ歩く人なんかそういないはずだ。
「だが、橘君も分かるとおり、あの森は普通ではない。だから夜森で歩くことなど平気でするものなのだよ、あそこにいる水鳥たちは」

――歩く? 水鳥が?

 弥撒はそこでやっと水鳥や鳥小屋が何かに喩えられていることに気づいた。
 水鳥は人間、もしくはさっき言っていた勇者で、鳥小屋はあの変な形をしているという(弥撒の目ではよく見えないので校長の言うことを鵜呑みにして)建物と考えるのが妥当だろう。
「あの森で起こること、全てが信じられんようで、それでもそれが日常なのだ。だが覚悟をせねばならぬ」
 校長は遠い目をして、それでも真剣な目は変わらなかった。何かを思い出しているのだろうか。

「いつか、死ぬ覚悟をな」

 森の中に聳え立つ古城のような建物は、依然としてそこに誇示しているかのようだった。




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