鬼の棲みかは湖のほとり。
「やぁ、里村さん」小さいころのあたしと今のあたし。 鬼からして見ると人はとても変わりやすい生き物なんだろうな。 For Everlasting 靴箱で現れた彼は、あたしを見ると本当に嬉しそうに手を振ってこっちに近づく。きっとはたから見れば、恋人が現れてとても喜んでいるだろう。だけど、それはあたしのものすごい剣幕が見えてないからそう言えるのであって、実際あたしの剣幕を見た生徒なんかはすぐに廊下へと逃げてしまった。そのくらい威力があるはずなのに、彼は怯まない。それどころかニコニコしながらあたしと接触しようとしている。図太すぎる。 「一緒に帰らないかい?」 「……爆弾発言だわ」 もしかしたら、と思っていたけれどまさか正面切って言われるとは思っていなかったので、ある意味爆弾発言だろう。 まぁどっちにしろあたしは彼と帰る気なんか全くない。 「帰らないわ」 「里村さんね、帰るとき公園の前を横切るだろう?」 「……それが何か?」 凄みをつけて聞き返す。だけど内面はとても驚いていた。 だって、朝のことがあれば、だれでも気にかけるでしょう。 「あそこね、昔湖だったの、知ってる?」 「知らない」 「じゃあ教えてあげるよ。勿論歩きながら、ね?」 どうせ一人で歩いたって後ろから付いてこられそうだと思い、隣並んで歩くことにした。今でもまだ怖いから、本当は近づいて来て欲しくないのだけど、ブライドの高いあたしの性格が怖いと口に出すのを嫌がっている。 あと湖の話題が気になる、という理由もあるけれど、彼には絶対言わないわ。 正門を出て陸橋を渡り終えるまでは、今日のどうでも良いことを彼が勝手に喋った。そしてその後、やっと話題に入る。 「昔、といっても100年ぐらい前かな。湖が埋め立てられてここ辺りに団地ができたんだよ。里村さんがすんでいる団地もそう」 住所までもが知られているとは思わなかったので驚愕の悲鳴を上げた。 まさかストーカーだったとは。 「それまではその湖、本当に小さな湖でね、よそから来た旅人の飲み場でもあったんだよ」 「ふうん」 「で、湖には昔から鬼がいると伝えられていて、鬼が悪さをしないように丁寧に奉られていたんだ。でも今はもうないけどね」 「その鬼と公園はどういう関係があるの?」 「湖を埋め立てて、その名残があの公園なんだ。あの周りに張られたテープ、見ただろう? あれは埋め立てられて、しかも奉ることを止めてしまった人間たちに鬼が怒って、子供の足を引っ張り溺れさせたのさ」 ほら、見てごらん。 そう言って彼の指差す方向を見てみると、すぐ近くに公園があった。 彼の話にあたしは冗談だろうと聞いていたけれど、どうしても嘘のようには聞こえなかった。正面に実物があると、尚更だった。 「……どうしてそこまで詳しいの」 まるで本当にその場に居合わせたかのようで、あたしは身震いがしだした。 「どうして、って……里村さん、あの光見たのでしょう?」 ……光? どうしてそこまで…、あぁ、この人ストーカーなんだったっけ。 「……えぇ」 「そして池に覗きこんだでしょう? 声が、聞こえなかった?」 「………あっ!」 言われてあたしは慌てて彼の方に注意を注ぐ。 そうだ、そうだった。 彼と会うのはこれが初めてだけれど、彼と会話をするのは、きっと初めてじゃない。 「あの声、あなたの声と同じ……」 「そう、僕ね、鬼なんだ。湖にすむ鬼。今朝、懐かしい里村さんの姿を見てたら助けてあげたくなって。不思議だね、最初は祟ろうと思っていたのに小さい頃の里村さんは儚げで逆に守りたくなったんだ。あれから変わっていなくてよかったよ、安心した」 「……小さい頃?」 「あ、忘れてる? 里村さん、同級生の男の子にいじめられて池に突き落とされたでしょ? あれ助けてあげたの、僕なんだからね?」 不機嫌そうな表情をして、彼は池の周りのテープをはがし、その縁に座り込む。 あたしはもう、何が何やらわからなくなってきた。 「今日も君のささやかな望みを叶えてあげにやってきたのにさ、何故か避けられているような気がするんだよなぁ」 ささやかな望み? 何それ、知らない。 「小さいころは仲が良かったはずなのに……」 「待ってよ! あなた、何のことを言っているの? 聞いてたら、昔に会ったことあるような口ぶりをして」 「会ったことあるんだよ。やっぱり忘れてたのか」 「……いつのことよ。知らないわよ」 やれやれといった、呆れた表情で微笑む。その仕草、どこかで見たような気がしないわけでもないけれど、断言して見たという記憶もない。 そんな彼方の記憶なのか、それとも彼が嘘をついているのか。 自分のことを湖にすむ鬼だというところから嘘をついているのかもしれないけれど、それはあながち嘘ではないと思う。だってこんなにも怖いんだもの、彼のことを。 ほら、今でも手が震えてる。 「君がとても小さかったころ。僕にとっては些細な時間しか経っていないけれど、君はもうとうの昔のことと思えるかもしれない、そのくらい昔のことだよ」 そのくらいの、小さなころに。 「君がさ、あそこの公園に引っ越したばかりのころ、同い年の男に囲まれていたときがあっただろう?」 「……」 そう、男の子たちに囲まれて、いじめられていたとき。小さいころだったから今では思い出のひとつでもある、そんな出来事だった。 ……そうだ、そんなときに『彼』は現れた。 あれは鬼の姿をした、『彼』だったのか。
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『……みみっちいことをするものだのう、今時とやらの子供は』 「うぇ〜ん、ふぇ〜ん」 『うるさいやつじゃのう、もうおぬしをいじめたやつはおらぬぞ』 「ふぇ……」 不安がって指の隙間からちらっと見ると、不気味な姿をしたよく分からない人しかいなかった。泣いて俯いているとき、男の子たちの声が聞こえなくなったのを不思議に思っていたのだが、きっとこの人が追い払ってくれたのだろう、と幼いあたしはそう判断した。 誰だったか、クラス替えがあったばかりで見たこともない男の子に囲まれあたしは途方にくれていた。小さいときは女のこの方が体が大きいというが、あたしは今も昔も小さくて泣き虫で、いつも男の子の標的にされていたのだ。 男の子がいなくなったことに安心し、背丈の大きな『彼』を見上げた。 赤い着物とは違った服を着ていて、その下にはまた白の似たようなものが覗いている。長い赤の髪はゆらりと揺れ、『彼』は腕を組んでいた。 長い間、『彼』は遠慮なくあたしを見下ろし、あたしはその鋭い『彼』の瞳を見た。 『……おなごは皆逃げるものだが、時代は変わるものじゃのう』 「?」 『おぬし、わしが怖くないのか』 今思えば『彼』は一目見て鬼と分かるほどの容貌だったのだ。その時のあたしが何も反応しなかったのは無知だったからに他ならない。 あたしは『彼』のいいたいことはわかっていた。確かに人間じゃないことはひしひしと伝わっていて、普段ならば怖いと思っていただろう。だけどいじめられていたのを助けられた後だ。頭の錯覚でこの人は安心なのだと感じてしまって、恐ろしい容貌をした『彼』への恐怖は色褪せてしまったのである。 『不思議なやつじゃ』 「あ、あの、ありがとう」 『ん?』 助けてくれてありがとう、ともう一度反復して、あたしは再び『彼』を見上げる。 背高の『彼』は目を丸くして、どういたしまして、と言った。 「あたしの家、すぐそこなの」 『ほう、近所なのだのう』 「あの男の子たちの家も、すぐそこなの」 短い腕と指を精一杯にあそこ、あそこ、と指して、『彼』の着物みたいな服をつかんだ。 『それがどうしたのだ』 「もうお外は暗いの」 『おぉ、もう暗くなっておるのう』 いじめられていたときはまだ夕方だったのだが、『彼』と見つめる時間が意外にも長かったらしく、冬の空は黒い闇に包まれかけていた。 「あのね、お母さんが心配するの」 『……』 「あ、あっちの道は危ないよって言われたの」 『素直に家まで送ってくれと頼めば良かろうに』 「……お、送って」 この時から性格が微妙にひん曲がった小さい頃のあたしの頭を、『彼』は苦笑して撫でた。
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『暗いところが嫌いか?』 「うん」 『怖いか?』 「こわい」 『闇は隠れるのに最適な場所。それでもか?』 「ゆうれいがでるんだもん」 『真昼には鬼が出るがのう……』 「ゆうれいはまほうを使うの。鬼なんかひとかたまりもないの」 『……ほう、できれば幽霊と対峙してみたものじゃ』 「夜はあたしの体が見えないの。お母さんも見えなくて、だから怖いの」 『真実を隠されてしまうのが怖いか』 「……?」 『怖いなら叫べ。怖い、と。助けて、と』 「さけぶの?」 『そうすれば、駆けつけてやろう』 「ほんとに?」 『おぬしが本当に困ったとき、悩んだとき、いつでも来てやろうぞ。おぬしが怖いと思うその魔法を使っておぬしの望みを叶えて、な』
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「……」 「そして君は僕を呼んだ」 呼んでなんかない、とはいえなかった。 いつからだっただろう、自分がとても不甲斐ないものに思えたのは。 誰かに頼ることすらできない自分の不器用さに、もどかしいようなそんな感情を覚えたのだ。 「自分を変えたいと思ったんだよね、君は」 にこやかに微笑む彼は、見た目本当の人間だった。もしかしたらあたしよりも人間らしく見えるかもしれない。だけど、その身に纏うのは言い知れない恐怖のオーラ。 これが鬼なのか、と知らず納得してしまう。 「今日の不思議なこと、全て僕の仕業さ。どうだった? しゃべったこともない知っている人と親しげに話すのは? あの賑やかな話は嫌いではないだろう?」 「こないで!」 ぞっとした。 おかしいとは思っていた。 昨日の今日であんなに変わるわけがない。何かわけがあってもあの女の子たちがあんなに親しげに話しかけてくるなんてまず有り得ないことだったのだ。すなわち、不可能だったはずの望み。いつかあんなふうに楽しくおしゃべりができたら、という羨望の持った望み。 それが容易に叶えられるのは、やはりただ事ではない。鬼は魔法らしきもので無理やり叶えさせた。 「ふふふ、やっと恐ろしいと思うようになったんだね、里村さん」 「……っ」 「本当は怖がってる人間のために湖に戻ってその身を隠してあげるけど、里村さんは別。僕、もう湖に戻らないからね?」 「……湖に戻らないんじゃなくて、戻れないのでしょう?」 おや、やっぱり地元にも広まっているんだねぇ、と彼はのんびりした口調で応える。 公園の湖は来月市の決定で埋め立てられることになったのだ。原因はやはり鬼が祟った子供の死。市のみんなは鬼が原因だとは思ってもないから埋め立てようと考えるのだろうけれど、鬼からしてみるとそれは一大事だ。 湖を埋め立てられることは、棲みかがなくなるということ。 「それを聞いて、この街を滅ぼしたかったんだけど、やめた。君がまだこの街にいるし、湖がなくても他に住むところがあれば生きていられる。だからこれ幸いにと思って君のところへ来てみたんだよ」 「だから、こないでってば」 「残念だねぇ、里村さん。もう僕からは逃げられないんだよ、死ぬまで」 「な」 「この街を救いたいだろう? 自分を変えたいのだろう?」 鬼のくせに、その囁きは悪魔だ。 彼は嫌がるあたしの手をつかんで、鬼のような怪力で抱きつかれるような体制になってしまう。ぞわっと鳥肌が立った。 「観念せい、おぬし」 『彼』は、いや、『鬼』はあたしを嘲るように笑んだ。 だから言ったであろう、恋人同士なのだと。 その一言を忘れることは、ない。
‖ ‖ ‖ あとがき ‖ ‖ ‖
また半端な終え方。このような終わり方が好きらしいです。いつもとは違って軽めのタッチで書き上げてみました。いたってシンプルに。シンプルすぎて句読点多いですが。それよりこの書き方、他のネット作家さんに影響されている気がします……。 本当はもっとびくびくした主人公が書きたかったのですが、まぁ、主人公が偉大でして……。描写も簡潔なんで適当かと思いますが、これで良かろうと思っています。なんてアバウトな。 感想があれば、BBSまたはメールにてお待ちしております。 index novel back |