02.大切な森


 裏森は学校の敷地内で一番遠いところにある。
 入学してきたばかりの弥撒たち一年生がわざわざそこまで行くこともないので、おそらく皆初めてなのだろう。
 そして、清掃時間が移動時間を省かれ、しかも放課後にあるという最悪な時間帯だ。裏森に人気がない原因は、神隠しではなく時間の問題に当てはまる、というのが真相らしい。
 部活に命をかけている奴にとっては辛いのだろうな、やはり。

 六限目の終了のチャイムがなり、十分間の休憩時間が訪れる。普通ならば友人と雑談したり戯れたりする娯楽の時間なのだが、その休憩時間の後は清掃である。
 築六十年を迎えるこの学校がこんなにも美しく保てるのは清掃がしっかりしているからなのだが、いくらなんでも清掃に四十分かけるのはどうかと思う。四十分だぞ、四十分。
 しかもその四十分の間に少しでも遅れると、さらに二十分追加されて一時間清掃しなければならないらしい。それを回避すべく、弥撒のクラスメイトの全員が六限目を終えると同時に教室から飛び出していった。
 やる気のない弥撒も仕方なくその後に続いていく他ない。二十分という差は大きいのだ。
 ふと見た教室から出て行くときの教師の顔は笑顔だった。このクラスを哀れに思っているのだろうか。弥撒は終了の礼をしていないことを思い出したのだが、教師の表情からして許してくれるだろうと判断した。

「……ちっ、面倒だな」
 少し我慢してでもジャンケンするべきだったのかもしれないな、そう弥撒は後悔した。


 裏森は学校の重要な役割をしている、と校長が行ったのはいつだっただろうか。
 大事だから大切に扱え、と。
 森は扱うといったものではないが、所有者から見るとそう見えるのだろう。しかし、この時ばかりは、さすがの弥撒でも止めてくれと思いたくなるものだった。
「でかいな。……森の入り口に門なんかつけるか、普通?」

――しかもかなりでかい鍵なんかつけやがって。

 普通じゃないからつけているんじゃないの、と誰かが正論を言う。全くだ。
 それよりも、これは『扱う』なんて規模ではない。戦車でもいじっているような気分にでもなれるだろう。ここには戦車に乗って浮かれる奴はいないが。
 ○○ヘクタールとか校長がほざいていたのはどうやら冗談ではないらしい。あぁ、目がくらむ……。こんな馬鹿でかいとわかっていたのなら面倒臭くてもジャンケンしていただろう。いちいち往復するこちらのほうが面倒なんだから。
「それで委員長、まずは何処からいじればいいのさ。というか森って普通はそういじらなくても良いんじゃないのか?」
「普通はな」
 どうやら戦車のようだと思っていたのは弥撒だけではないらしい。
「下手したら木々たちの手入れまでさせられるかもしれないぞ。なんせ、やけに大切にされている森だからな」
 弥撒の言葉に顔を青ざめたその男子生徒は、急に震えだした。臆病だな、とは思うものの少し脅かしすぎたかもしれない。
「安心しろ。川周辺の掃除だけで良いと、先生たちが言っていた。念のために地図を持ってきたぞ」
 そういって懐から地図を引っ張り出し、皆に見えるように広げる。それに覗き込んだクラスメイトは一様に顔をしかめだした。
「アバウトだなー委員長ちゃんとしたものもってこいよー」
「煩い。用意したのはあたしではなく、校長だ。文句があるなら、これからあたしが述べるこの森についての苦情を全て覚えて地図を含むこの学校の不満を校長に言ってこい」
「……無茶言わないでくれ。それじゃ退学の危機があるじゃないか」
 神隠しに遭うのと退学では、あたしは退学を選ぶがな、と弥撒は付け足す。
 しかし、その男子生徒の気持ちが分からないこともない。紙の上にあるぐにょぐにょとした変に曲がった線は、最早何を表しているのか見当もつかない。せめて川のあるところには青色で引くとか、カラーにしてもらいたかったのだが、生憎とそんな工夫が施されたものはひとつも見当たらない。

 見て理解できるものがいないのを確認して、弥撒は地図を丸めた。
「後で校長に言っておこう」
 大切とされている森にそれを捨ててやりたかったのだが、後が怖い。
 適当にそこに突っ立っていたクラスメイトに「後で捨ててくれ」と頼んで、ゴミを渡す。もうわかっているだろうが、弥撒は自分で捨てるなど、そんな面倒なことはしたくない主義なのだ。否、ゴミくらいは自分で捨てられるが、このクラスメイトが「僕が捨てたいです」という目をこちらに向けた(ような気がした)から渡したのである。弥撒にゴミ捨てを任された男子生徒がビックリしてこちらを向いていたことは目を逸らすとして。

 青くなったり興奮したりしているクラスメイトを、自分の手を叩いて注目させる。
「一応門の近くの掃除をしよう。神隠しの対象になりたくなかったら絶対皆のいるところから離れるなよ」
 念を押して、忠告してやる。

――ここは何かが起きる。

 弥撒はそう感じていたのだ。




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